体験文部分の書き進め方
体験文のじっさいの書きかたの、すこしくわしいことをここで書こうと思うよ。
学校で運動会などの行事のあとの感想文としても書くことになると思う。
そこで役に立つのが、文の種類についての話だったりする。
「ぼくは〇〇した」「〇〇が楽しい」といった、「述語」があって、最後に『。』で終わる、ひとかたまりの単位としての文。それをつみかさねて文章はできているよね。
ここで、その『文』の種類を3つに分けて、その特ちょうについて考えてみよう。そして、その特ちょうから生まれる役わりについてもね。
① 「ぼくはスイミングにかよっています」「夏休みにぼくは海へ行きました」などの『説明』
② 「体をたおして水をける」「まい週 土よう日に、3年生のときからです」などの『動き・五感・データ』
③ 「泳いでいるのが、ぼくは楽しい」「ぼくは、これからも勉強をがんばろうと思っている」などの『感情・意思』
この3種類。これらについて、順に特ちょうを見ていくと、
①の『説明』の文の特ちょうが何かというと、まず第1に、「ほかの人にも分かりやすい」ということ。だから、この成分が少なすぎると、文章が分かりにくくなります。
また、この『説明』の文には、「スイミングにかよっている」→「歩いて10分のところにあるティップネスだ」というような、
「意味の広い説明」と「意味のせまい説明」があって、広いほうの説明から、順番にしていくことで分かりやすさが上がる特ちょうも持っているよ。
次に、
②の種類の文が出てくると、文章に はく力が出ます。臨場感というのが高まりやすいんだ。
その感覚を、《いきいきとした文章》なんて表現する大人もいるね。
なので、この成分が少なすぎると、「内容がうすい」「個性がない」「印象にのこらない」感じになる。
そして、
③の「感情・意思」が文章に出てくると、読んでいる人の気持ちが前へ前へと進みます。
文章の中で、「物語の感じ」「人間のいる感じ」が伝わってくるようになるんだよ。
だから、この成分が少なくなると、「どこか遠い国の天気予報」を むりやり聞かされているような、「たいくつ」な印象になるんだ。
さて、こんなふうに「少なすぎるとこうなります」という形で、3つの特ちょうを話してくると、
「じゃあ、この①②③を、かわるがわる順番に使えばいいってことじゃない!?」
という発想になってきますよね。その通り!
とくに体験文の書きだしでは、そうなります。最初の6文(2セット)か9文(3セット)くらいは、そのようなリズムで書き進めるのがいいですよ。
『い・り・た・ま・(ご)』の一部分として書く場合には、『た』の長さはそれほど長くならず、つかう文字の数もそれほど多くはならないので、それだけでいいかもしれないくらいです。 学校の感想作文の場合だと、体験だけで『はじめ・なか・おわり』を作ります。このときには、『はじめ』はこれでいいとしても、『なか』と『おわり』には、またべつの 割り合いがあってもいいかもしれません。