倫理
第1回倫理研の講演『情報社会の倫理と民主主義の精神』にて、倫理研モデレーターの鈴木謙介が、この言葉を社会学者マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に基づいて解説している。 通常、倫理という言葉を耳にするとき、それは『守らなくてはいけない何事か』として捉えるのが普通かと思いますが、それは「道徳」とか「規範」と呼ぶべきものであって、ここでの倫理の定義とは異なります。では何か。私はこのタイトルを社会学者マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』*1から取ってきているのですが、これは規範や道徳といったもののさらに前にあるもの、つまり個人の内面を司る駆動要因、行動原理という意味の下に採用しています。 宗教社会学の代表的古典『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、ウェーバーは人類史上、近代資本主義という運動がヨーロッパのある地域からなぜ始まったのかを問う。一言でいえば、営利目的志向で合理主義的な資本主義的な精神というべきものが、いっけんそれとは程遠い禁欲的プロテスタンティズムの倫理Ethic(=エートスとはギリシャ語で行動様式や習慣などを意味する。)から生まれたことを論じている。 またこのウェーバーの書名の英題は"The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism"だが、これをモジったものとしてペッカ・ヒマネンの「リナックスの革命―ハッカー倫理とネット社会の精神」(山形浩生 訳、河出書房新社、2001年)がある(原題は"The Hacker Ethic and the Spirit of the Information Age")。ここでいう「ハッカー倫理」というものは、むしろハッカー特有の「気風」「ノリ」というべきものに近い。 訳者山形氏のサイトに掲載されている「あとがき」 - Hacker Ethic: Translator's note (definitive un-censored version)
マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(大塚久雄 訳、岩波文庫、1989年、改訳版)