2025/5/28
読書記録
出先で手もとに読む本がなかったので、渡りに船とばかりに昨日紹介してもらって買いました。
いま1章を読み終えたところです。正直、専門的な生理現象は完全に理解できてはいません。
それでも以下の第1章の内容をロジカルに確認できたのはとてもよかったし、興味深いものでした。
疲労と疲労感の違いの解説
栄養ドリンクは疲労ではなく疲労感を軽減していること
毎日の軽い運動によって疲労からの回復力が高まること
第2章以降も楽しみです
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おもしろい本はそれなりの難しさがあるので、適度にがんばりつつ適度に省略して許容できる姿勢で読書をしています。
私たちは日記に何をどのように書くのかをあまり教えてもらっていない?
以下ちょっと取り留めがなくまとまってないので、後日あらためて考えます。日記に対する断片的なメモとして。
学校で日記を教わった記憶はありません。
そもそもなぜ宿題にしてまで日記を書く必要があるのか、その日記によってどのような能力を伸ばしたいのか、先生も生徒も理解してない気がします。
生徒側としては日記を書けと言われたからやっているだけで、日記に何かしらの効用を求めてない気もします。だから無難にやりすごすためにありきたりで道徳的、規範的な当たり障りのないことを書いてやり過ごそうとしているのでしょう。
おそらく先生側も日記を宿題にしているけれども、そこまで重要視してない気がします。
何より日記なんて何も指導しなくても自動的に書けるだろうという暗黙の了解がありました。
もし学生の頃に日記の効用や書き方を適切に教えてもらえたらずいぶんちがう気もします。
いまにして思えば、日記を書くことはもっとも初歩的な国語の実践だと思います。
日記は自然と年齢や状況に応じて変化していくし、事実や思考を適切に日記として書けることは、国語の根幹に近い能力です。
日記の効用や技術を知らないまま国語を履修するのは、英語の読み書き会話ができないまま英語を履修するのと似ています。
インプットとしての読書とアウトプットとしての日記の両方を活用していきたいです。
でも考えれば考えるほど、日記の定義とはなにか、の答えが難しいですね。
原体験の日記が四角四面の決まり切ったものだったからこそ、おとなになって今一度、日記と向き合い始めるとその幅の広さに対処しきれてない感じがあります。
日記はひとりひとりちがうし、昨日と今日の日記も違います。でもこれら全部が日記です。
今回はイノシシ
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