朝鮮半島における儒教
朝鮮半島における儒教
朝鮮半島の儒教の受容自体は三国時代 (313 ~ 676 年)
高麗朝 (918 ~ 1392 年) までは仏教とも共存関係
李朝以降、儒教が決定的な重要性を持つように
特徴
両班層がその担い手となった
朱子学一尊 (性理学 = 道学中心の朱子学)
党争の儒教
厳格な身分制度と家族制度を反映し、それを律する礼制の実践と研究を重んじる礼学儒教
朝鮮半島においては、儒教の浸透の深さも広さも、他のどの社会とも比較できないほど根強い
参考 : 日本の武士層にとっての儒教と朝鮮半島の両班にとっての儒教
性に関する規範
基本的に地主で、生産労働には従事しない → 女性も戸外で農作業などを行うことはなかった
父系継承線を維持するための存在としてのみ女性が評価されるようになっていく
参考文献
東アジアの家父長制 ― ジェンダーの比較社会学