ジョルジュ・カンギレム
医学・生物学の哲学 (1904 - 1995)
WWII 中に医学部へ
(ナチスドイツに対する) レジスタンス活動
医学の哲学
全ての病気は,正常な状態を構成する程度以上に,種々の組織が過剰に興奮したり,またその程度以下に興奮が欠乏したりすることである
ex. 胃散が過剰に分泌 → 胃潰瘍など,胃液が十分に分泌されない → 消化不良など
ブルセは正常と病気の差異を「量的 (程度の) 差異」に還元した
正常と病気が等質的
→ しかしブルセ自身「正常と病気が程度の差異にすぎない」という見解を貫き通すことの難しさには気がついていた
正常と病気の線引きをせざるをえない = どこまでが「良」くてどこからが「悪」いのか価値判断を下す必要がある
糖尿病研究を見る
糖尿病の典型的な症状 → よく食べる,よく飲む,頻尿
彼によれば,多飲・多食・頻尿・糖尿は全て予め (病気のときとは異なる強さでだが) どんな人にも存在している
糖尿:血糖がある限度量を超えて増大した結果
「生と死の対立,健康と病気の対立などの考えは使い古されて,その寿命がきた.現象の連続性と漸次的推移を至るところで認めよ.」
カンギレムは正常 (健康) と病気を程度の差異」と見做す考えに反論する
20C 前半の医学的見解を用いて反論
現代の科学的成果を用いて過去の科学を裁くことは科学史として問題であることは承知していた
過去の科学を別の文化と捉えて現代の見知からどう過去の科学を再構成するか,と同時に批判をすることは,一般的には危険性がある (過去の科学の合理性も判定しないといけない)
血糖過多と糖尿の間に「腎臓の (可変的な) 働き」を挿入しないといけない
→ 量的な用語 (程度の差異) に置き換えられない概念の導入
複数のファクターのどれか一つが糖尿病を引き起こす働きを開始することがある
→ 病気とはある個人全体が変質することである (局所的な量的変異はその変質を判断する一つの指標にすぎない)
カンギレムの見解
1. 病理的事実は有機体全体のレベルでのみ,人間の場合には意識を持った個人のレベルでのみ,まずは病理的事実として把握される
患者が医者にかかる (臨床) → (データの蓄積・分析) → 生理学 (正常な人間の体の機能を考察する) → 生理学を使った医者による病気の判定 歴史的にはどこかの地点で病気を把握した患者が医者にかからなければ (臨床がなければ) 生理学が発生しない
意識を持った個人が病を訴えて医者と会う,そのときの臨床的情報から医学が産まれる
臨床は技術 (聴診器,血圧計,…) だが生理学は科学 = 技術が科学より先行する
科学理論に対する技術の先行性
技術は科学の応用でない
技術は理論に対して問題のありかを示す助言者かつアニメータ (激励者) である
「慣性は,まさに,運動の方向と変化に対して無関係なものだからである.」
ex. 地球の万有引力は同じ質量の異なる物体 (m=m') を区別することなく同じ大きさの力で両者を引く
有機物 (生命) は無機物と異なり,物を区別して異なった強さで関心 (極性引力) を持つ
ex. A さんはメロンパンが好き,B さんもメロンパンが好きだがその強さは A さんと異なる
生命は環境に応じて自ら規範 (ルール) や価値 (プラスかマイナスか) を作ることのできる存在である
ref
1. 病理的事実は個人によって把握される
2. 臨床の生理学に対する先行性
→ 技術の科学に対する先行性
技術は生命が規範を作っていくという力の一部である
「もし仮に,生命が,出会う諸条件に対して,自分についても他の生物全体についても,無関心だとするなら,そして,もし仮りに生命が,自分の生活する環境の変化に応じて,プラスやマイナスの方向に反応するものではないとするならば,どんな生物も決して医術的な技術を発達させはしなかったろう」
規範と環境
ショウジョウバエの実験
一見,病理的と見える「翅のないハエ」もある環境ではより有利に生存することができる
→ その環境においては翅のないハエは「正常」である (過酷とみえる環境もその生物にとっては正常)
環境に応じて「翅がないこと」をプラスの価値にすることができる
病気と異常,健康と正常,これらはどう概念的に区別できるか?
病気/異常と健康/正常
「異常は空間的多様性の中で生じ,病気は時間的連続性の中で生じる」
病気:流れを堰き止めにくるもの
病気には自分や周囲の人が懐かしむ過去が存在する
ex. 先週では可能だった行為ができなくなる
老いは病気か?
病気は境界があるが老いはそうではない
異常:生きる途中 で出現したとしても体質的で先天的
ex. 腰間接の先天的脱臼
異常が病気になるときはある,しかし異常だからといって病気であるのではない,また異常だけが病気なわけではない
正常:与えられた環境において生存できるように設定された規範
健康:様々な環境下において色々な規範を作り出すことができる
→ 健康とは環境の不正確さを許容する幅が広いこと
(病気になるとはこの幅が得て減ってしまうこと)
「生命の規範は,それが,他の規範が許容しているものと禁じているものとを含むとき,規範よりもすぐれている.しかし,異なる場面には,異なる規範がある.そして異なる限り,すべて値打ちがある.それらは,そのことによってすべて正常である.」