cmanさんの短歌を拝見いたす
長くなったので切り出した
cmanさんの短歌を拝見cFQ2f7LRuLYP.icon
部立が四季、花鳥風月の分類、自由題
自由題が最も多い
自由題が多いのは、もともと短歌を百首作ってみようは「題から広げて短歌を作る」というページだったんですが、ある程度やったところで「いや、わざわざ言葉で題を探さずとも生きてると短歌が出来るな」となり、生きててできた短歌はすべて自由題のところにつっこんでメモしてるからですね naruhodo
春夏秋冬、花鳥風月という部立意識が最初にある点、そこから変化していった点面白い
和歌文学においては重要な部立
短歌においても分類・配列する際に使われるのかと思って興味を持っておりましたcFQ2f7LRuLYP.icon
春部冒頭にある「巨大感情」というのは、cFQ2f7LRuLYP.iconのあまり感じたことのない/感じているが気づいていない/気づかないようにしている ことなので、そこからしてcmanさんとcFQ2f7LRuLYP.iconとの希求しているものが違いそうである 季節と向き合って書いているときはわりと、向き合ってうかんできた、この大きな感情を、言葉をつかってまわりを囲って閉じ込めるにはどうしたらいいだろう、みたいなモチベーションでやってるきがするので、そのへんが希求ポイントなのかも。
ピンときた歌々
笑うなよ ぼくがわかるかおまえごときに この空白さえよめないくせに
笑ってこそいないが、しかしわからないのはその通り。空白も読めないcFQ2f7LRuLYP.icon
申し訳ない
たそがれの昏く自由な住宅を一人で歩ける小3の君
何かピンときた
なんだろう
両親が仕事で出ている小3の一人っ子が、誰もいない家でも一人闊歩する様子を思い浮かべて、充足のすべを知っていると思った
しかし、よく読むと充足してるかどうかはわからんかった
歩いている、か、それとも歩くことのできる、か、どちらだろう?
できるの方ができなかった過去を思わせるのでできる派cFQ2f7LRuLYP.icon
生きていることが歌とかになればいいのに 再生回数1回の曲
これかなり好き、下句が特に
誰も再生しないだろうと思っていそうな点が好み
我々はもはや歌えるものもなくひとりひとりが窒息していく
幻視
声を振りたてようとして歌おうとするが、声は出ず、喉に喰い込む指が白くなっている、人
なので、詠んだときに題として使った映像は「カラオケでオールしているときに、最初はみんな曲をいれて歌っていたが、どんどん眠気でテンションが下がってひとりずつ黙って眠りに落ちてゆく」
あーなるほど、歌群においての文脈を全く掴んでおりませんでしたcFQ2f7LRuLYP.icon
読み手としてヨクナイネ…
何らかのディスコミュニケーション、厳しさについて歌っているのかと思った
非常に稀有な例で、書いている様子を見ながら書ける場面が生じた