北朝鮮の金日成化
北朝鮮の金日成化
1950 年代までは、朝鮮労働党における金日成の占める位置は絶対ではなかった
朝鮮戦争の失敗も、総指揮官たる金日成の立場を危うくしうるものだった
金日成は、朴憲永ら南朝鮮労働党系の失策として粛清に成功
1956 年以降、首領制が形成され始める
1967 年の第 4 期第 15 次党中央委員会全員会議で、甲山派の粛清が発表される
これにて主たる派閥の粛清が完了
金日成の独裁的な指導権が確立
もともとマルクス=レーニン主義を指導的指針としていたが、徐々に脱却
1970 年には、「マルクス=レーニン主義を創造的に適用した金日成同志の偉大な主体思想を指導的指針」 に
1980 年には、「金日成同志の革命思想、チュチェ思想 (主体思想) を唯一の指導方針」 に
主体思想を整理し、金日成の絶対化をすすめたのは金正日の功績が大きい
独自の国家感 : 社会政治的生命体論 (ある種の国家有機体説)
忠孝一本化
個々の家父長制を解体する代わりに、国全体をひとつの家父長制的秩序の下に置こうとした
ジェンダーの在り方にどう影響したか
1956 年に男女平等権法令の施行細則が改正され、協議離婚が認められなくなった
家族は社会主義社会の細胞として保護されなければならないという方向
1961 年の北朝鮮民主女性同盟主催の 「全国オモニ大会」 において、金日成は 「子を育てるのは母の役割」 という女性の母親としての役割を強調
社会労働への参加が免除されるわけではないので、女性に典型的な二重負担を強いるもの
家父長制的社会主義
参考文献
東アジアの家父長制 ― ジェンダーの比較社会学