哲学特論 I 第 1 回レポート
(1) ニュートン力学の特徴を述べた上で、相対性理論との違いを数式も含めて論ぜよ。また科学の客観性と原動力に関するバシュラールの考えも示せ。
ニュートン力学ではそれ自身明らかで説明も必要としないような考えである単純観念を基礎として,そのような単純な実体が様々な性質を持ち,相互作用することで複雑な現象が生まれると考えることが特徴である.例えばニュートン力学では静止質量 m0 の物体が速度 v で動くときの質量 m は変化しない (数式 1).
$ m=m_0 (数式 1)
またニュートン力学での時間は絶対時間と呼ばれ,時間幅 t の静止物体から見た速度 v で動く物体の時間幅 t' は変化しない (数式 2).
$ t'=t (数式 2)
一方で相対性理論では質量は速度の関数であり,速度が大きいほど質量は増える (数式 3).
$ m=\frac{m_0}{\sqrt{1-(\frac{v}{c})^2}} (数式 3)
また運動する物体の時間は遅く進む (数式 4).
$ t'=\sqrt{1-(\frac{v}{c})^2}\cdot t (数式 4)
これらの数式から分かるように,ニュートン力学と相対性理論における質量や時間,速度などの概念は異なった連関の中に置かれており,ニュートン力学でそれ以上問おうとしなかった概念が,相対性理論では別の概念の関数となっており意味が変化している.また相対性理論において速度 v が光速に比べて十分小さい場合,数式 3,数式 4 の$ (v/c)^2\simeq0とみなせるため,数式はニュートン力学の場合と一致する.バシュラールはこのニュートン力学が相対性理論の特殊事例になっていることを「包摂」と表現した.
このようなニュートン力学から相対性理論への変遷から,バシュラールによると科学の客観性は物理学の方程式のうちにあるのではないと考えた.これまで正しいと受け入れてきた方程式や概念を修正するときに苦痛が伴うが,それこそが主観性の存在の証左であり,そのような苦痛を乗り越え,特定の数式を信じることなく変化を受け入れることこそが科学の客観性に繋がると主張した.また,科学の原動力も客観性と同様に,概念の意味を変化させ理論を絶えず修正したり拡張したりするところにあるとした.
(2) 量子力学の基本的な考えをやはり数式を含めて説明し、現代物理学における数学の役割を示せ(数学と物理学の対象の関係にも触れよ)。
ニュートン力学では物体の位置を一点に測定することを前提としていたが,量子力学ではハイゼンベルグの不確定性原理 (数式 5) によると,量子の位置と運動量を同時にいくらでも高い精度で測定することはできないと考える.
$ \Delta x\cdot \Delta p \ge \frac{h}{2} (数式 5)
数式 5 から分かるように量子力学では位置や同時性といった単純な考えが複雑な数学的表現の中に置かれているため,数学は公理系や代数学的構造などの複雑な構造の中で物理学の位置や同時,質量などの基本的な考えに意味を与えるものと言える.また,ディラック方程式を解く過程で負のエネルギー状態の電子の存在が主張されたり,重力方程式を解くことでブラックホールの存在が導かれたりしたことから,数学は物理現象を記述する道具ではなく,数学的構造にこそ科学の本体 (ヌーメノン) があるとバシュラールは考えた.ただし数式から導かれた対象が物理的に実在するか検証するためには実験が必要なことには注意すべきである.
(3) 技術の発明を、機能と環境の二点から説明せよ。またこの機能の説明に当てはまる(授業で取り上げたもの以外の)事例を、各自で調べて挙げよ。
シモンドンは技術の発明をギャンバル・タービンの発明の事例を挙げて,多機能化と関係性の創造の点で分析した.ギャンバル・タービンでは水と油の悪影響を相殺し合うようにユニットが組まれ,それぞれの要素が複数の機能を持つ構造になっている.この事実から,発明の条件の一つとして複数の機能を発明品に凝集させる多機能化が挙げられる.さらに,ギャンバル・タービンではタービンと発電機,川の三つの項をどのような関係のもとに配置するかではなく,水流と油を一つの連合環境とすること,つまり技術が自然と一体となって新たな環境を生み出すことが発明の条件であるとした.このようにシモンドンは新たな関係性の創造に技術の跳躍=発明を見出した.
技術の発明での多機能化について,三極管から四極管への進展を挙げる.「三極管では,制御格子と陽極の間に静電容量があるために,ときに自励振動が生じる危険を冒せねばならず,この危険を埋め合わせるためには,好ましくないフィードバックを打ち消すニュートロダイン方式という外的な操作を加える必要があった.しかし三極管内部,制御格子と陽極の間にスクリーンを入れることによって,静電容量を極度に減らした真空管がつくられ,この問題は内的に解決された.これが四極管であり,このとき,スクリーンは電位差から,陽極に対しては制御格子として介入し,制御格子に対しては陽極として介入する.スクリーンはそれ自身制御格子でありかつ陽極なのだ.」(中村,2021,p.274) と述べられているように,三極管では制御格子に電圧をかけることで陰極から陽極へ流れる電流が制御できるが,制御格子と陽極の間の静電容量のため意図しないフィードバックが生じる問題があった.三極管では陽極と陰極,制御格子はそれぞれ独立の機能しか果たさなかったが,四極管では陽極に対しては制御格子として機能し,制御格子に対しては陽極として機能するスクリーンを入れることで,スクリーンに複数の機能を凝集させて問題を解決することができた.これはシモンドンの主張する,技術の発明における多機能化の一例である.
(4) ベルナールの糖尿病に関する見解を説明した上で、病理的事実と個人の関係、および臨床と技術に関するカンギレムの考えを述べよ(考えの医学的論拠も示すこと)。
「Bernard は絶食してもなお血液中に糖が存在し,肉食動物の血液中にも糖が存在することより,体内で糖が作られるのであろうと考え,ついに肝に糖原があることを発見した」,「Bernard は糖尿病でみられる過血糖は,肝で糖原より糖が過剰に生成されるためであるという考えを抱いていた.」(黒川・後藤,1962,pp.56-57) と述べられているように,ベルナールは糖を摂取していない動物の血液中にも糖が存在することを発見した.このことから,ベルナールは糖尿病の典型的な症状の多飲,多食,頻尿,糖尿は全て正常な人にも存在し,糖尿病患者には異なる強さで症状が表出するのだと考え,正常と病気を程度の差異と見做した.これに対してカンギレムは,病理的事実は意識を持った個人のレベルでまず把握され,患者が医者にかかることでデータが蓄積されたり分析されたりすることで生理学が発達し,その結果として医者が生理学により病気の判定ができるようになると考え,ベルナールの主張に反論した.ここでは血糖過多と糖尿の間に腎臓の働きを挿入することで,程度の差異に置き換えることのできない概念の導入をし,正常と病気を程度の差異とする主張に反論した.またカンギレムによると,糖尿病を引き起こす働きを開始する要素は複数あり,病気は単なる特定の器官の働きや身体の構成要素の量的差異ではなく,むしろ個人全体が変質することであり,局所的な量的変異はその変質を判断する一つの指標にすぎない.さらに,カンギレムは聴診器や血圧計などの技術を用いた臨床で得られた情報から医学が生まれるとし,科学理論に対する技術の先行性を示した.
参考文献
黒川利雄,後藤由夫.特別講演 糖尿病の成因の学説の変遷,5 巻,p.56-62,1962 年
中村大介 『数理と哲学ーカヴァイエスとエピステモロジーの系譜』,青土社,2021 年