日本語は「分かった感」を醸成しやすい
日本語でのコミュニケーションにおいて確かに伝えるのは難しいのかもしれないtsawada.icon
書き手の問題
そもそも母国語(慣れた表現)であるとなんとなく辻褄のあった文章をサラサラ書ける
日本語を聞き慣れていれば、意味がわからなくても「この表現だとスムーズに聞こえる」文章を作れてしまう
読み手の問題
日本語は5W1Hがなくても文章が成り立つため、認識齟齬がうまれやすい
読み手は自分の中の常識に照らし合わせて文章を補完する
読み手の常識と書き手の常識がずれている場合、補完する部分が変わってしまう
上記問題を踏まえる質問する、確認するというのは日本語圏とくにビジネスコミュニケーションにおいて特に重要
/nishio/日本語が得意すぎる
日本語は得意なので、わかっていないことでもなんとなく辻褄のあった文章にすることができてしまう。
その結果「わかっていない」という事実に気づく機会を失う。
/nishio/箇条書きと接続詞
箇条書きで書けるが文章にすることができない学生がいる
箇条書きの段階で教師がレビューをすると、ちゃんと理解しているように見えてしまう
箇条書きの空白を教師は無意識に補って読んでしまう
学生は「わかっていて書くまでもないこと」を空白にしているとは限らない
「わかっていない」ことが空白になっていることがある
箇条書きを読む速度は速い
しかしそれは空白を補って読むことができる人材であることが前提
教育過程の人材に対しては適切ではない
速く読むと正しいと思ってしまう
読むスピードを遅くすることがクリティカルリーディングに有用