今日の主役はエビちゃんやけんね
「この度はみなさん、お集まりいただきありがとうございます。難しい話は抜きにして、とりあえず乾杯しますか」 いろいろすっ飛ばして、上品そうな中年の男がビールが注がれたグラスを手に取った。 「乾杯!」
「かんぱーい!」
四つのグラスが、ぶつかり合って音を立てた。
「エビちゃん、好きなだけ食べて飲みよ」
乾杯の音頭を取った男が、向かいに座る静に言った。
「東雲さん、海老名のことエビちゃんって呼ぶんスか?!」
和は驚いたように声を上げた。いつも通りバカでかい声だった。
「和は自分も東雲さんにかわいいあだ名で呼んでほしいんやって」
「伊勢原さん!」
ニヤニヤ笑いながら茶化す遥を、和がにらみつけた。
「自分はちゃっかり東雲さんの隣に座っとうやん」
「はいはい」
遥に畳みかけられて何か言いたげな和を、中年の男、東雲 円(しののめ まどか)がさえぎった。 「今日の主役はエビちゃんやけんね、親子喧嘩はここまでにしてな」 円が言うと、和はしぶしぶ黙り、遥は隣に座る静に笑いかけた。
「僕たち親子ちゃうけんね、こんな娘いらんけん」
「はぁーん?!」
遥の言葉に和がいちいち反応する。
「こんなかわいい娘がおったら心配で身が持たんけん」
そう言って遥はビールをあおった。和は小さくため息をついた。いつもの光景だった。
「わかるわ~、僕も神田橋さんみたいな妹がおったら毎日心配で送り迎えしてまうわ」
円がそう言うと、和はうつむいて顔を赤くした。
「僕にとっては娘で、東雲さんにとっては妹かぁ。なんか年を感じるなぁ」
「伊勢原さんはまだ若いッスよ」
「和は優しいなぁ。エビちゃんはいくつなん?」
突然遥に話を振られて、静は少し緊張して姿勢を正した。
「今年24になりました」
よく通る高い声で、静はそう答えた。
「えっ、ほうなん?」
遥が驚いたように声を上げた。
「伊勢原さんの声でけー!」
「神田橋さんは自分の声を聞いたことがないん?」
円にツッコまれて、和は口をつぐんだ。
「和と同い年やん、えー、まだ二十歳くらいかと思とったわ」
自分の隣に座る静をまじまじと見ながら、遥が言った。
きめの細かい白い肌と、あどけなさすら感じさせる顔立ちは、とても24歳の男性には見えなかった。
遥は二十歳と言ったが、どう見ても高校生くらいにしか見えなかった。
「神田橋さん、仲良うしてあげてな」
「はい!」
円に言われて、ビールを飲み干したばかりの和が元気に返事をした。
「伊勢原さんはおいくつなんですか?」
静が遥に訊ねた。
笑顔で遥が答えた。
遥はくっきりした二重の精悍な顔立ちで、年齢よりはいくつか若く見えた。
和が二杯目のビールをあおって、唐揚げを箸でつまみ上げながら遥に向かって言った。
「昭和ですんません」
なぜか円が頭を下げて、和は大いに慌てた。
「エビ!おまえ笑とらんとええ感じにフォローせぇ!」
和の無茶振りを受けて、静は2秒ほど思案した。
静は目を細めて遥を見つめると、そう言った。
胸の奥がくすぐられるような笑顔だった。
遥は鶏の刺身を食べようとしたままの姿勢で、固まってしまった。
静がふわふわの髪を揺らしてくすくすと笑った。かすかにシャンプーの匂いがした。 「俺もほれ!昭和生まれの大人の男がええな~」
和が円を横目で見ながら言った。相変わらずデカい声だった。
「僕、初めてなんです」
円と和のやり取りにかき消されてしまいそうな小さな声で、静が遥に言った。
少し恥ずかしそうな笑みを浮かべていた。
遥は口に入れた刺身を飲み込んだ。味がよくわからなかった。
「え?」
遥の口から、間の抜けた声が出た。
「鶏の刺身」
少し遥のほうに体を寄せて、静が言った。
赤い三日月のような静の唇から、キュフフと笑い声が漏れた。