『うわさとは何か』の読書メモ
位置: 562
うわさは人から人へと伝わるなかで、もっともらしく変容していく。しかし、歪んでいくだけなのか。
メモ | 位置: 563
うわさとは「あいまいな状況にともに巻き込まれた人々が、自分たちの知識を寄せあつめることによって、その状況についての有意味な解釈を行おうとするコミュニケーション」
メモ | 位置: 565
戦争中や災害後など危機的状況では、政府の公式発表やマスメディアなど制度的チャンネルを通じて伝えられるニュースだけでは十分ではなく、人びとは事実のあいだの空白を埋めるような説明を求める。
メモ | 位置: 567
あいまいな状況を定義しようと人びとが話し合うなかで、さまざまな情報が評価、比較吟味され、もっともらしいものだけが残っていく。
メモ | 位置: 568
だから、うわさは既存の価値観や知識と矛盾するものは稀であり、人から人へと伝わるなかで次第に正確になることも珍しくない。
メモ | 位置: 475
いずれにしても、得た情報をそのまま鵜呑みにするのではなく、自分なりに批判的にチェックできるかどうかが重要である。その意味では、情報に対する批判力とは、うわさ対策のためだけに必要なものなのではない。うわさに限らず、政府や自治体など公的機関の公式発表や、マスメディアなど制度的な情報流通チャンネルから得られる情報、インターネットから得られる情報とつきあう際にも批判力は重要で
位置: 480
位置: 656
その上で、人びとが日常生活で容易に接しえない事実や、接することができてもよく捉えることのできないような事実が報道対象となると続ける。たしかに、新聞やテレビで報道されるのは、政局であったり、経済情勢であったり、事件や事故であったり、いずれにしても、私たちの身の回りの出来事では
位置: 659
流言蜚語も同様で、
(中略)ゆえに、一般的に報道と流言蜚語は事実であるか否かで区別できると考えられているが、
位置: 661
両者とも容易には接することができないことについての情報である以上、事実かどうかの区別は、その内容からはできないのである。たとえば、「総理大臣が重病である」という話は、ほとんどの人にとって、それだけでは報道なのか、流言蜚語なのかは区別できない。
ラジオの火星人襲来について
メモ | 位置: 463
まず、番組のなかに手がかりを見出して、本当であるはずがないと考えた人びとがいる。かつて読んだ『宇宙戦争』を思い起こした人やオーソン・ウェルズの声に気がついた人、さらには放送内容自体の非現実性に気がついた人もいた。たとえば、こんなに短期間で火星から地球に宇宙船がやって来られるはずがない、というわけ
位置: 466
このように情報自体の妥当性や真実性を検討することを、キャントリルは「内在的チェック」と呼んでいる。 位置: 467
もう一タイプは、ほかの情報と照らし合わせることでドラマであることに気がついた人びとである。ほかのラジオ局にダイヤルを回したり、新聞の番組欄を調べたりした人たちがいる。家族や友だち、警察や放送局に電話で問い合わせた人も
位置: 469
位置: 470
もちろん、このようなチェックを行い、失敗した人びともいた。たとえば、警察に電話したところ、誰も出なかったので、「現場に出ているに違いない」と考えた人がいる。あるいは、電話した相手も放送を聴いていてパニックに陥っていたため、慰め合うしかなかったケースもある。ほかのラジオ局に回したところ、通常の番組をやっていたため、「おかしい」と気づいた人もいるが、たまたま教会音楽を流している局に回してしまい、みんな死を待ちながら神に祈っていると思った人もいたのである。
⇒こうやって、不幸にも思い込みが強化されてしまった人を再度脱洗脳するのは、大変そうだ。歴史の終わり幻想 位置: 1,222
うわさのパターンを知っていれば、同じような話を耳にしたときに「あれ? おかしい」と思うことができる。
位置: 1,223
少しでもうわさに疑問を持つことができれば、その後は第1章で述べた内在的チェックか外在的チェックのどちらか、あるいは、両方によって確認することにつながる。だからこそ、こういった過去に広まったうわさや都市伝説の類型を知ることが、うわさ対策として重要である。
メモ | 位置: 141
もちろん、大勢の人が物不足のうわさに従って、いつもなら一パックしか買わないものを、二パック、三パックと買ったからこそ、うわさが現実化したのである。
位置: 146
うわさに従い、いつもと違う行動をとった人びとを、騒ぎが収まった後に「うわさに踊らされた」と責めるのはたやすい。しかし、うわさの渦中にいる人びとにとって、物不足はあくまで「本当のこと」である。「手に入るうちに買っておこう」というのは、ある意味で合理的な行動である。実際に商品が手に入らなくなってしまうから
メモ | 位置: 655
メモ | 位置: 757
