希望と幸福をどうすれば作れるのか
希望と幸福(幸福感)をどうすれば作れるのか
結構、遠大で重大なテーマではある。
一つには、他人を幸福で満たした世界に連れていきたいから。
もう一つは、単純に自分が生きていて楽になりたいから。
幸福は、感情的マイナスがないこととイコールか?
それとも、脳に快があることと、イコールか?
快楽が多く、苦痛が少なければそれで「幸福」というのは、直感的には反論を思いつけそう。
意味:働く意味、生きる意味を、していて感じられること。
やりたい気持ちがやることに接続しているし、我慢しなきゃならないことは、それを今なぜ我慢しているかの理由が自分で分かること。
報われる:努力が報われる、思いが報われる。
与えられる:プレゼントがもらえる(笑)。それは冗談としても、自分を取りまき、関わりかけてくる関係性が、順調であると感じられること。
把握できているとか、見通せているとか、ある種の俯瞰感が大事。
緊張とかプレッシャーとか、「考えすぎ」が精神的な不幸感の主要因に見えがちだけど、全体性へのインプットを増強することに意味があるかもしれない。
[情動と歴史と関係性の把握]
「できる」とか「大丈夫」とか、そういう実感が大事。
因果関係を含めた時間の連続性と、同じ時代の他者や社会との関係性と、自分の内面について、何が起きていて次に何をするつもりなのかが把握できていること。(もちろんブラック・スワンはどこかにいる)
もう一つの「希望」にも似たような問いの立て方ができる。
希望とは、絶望がないことか?
希望は、心に絶望がないことか? 絶望が消えていくことか? 動的に。
それともこれも、そういう種類の快があるだろうか?
これは、単一の状態ではないような気がする。
対比か、ベクトルか、いずれにせよ「相対的に悪かったものが、好ましい方に変化する」
という絵がありそうだ。
心の中にざわめき立つ不安が静まっていくだけでも希望と同じくらいの集中を生み出せるかもしれないけど、行動は生み出せないかもしれないな。
「夢と希望に溢れた」という事態を作り出すことの難しさが思われる。
ただし、絶望が十分に深ければ、あるいは霧がそれくらい濃ければ、それがゼロになるだけで、身体的には希望と同じことを感じられるかもしれない。
どうすれば作れるのか。なんて、
タイトルが大仰な割には、ここに答えはない。
考えるためのノートなのだ。
タグ 見通し、勇気、歴史
from 20181121