イメージとして扱われることの苦しさ
「電車の中できちんとすわるひとは、うつくしい」という啓蒙ポスターを作るとしたら、どんな人をモデルとして使うだろうか。 たぶん見目麗しい人で、女性なんじゃないかと思う。
逆に、「そのタバコ、迷惑になっていますよ」「背中の荷物、うしろで迷惑になっているかも」というポスターだったら、太って小汚いおっさんとか、傍若無人なヤンキーの若者が使われるんじゃないかと思う。 で、前者の場合、「なんで、女性だからってきちんとしないといけないの?!」「女性だけがきちんとしていろという意味か!」とお怒りの反応として声が上がる。
でも、その陰に取り残される格好で、
『おっさんと言えば、たいてい小汚い』というイメージが存在している。
美しくない女性が、「美しくなければ、女性は存在していてはいけないのだろうか」と思ったり、 「おっさん? どうせ小汚いのが応募してきてるんじゃないの?」と中年の男性が、誰かの応募に引っかからなかったり。
どっちがより苦しいんだろうなあ。