すごくきれいな、白い狐
今日は海老名さんの歓迎会っちゅうことで、僕達は徳島市内にある鶏料理専門の居酒屋に来とった。 主役の海老名さんと、僕と、僕の後輩の和と東雲さんの4人は、個室に案内されると早速ビールを4つ注文した。 和がさっさと東雲さんの隣に座ったもんやけん、海老名さんは僕の隣に座ることになった。
まあ、東雲さんの隣は和の指定席やけんな。
僕達は運ばれてきたビールをそれぞれ手にして、東雲さんの乾杯の音頭を待った。
「この度はみなさん、お集まりいただきありがとうございます。難しい話は抜きにして、とりあえず乾杯しますか」 すっ飛ばし過ぎやろ。
とりあえず僕らは乾杯とかおつかれさまですとか言いながらグラスをぶつけ合った。
「エビちゃん、好きなだけ食べて飲みよ」
東雲さんが向かいに座る海老名さんに向かって言うた。
海老名さんは少し恥ずかしそうに微笑んで小さくうなずいた。
へー、もうあだ名付けてもうてるんやん。
「東雲さん、海老名のことエビちゃんって呼ぶんスか?!」
一方和は、驚いたように声を上げた。その中に不満の色が滲んどんを、僕は聞き逃せへんかったぞ。
「和は自分も東雲さんにかわいいあだ名で呼んでほしいんやって」
「伊勢原さん!」
僕がニヤニヤしながら茶化すと、和は僕をにらみつけた。おー怖。
「自分はちゃっかり東雲さんの隣に座っとうやん」
僕が畳みかけると、和は顔を赤くして何か言いたそうにした。
「はいはい」
僕と和の間に入ったんは、東雲さんやった。
東雲さんは僕より7つ年下やけど、面倒見が良くて、賢くて仕事ができるすごい人や。おまけに男の僕から見てもめっちゃカッコええ。
「今日の主役はエビちゃんやけんね、親子喧嘩はここまでにしてな」 東雲さんがほう言うと、和は舌打ちしてしぶしぶ黙った。ホンマ態度の悪いやっちゃ。
僕は海老名さん……エビちゃんでええか。エビちゃんの方を向いて笑いかけた。
「僕たち親子ちゃうけんね、こんな娘いらんけん」
「はぁーん?!」
面白いくらい食いついてくるな、和は。
「こんなかわいい娘がおったら心配で身が持たんけん」
ほう言うて僕はビールをあおった。和は小さくため息をついた。これがいつもの光景よ。
「わかるわ~、僕も神田橋さんみたいな妹がおったら毎日心配で送り迎えしてまうわ」
東雲さんがほう言うと、和は顔を赤くしてうつむいた。ホンマわかりやすいやっちゃなぁ。
「僕にとっては娘で、東雲さんにとっては妹かぁ。なんか年を感じるなぁ」
なんかしみじみ言うてもた。
「伊勢原さんはまだ若いッスよ」
「和は優しいなぁ。エビちゃんはいくつなん?」
僕が話を振ると、エビちゃんは緊張したんか、姿勢を正した。
「今年24になりました」
エビちゃんはよく通る声でほう言うた。
「えっ、ほうなん?」
僕は思わず声を上げてしもうた。
「伊勢原さんの声でけー!」
いや和、自分の声もデカいけん。
「神田橋さんは自分の声を聞いたことがないん?」
ほう言うて東雲さんが和を黙らせた。もはやコントやね。 ほんなことよりエビちゃんの歳よ。
「和と同い年やん、えー、まだ二十歳くらいと思とったわ」
酒飲める言うけん20歳は過ぎとんやろうと思とったけど、見た目だけでいうたらまだ17歳くらいにしか見えんよ。
僕はつい、隣に座るエビちゃんをまじまじと見てしもうた。
きめの細かい白い肌と、あどけなさの残る顔立ちは、24歳の男には見えへんかった。そもそも男に見えんのよ。
「神田橋さん、仲良うしてあげてな」
「はい!」
東雲さんに言われて、ビールを飲みほしたばかりの和が元気に返事をした。
和はときどきこっちが恥ずかしいなるくらい声がデカい。
「伊勢原さんはおいくつなんですか?」
僕にじっと見つめられとったエビちゃんが、ほう訊ねてきた。
まあ、人に歳訊いて自分は言わんのはおかしいもんな。
僕は笑顔で答えた。
どうよ、歳の割には若あに見えるやろ?これが独身パワーよ。
2杯目のビールをあおって、唐揚げを箸でつまみながら和が言うた。
も―こいつはホンマに、さっきは若いって言いながら、今度は年寄り扱いか。
「昭和ですんません」
僕の代わりにほう言うたんは、東雲さんやった。
まあ東雲さんやって今年40やけんねぇ?僕より若いいうてもおっさんやわなぁ?
「エビ!おまえ笑とらんとええ感じにフォローせぇ!」
案の定、和は慌ててエビちゃんに助けを求めた。
和の無茶振りに、エビちゃんは顎に細い指を這わせて2秒くらい思案した。
エビちゃんは目を細めると、僕に向かってほう言うた。
胸の奥がくすぐられるような笑顔やった。
僕は、鶏の刺身を食べようとした姿勢のまま止まってしもうた。
「俺もほれ!昭和生まれの大人の男がええな~」
和が東雲さんを横目で見ながら調子よさそうに言うんが聞こえた。
「僕、初めてなんです」
和と東雲さんのやり取りにかき消されてしまいそうな小さな声で、エビちゃんが言うた。
でも、なんでやろ。バカでかい和の声よりも、エビちゃんの声はハッキリ僕の耳に届いた。
「え?」
僕の口から、間抜けな声が出た。
「鶏の刺身」
エビちゃんは少し僕の方に体を寄せて、ささやくように言うた。
赤い三日月みたいな唇から、キュフフと高い笑い声が漏れた。 エビちゃんは上目遣いに僕を見てゆっくり瞬きすると、何事もなかったかのように鶏の刺身を口に運んだ。
咀嚼された刺身が、細い喉を通るんが見えた気がした。
「おいしいですね、伊勢原さん」
すごくきれいな、白い狐。