台湾における産業化
台湾における産業化
1949 年から 1951、1952 年ごろまでは、国民党 (台湾) の渡台とその失政に伴う経済混乱の時期
1950 年代前半には経済建設がはじまる
1950 年代は、植民地下の企業を接収した公共部門によってリードされた輸入代替工業化の時期
失業率が高く、国内市場はすぐに飽和 → 方針転換を迫られる
1960 年代は輸出指向工業化路線
アジア NIEs の優等生として注目されるように
1970 年代以降、家庭電気製品が急速に普及
韓国よりもかなり早い普及
韓国との相違点 (関連 : 韓国における産業化)
1. 初期段階での農業の位置
韓国は飢餓の克服から始める必要があった
台湾は農村の余剰を吸い上げることができた
2. 重厚長大な韓国と電子産業で生き残った台湾
政府と密着しながら成長した財閥中心の韓国
投資が大きいので貿易赤字の構造からなかなか抜け出せない (輸入による設備投資が大きい)
政府から離れた中小企業中心の台湾
重化学工業化を行わなかったというよりは、なし崩し的に失敗したと見ることができる
投下資本を早く回収できる
3. 政府の占める位置
ナショナリズムの韓国
外来政権の印象が強い台湾
参考文献
東アジアの家父長制 ― ジェンダーの比較社会学