『フランス科学認識論の系譜』
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1994 年 6 月 30 日
キーワード
経験・意味・主体の哲学
知・合理性・概念の哲学
機械:機能がメカニズムに依存する人工的構築物
メカニズム:運動している固体の形態 (条件:その運動がその形態を壊さない)
機械の運動は幾何学的で測定可能な移動
メカニズムは運動を調整するが動因ではない
→ エネルギー源が必要
筋肉労働をエネルギー源とすると生物の運動を機械の運動で説明するのはトートロジー 器官の運動が機械を動かす (機械の運動) = 器官の運動が生物 (器官の集合) を動かす (生物の運動)
is-hoku.icon 生物の運動を説明するために機械を持ち出したが,その機械が生物の器官を動力源としている時点で機械の運動は生物の運動に依存しており,機械の運動は単なる生物の運動の出力の拡張にすぎない?
→ 一定時間自らの中に動因を持つ機械,筋肉以外の動力を備えた機械が必要
動物機械論が生まれるためには,「棒」のようなエネルギーの付与と効果の間に微小な時間差しかないものでは不十分 is-hoku.icon デカルトの時代に自動人形やぜんまい式時計などの筋肉以外を動力源としある程度の時間自らの内部でエネルギーを持ち自足する機械があり,そのことが動物機械論の背景にある? is-hoku.icon 筋肉を動因とする機械しかなかった時代では機械と有機体は区別されていたが,機械の内部に一定時間自足できるための動因が備わったとき機械と有機体を同一視する思想が生まれた?
神の存在
生物が機械の製造より前にそのまま与えられている
→ 神が設計し創造した生物は既存する生物をイデアとしている
機械論と目的性の対立
is-hoku.icon デカルトは機械と目的性を対立するものと捉えていた 機械はある目的を得るためにある効果を生むように人間が作成する
そのために (偶然の集合ではない一定の意味を持つ) メカニズムが必要
→ 機械と目的性は互いに背反しない
有機体は自己修復の能力を持つが機械はそのような能力を持たない
機械の機能は厳密に規定可能
機械の目的性は厳密で単一的 (部品交換可能)
各部品はそれぞれの特有の機能を持つ (=機能代置性が低い)
←→ 有機体の機能は一義的ではない
ex. 胃の摘出は消化機能の喪失だけでなく造血機能に障害をもたらす
有機体では各部分は多重機能性を持つ
「機械学の規則は自然学のそれであることは明らかである.だからすべての人工的事物はその意味で自然である.例えば時計が自らの機構によって時を示すのは,木が果物をつけるのより自然的でないことはない」
メカニズムの各部分は有機的な技術的活動の産物 = 木が果物をつけるのと同じ
機械の各部分は自分の規則を意識しない = 植物がそうであるように
カンギレムは技術を自然な生命活動の一環の中に組み込んだ 認識は制作に先立つのではない
何かを制作した後にそれを理論化する
ex. 蒸気機関
生命は明確な認識を持たないまま技術的活動をする
「認識は技術に先行する」という通念の放棄
人間が使う力学的な道具は人間身体の諸器官が外界に投影されて生じたものである
生物は生命の技術的活動の成果
内臓は生命活動が長い時間をかけて完成させた技術系の成果
生命は機械の生成過程を生物という形で残す
is-hoku.icon カンギレムは有機体を機械と同一視して生物を機械として捉えるのではなく,むしろ機械に対する生命の優位性 (小さい目的性 = 潜在的可能性 = 有機的で試行の存在) を主張し,機械が生命を模倣しようとしているという生命観を打ち出した is-hoku.icon 技術を単なる道具ではなく生命活動の一環とすることで有機体と機械の境界は曖昧になり,もはや生命活動と技術的創作は区別できない
is-hoku.icon 現代まで技術の発展に対応して機械によって生命を記述することはよくあった,時計や蒸気機関で人間を記述するように現代ではコンピュータで例えることがある (思考のベース・宗教 = OS, 記憶 = HDD),また生命を物理的・科学的な要素に還元できるという見方 (DNA,遺伝子) は支配的で人工臓器はその最たるものであるように見えるが,カンギレムは自己修復や規範形成性などの臨機応変性が機械と異なる有機体特有の性質と考えていた (= 動物機械論の限界),一方で人間も動物も技術を使うという点で生命の自己保全の延長に技術の使用があり,そういう意味で生命活動と技術活動が不可分であると,(技術の認識に対する先行や技術が生命を模倣することの例を挙げながら) 技術の根本性を主張する
is-hoku.icon カンギレムの動物機械論の否定は鮮やか (特に機械と目的性は背反しない事柄のため動物機械論の前提がおかしいという指摘の部分) で,生命活動と技術的創作の不可分性を唱えたことは個人的には賛成だが,一方で機械論の拒絶は生気論の支持になり,それは現代科学を随分懐疑的に見る視点であり,少し解釈を間違えれば所謂疑似科学やトンデモ医療の称揚に繋がりかねないと思ったが,生気論と機械論の二項対立自体を否定していて安心した
is-hoku.icon 機械論は限界とはいえ還元主義的な思考は完全には放棄せずに全体性を主張するのはホーリズムに似ている
「技術とは応用科学である」という常識的見解に対する異議
技術史の例
屈折工学はレンズを錬磨する技術から生まれた
熱力学は蒸気機関の改良から生まれた
人は自分が何をしているか知らないまま技術的な制作を行い,これは意図する結果と現実が噛み合っている限り続く
技術的営為と現実の齟齬から理論が成立する
→ 技術こそが科学を生み出す
= 技術は応用ではなく時間的・論理的に理論に先行する
構想と制作の関係
構想は結果的に創造されたものよりも劣る
優れた機械は技術者が作る過程で姿を現わす
美しい彫刻は彫刻家が作っている最中に出現する
→ 超越的なモデルを正確にコピーする (プラトン的な創造理論) のではない 創造の源泉としての技術者という常識的発想への異議
つまりあらゆる技術者はある時点においてこれから何か物を作れる存在 = 源泉
構想と制作の関係も参照しつつ
創造者は十全に意味を知ることなく創造を始め,その過程で構想を変更していく
→ 創造者の卓越性は潜在的な創造の可能性ではなく,実定性 (構想の物的証拠,創造の結果) において 「創造者は創造物よりも価値が高い.だがそれは創造の後にそうなるのであって,創造の前からなのではない.」
技術と生命の関係
技術的創造の起動因は生命がこの世界で感じた居心地の悪さを克服する欲求にある → 技術には生命的な予知不可能性が入り込む
歯は刃であり刃は歯であると言える
歯は堅いものを切断するための機械であり,刃はこの生命の器官の特性の延長
→ 原始的で素朴な機械と生命の器官に境界を設定するのは不可能
技術の先行性は先程技術史を引き合いに出して示したが,ただの歴史の偶然ではなく ↑ のように生命の本性に基づく必然の結果と言える
生命と美的創造理論との交錯ーカンギレムとアラン
生命科学の哲学
主体性の環境理論とその倫理的射程
擬人主義の認識論
記憶と遺伝ー概念の奇形学のために
固定と俯瞰ーダゴニェにおける<風景>
粘稠なる浮動性ー薬の認識論
フーコーのトポグラフィ
危険人物と社会統制