寅さんが嫌い
というエントリーが、佐々木俊尚さんツイートに引用される形で、TLに流れてきた。 このリンク先のはてな記事の感想にはまったく同意で、私もあの作品は嫌いなのだ。
考えなしに周りの人を否定してしまう感じが、どうにも人としての善というか美徳を欠いているように感じられてしまうので。
ただ、佐々木さんが別のツイートで述べているように、当時はドロップアウト願望みたいなものもあったし、時代性も変わったのもあるだろうし、ということを考えていて、ふと思いついたことがあるのでメモ。
日本にいるなら、ドロップアウトへの憧れはいつの時代にもあって、例えばそれが今なら「異世界転生」みたいな形で出ているんではないか。 この世界全体からの離脱。
そう考えると、日本から失われたのは、心の余裕というよりは、経済的な豊かさかもしれない。
「定職に着く道から離れても、まあなんとか生きていけるんだろう」という幻想が機能しなくなった。
⇒そう考えると、「せっかく家に帰ってきても、家族と角がぶつかり合って、またすぐ家から追い出されてしまう」というのも、「ひどいことに死んでしまった(そして異世界へ)」というのと同じ、定式化されたプロットではあったのかもしれない。
「思うままやってみたい系の願望」は、『あずまんが大王』のともやゆかり先生くらいなら、まあ笑ってられる。 トランプ大統領くらいまでの力を得れば、社会の中でも存在し続けられるかもしれないけど、やっぱり一般人には難しいかな。
なお、妻さんは好きらしい。風景がのんびりしている感じがリラックスできるらしく、ストーリー(たぶんキャラクターを含む)は、割とどうでもいいらしい。