三矢重松先生歌碑除幕式祝詞
昭和十一年七月、山形県鶴岡市の春日神社の境内に、恩師の三矢重松の歌碑を建立した時に、折口信夫が奉じた祝詞。 歌碑の写真
出羽国庄内県鶴岡町出身。
大正一二年(1924)七月一三日没。五三歳。
この年、折口信夫は五〇歳。
本文(『折口信夫全集 第卅一巻』、昭和四三年、中央公論社、p.6-7よりcFQ2f7LRuLYP.iconが写した。著作権保護期間は終了している。) この御歌よ。石には彫らず、里人の心にゑりて、とこしへに生きよとこそ。かく申す心を、天がけりより來る三矢重松大人のみたまや、かくり世の耳明らかに聞き明らめ給へ。
みまし命過ぎ給ひしより、早く十年に三年あまりぬ。うつし身こそは、いよゝ離り行け、おもかげはます〳〵けやけくなり來給ひて、しぬび難くなりまさるに、いかで、大人の命のいにしへの後たづねまつらむの心を起し、千重隔る山川こえて、山川更にとりよろふ出羽の國庄内の國内にまうで來つるわれどちの心知りたまふや。
みまし命、いまだこの鶴岡の町の子どもにて、わらは髪うち垂りつゝ、町といふ町巷といふ巷行き廻り遊び給ひしほどのけしき思はするもの多く殘れるを、この里のみ中の春日のすめ神の御社よ、遠きその世のをさな遊びに、となり〳〵の同輩兒らとうち群れたまひ、心もゆらにたはぶれ給ひし日のまゝぞと、里びとの告ぐるによりてとめ來れば、宮の内外の古き木むらも仰ぎ見る額の繪のかず〳〵も、皆みまし命の幼目にしみて親しかりけむと思ふに大人のかくりみすらたゞここにいまして、今日の人出にたちまじり、たのしみ享け給ふと、今しはふと思ひつ。
あはれ、この處のよさや、里古く屋竝とゝのほりあたりの家居正しく、人心なごみて、たゞ靜かなる神のみにはなりけり。そのうぶすなの神のみ心おだひに、こゝをこそあたへめとよさし給へるまに〳〵、この場の隈處をえらび定めて、大人のみ名永く、御思ひ深く、里人の心にしるさむと、そのかみ鋭心盛りにいましゝ日のよみ歌一つ
價なき玉をいだきて知らざりしたとひおぼゆる日の本の人
とあるをすぐり出で、よき石だくみやとひて、たがねも深に岩にきりつけ、今しこゝに立ちそゝれる見れば、遠き山川、近き里なみと相叶い、ところえてよろしき姿なるかも。あはれ、大人のみたまや。われどちのをぢなき心もてすることを、よしとうべなひ享けたまふや。又いたづら事と苦み憎みたまふや。唯ひたぶるに、なぐしきみ心に見直し給ひ、心おだひに、たまのよすがになしたまひて、ゆり〳〵もこゝに來たまへ。しかあらば、この御歌よ。里人の心にしみて、大人の御心は、見はるかす山川とひとつになりて、とことはに生きなむものぞとまをす。
①序
この御歌よ。石には彫らず、里人の心にゑりて、とこしへに生きよとこそ。かく申す心を、天がけりより來る三矢重松大人のみたまや、かくり世の耳明らかに聞き明らめ給へ。
語釈
里人
その里に住む人々のこと。
ゑり
他動詞ラ行四段活用「彫(え)る」の連用形。
彫刻する、彫りつける、刻むこと。
天がけり
自動詞ラ行四段活用「天翔ける」の連用形。
名詞のように使われているか?cFQ2f7LRuLYP.icon
神、霊魂、鳥などが天空を飛びかけること。
三矢重松先生の御霊が空を飛びかけてくる
大人
「うし」のことか。
人を尊敬して言う語。貴人・父親や、師匠・先生などに向けて使う。
*左千夫歌集〔1920〕〈伊藤左千夫〉明治三四年「何事につけても正岡大人をおもふ 吾が大人(ウシ)が病おもへば月も虫もはちすの花もなべて悲しき」
正岡子規への歌だろうか?cFQ2f7LRuLYP.icon
かくり世
あの世。死んだ人の行く世。黄泉。対義語は「うつし世」。
聞き明らめ
聞く+明(あき)らめる。
明らめるは他動詞下二段活用。他の動詞と複合して「~を明らかにする」「理解する」「はっきり知る」「明白にする」などの意を付与する。
問明らめる…事情を尋ねて明らかにする
説き明らめる…「説き明かす」と同じ。
疑問点
? 文末に「こそ」が来ているときなんと訳すか、どういう表現なのか
? 隠り世の耳とはなんだろうな
歌碑の建立に際しての序
この歌(「價なき玉を~」の歌)が石ではなく里人の心に刻まれ、永久に生きてほしいと願う。
そのように申し上げる心を、天かける三矢重松先生のみたま、その幽冥を越えた耳にもありありと伝わってくださいますように
みまし命過ぎ給ひしより、早く十年に三年あまりぬ。うつし身こそは、いよゝ離り行け、おもかげはます〳〵けやけくなり來給ひて、しぬび難くなりまさるに、いかで、大人の命のいにしへの後たづねまつらむの心を起し、千重隔る山川こえて、山川更にとりよろふ出羽の國庄内の國内にまうで來つるわれどちの心知りたまふや。
語釈
みまし命
うつし身
離り行け
おもかげ
〳〵
繰り返し記号。前の数文字を繰り返す。ここでは「ますます」
みまし命、いまだこの鶴岡の町の子どもにて、わらは髪うち垂りつゝ、町といふ町巷といふ巷行き廻り遊び給ひしほどのけしき思はするもの多く殘れるを、この里のみ中の春日のすめ神の御社よ、遠きその世のをさな遊びに、となり〳〵の同輩兒らとうち群れたまひ、心もゆらにたはぶれ給ひし日のまゝぞと、里びとの告ぐるによりてとめ來れば、宮の内外の古き木むらも仰ぎ見る額の繪のかず〳〵も、皆みまし命の幼目にしみて親しかりけむと思ふに大人のかくりみすらたゞここにいまして、今日の人出にたちまじり、たのしみ享け給ふと、今しはふと思ひつ。
あはれ、この處のよさや、里古く屋竝とゝのほりあたりの家居正しく、人心なごみて、たゞ靜かなる神のみにはなりけり。そのうぶすなの神のみ心おだひに、こゝをこそあたへめとよさし給へるまに〳〵、この場の隈處をえらび定めて、大人のみ名永く、御思ひ深く、里人の心にしるさむと、そのかみ鋭心盛りにいましゝ日のよみ歌一つ
價なき玉をいだきて知らざりしたとひおぼゆる日の本の人
とあるをすぐり出で、よき石だくみやとひて、たがねも深に岩にきりつけ、今しこゝに立ちそゝれる見れば、遠き山川、近き里なみと相叶い、ところえてよろしき姿なるかも。あはれ、大人のみたまや。われどちのをぢなき心もてすることを、よしとうべなひ享けたまふや。又いたづら事と苦み憎みたまふや。唯ひたぶるに、なぐしきみ心に見直し給ひ、心おだひに、たまのよすがになしたまひて、ゆり〳〵もこゝに來たまへ。しかあらば、この御歌よ。里人の心にしみて、大人の御心は、見はるかす山川とひとつになりて、とことはに生きなむものぞとまをす。