30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい
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放映開始 : 2020年10月
放送局 : テレビ東京
エピソード数 : 全12話
通称チェリまほ。
正直言うとBLというジャンルに対して、イケメンを記号的に扱ってゲイの現実を都合よく無視して消費してるだけなんじゃないのみたいな偏見が自分にはあった。
それこそ2019年にNHKで放映していた「腐女子、うっかりゲイに告る。」の第1話冒頭、ゲイの安藤純が偶然本屋で鉢合わせた三浦紗枝の買っていたBLコミックを見せてもらって「ファンタジーだな」と言い放ったような。 なのでなんとなく今作もそういうエンタメなんだろうと高をくくって初めから観るつもりもなかったのですが、自分のTwitterのタイムラインで唯一観ていたcameiさんのリアクションからただならぬ雰囲気を察知して2話から追い始めた結果、先ほどの偏見がぶっ壊された。
このドラマが何より素晴らしかったのは、どんな性の形であれ、これまで普通とされていた男女のものと同じように恋愛関係を描く事は出来るし受容することも出来るという視点を与えてくれたところにあると思う。
それを「普遍的な2人の人間の愛なんだね素晴らしいね」と片付けてしまうと、なんだか話が矮小化されてしまうのだけど、その一方で、同性である黒沢優一の自分に対する深い愛情や、逆にそれを知ることで安達清の中に芽生える黒沢への気持ちに対する戸惑いであったり、黒沢が安達に触れてときめきを心の中で赤裸々に吐露しながらも、ストレートである安達に対して「好きになっちゃってごめん」みたいな罪悪感を感じ、一線を越えないよう自制する様子などのおかしみや悲しみは、同性のカップルでしか生まれ得ないドラマだと思う。
黒沢が安達を思うあまり、心の中で懸命に自制したり謝ってしまう様子はとても悲しくて、映画の「ハッシュ!」冒頭の職場の同僚の結婚祝い的な飲み会の場面で、思いを寄せていたと思われる同僚にビールを注ぐ時の栗田勝裕の眼差しとクライマックスで義姉から浴びせられる言葉を思い出させられ、彼 のことも思い出してまた締め付けられるような感覚にもなった。 また素晴らしかったのは恋愛とはまた違うレイヤーで安達に起きる感情と行動の変化で、対峙した相手の考えや気持ちを読み取れる能力はある意味でチートになるし、気持ちを知ったとて見て見ぬふりする事は可能なのだが、安達がそこへ逃げずににひたすら黒沢の気持ちと向き合う道を選んで苦しんだりする様には心を打たれるし、身につまされもする。
また童貞の本質をセックスしたかしてないか云々みたいな小さな問題に収めずに、他人から見える自分の姿や振る舞いへの評価を知ることに対する臆病さときちんと捉えていたのも、こじらせていた人間からするとなんだか泣けてしまう。
演出の点では、心を読み取る能力というモチーフが軸にあるという前提があることで、モノローグがベースになる仕組みに不自然な都合の良さを感じさせず、また要所要所でモノローグを差し込まないことで、その時安達が読み取った黒沢の心の声の重さをずっと重く見せることに成功していて構成として美しかった。
逆にものすごく丁寧な意識の元に作られているドラマの中で、フックになる細かなストーリー上の障壁を作るキャラクターがすごく書割っぽかったのは少し気になった目立っていた気はする。
とは言えまあ、その書割っぽさは短い放送時間の中での割り切りと思って受け入れるとして、それ以上に重要に感じるのは、験担ぎのモンブランをど忘れされてブチ切れてる社長を除けば、六角の初契約のお祝いみたいな飲み会で唐突に王様ゲームを始めてキスを強要する上司にしても、入社して間もない時期への回想で出てきたセクハラをしようとする得意先の社長にしても、その殆どに女性のキャラクターを配置されることで、現実の男性社会を反転し、男性の視聴者にも現実のグロさを伝わる仕組みになっていたのは良かったと思う。
その点以外でも、女性キャラの配置という意味では、社内コンペの審査をする上司も女性だったりして、社会的に上の立場に女性がたくさん置かれているという単純なものではあるかも知れないけど、ステレオタイプを意図的に外して、現実に働きかけようとする意識はセクシュアリティの描写以外にも強く感じた。
その他細かいところだけど、アバンの後で差し込まれるOP曲がブレスから始まるという緊張感も連続のドラマシリーズを毎週見る楽しみの重要な要因になっていた気がする。
登場人物たちが何を考えどう行動したかが、強く現実の自分たちに対する呼びかけになっていて素晴らしいドラマで、それらをすべて成立させている黒沢を演じた町田啓太さんと安達を演じた赤楚衛二さんの説得力とか真摯さが本当に良かったと思う。キャスティングをしたスタッフもすごい。
BLと一口に言ってもその意識は様々であろうし、これを経て自分が積極的にBLを観たり読んだりするようになるかはわからないけど、少なくとも観る前の壁は取り除かれたのは確か。