『きのう何食べた?』
きのう何食べた
第3巻で急におもしろくなる。
さびしさ、生活のリアル。
料理(「食」)を軸にして、「生活の中の小さな喜び」というか「幸せ」みたいなところで評判になった作品かな? くらいの前知識はあった。 「でもなあ、「男×男」なんでしょ? 自分が楽しめるかなあ」という不安はありつつ。(しかも、料理に(というか食に)興味がないのに。) で、実際読んでみると、濡れ場どころか恋の都合のいい熱さの描写すらほとんどなく、淡々と話は進む。「恋愛的 “好き” を契機として同居にいたった2人の現代人的個人の生活の中の心象」ということで、むしろ好きなテーマだった。 それだったら、わざわざ男同士という、間口をせばめる切り口を加えなくても、百合で、いや、それすらなくて男女でよかったんじゃない? とは、素人考えには思う。 でも、それじゃ無理だったかもなあ、ともうっすら思う。
そういう大きな舞台構造を先に入れないと、男の生活と恋愛と人生(老い)に関するリアルって書きにくいものなのかも。体面もあるし、女の前では強がっちゃうし、なにより男社会って超個体(蟻のコロニーのような)みたいに精神的に同質的に集約されてしまうから。個が、見えてこない。 3巻の後半に、主人公が「いま別れたとしたら、人生でよりダメージが大きいのは自分だと思う。この歳から、また相手を探して好きになってって考えると、そのめんどくささが大きすぎてそのままずっと一人かも、というイメージも浮かぶ。そんな悲しい展開にならないように、普段から相手のことを大事にするんだ」というようなセリフがある。(不正確な引用かつ勝手な補足付き)
「めんどくさい」というフレーズが本当にある。
これを男女の恋愛で書いていて、男キャラの方に言わせてしまったときの風あたりの強さの予想。 この舞台装置があるから、この発言をさせることができた。そういう側面もあるのかもしれない。