中心的自我というものがない気がする
なりきる能力、求められる姿で振る舞う能力
たぶん、そういった能力が高いがゆえに、出張所としての「〇〇するとき用の自我」というものが、次々に作られる。
単に自動化回路ということではなく、価値観が組み立てられる。仕事をしているときは、速度が最優先、とか。 もちろん、「一所懸命」とか「純粋」とか、『それを生み出す要因となる特性』はある。
でも、それぞれの子人格は、元とは少し変わっている。一歩、その世界に向けて踏み込んでいる。
もちろんその各種自我のいる場所をプロットして計算すれば、重心座標の位置は算出できるだろうけど、そこに何か能動的な意味があるわけではない。 北極星としての役割は持たせられるかもしれないけど。