取り締まりの対象になったのは、戦況に関するものだけではない。たとえば、「軍隊では馬でも砂糖を食っているらしい」「巡査の奥さんが重い風呂敷包みを提げていたので、馬車屋が同情して馬車に積んでやったら、なかから米が出てきた」などといったうわさも広く流布した。
位置: 759
これらのうわさの背景には、厳しい生活を強いられるなか「一部の人間が得をしているのでは」という人びとの嫉妬に似た感情がうかがえる。
位置: 762
同時期の米国でも、同じようなタイプのうわさが多数広まっていたことをオルポートらが取り上げている。たとえば、「海軍は貨車三台分のコーヒーを、ニューヨーク港に投げ込んでしまった」「蒋介石夫人が訪米したときに、同行した秘書が宝石店で多額の買い物をし、代金を対華武器貸与事務所で払うと言った」といったものである。
位置: 765
ナンセンスなうわさに思えるが、戦時下の耐久生活が続くなかで、「実は軍隊が無駄遣いをしているのではないか」「実は連合諸国はそれほど信用できる相手ではないのではないか」といった人びとの意見や感情がうわさになって現れ出たのである。
位置: 767
こういったうわさをオルポートらは「分裂デマ」と名づけ、人びとの憎しみと反感を反映するものであり、銃後の士気にもっとも影響力を持つとしている。だからこそ、米国戦時情報局もうわさを蒐集した上で否定し、同時に「正しい」情報の広報に努める必要があったのである。
メモ | 位置: 787
表だって外国人に対する差別を口にする人は多くはない。しかし、見慣れない姿の人が身近に増え、言葉が通じないことや習慣が違うことなどに、漠然とした不安感を持っていると、こういったうわさが「もっともらしく」思えて
位置: 789
犯人はイラン人の三人組だとのうわさを聞かされた主婦が、「捕まってもいないのになぜ国籍がわかるのか」と聞き返すと、「中近東系の人」と散歩仲間が言い直したという話が新聞記事に紹介されているが、このエピソードはうわさを「もっともらしい」と思う人と「あれ? おかしい」と思う人の「違い」を明らかにしているだろう(「『イラン人が主婦襲う』偏見デマ走る」『朝日新聞』一九九二年七月四日
位置: 793
「差別意識などない」と言いつつ、「デマかもしれないけれど、念のため注意したほうがいい」とこのうわさを口にする人には、いったい何に注意をするつもりなのかと尋ねてみたい。注意するという対象は、見た目が「日本人」とは異なる「外国人」なのではないか。そのような視線が同じ地域に暮らす外国人への偏見・差別につながって
位置: 796
このうわさの事例を挙げて、人びとの差別意識を糾弾しようというのではない。むしろ、このようなうわさに「ひょっとしたら」と思ってしまう「自分」と向き合うきっかけとして、このうわさを考えたいので
⇒いや、断じたいね、私は。
パターナリズムと言われようと、「時の政権に都合の悪いことが恣意的に取り締まられる余地が出てくる」と言われようと。
治安、引いては最大多数の最大幸福(公共の福祉課に反するよ、それは。
位置: 933
大学病院や軍の病院など普通の人は内部に入ることができない場所では、一般社会ではありえないことが行われている――そんな想像力がかき立てられるのであろう
メモ | 位置: 807
井の頭公園でボートに乗ったカップルは別れる」というような都市伝説はどのように考えたらよいのであろうか。このようなうわさには情報としての価値はあまりなく、意見の発露でもない。取り付け騒ぎやパニックのような社会現象を引き起こすこともなく、爆発的に広がることも
位置: 810
また、ある種のゴシップのように、情報としての「内容」が重要なのではなく、うわさというコミュニケーションを行うこと自体が目的となるような場合も
位置: 853
一年生は二年生以上と比べてうわさを聞くことが多く、また、一般的にうわさが場を盛り上げる効果を持つと認識しているほどうわさを伝達していたという。
位置: 854
このことから竹中は、大学入学直後の一年生のあいだでは、まだ親しくない相手との会話のなかで、場を盛り上げ、コミュニケーションを円滑に行うためのツールとしてうわさが利用されていると推測している。
位置: 856
一年生のあいだで流れるうわさは、情報を伝えることが目的なのではなく、相手とコミュニケーションをすることが目的であるのだ(「対人コミュニケーションの観点から見たうわさの伝達」)。
位置: 859
大地震の後にはしばしば余震に関するうわさが流布する。これは、「地震が再び起こる」という情報を伝達しているだけではなく、「『地震が再び起こるかもしれない』という不安を吐露したい」や「とにかく誰かと話をしたい」などという感情に根差したものであることは、これまでにも指摘されてきた。
⇒ああ、気持ち悪い。
事実であることが二の次になることも気持ち悪いし、別の意味性が加わることで、単純に分析できなくなることも、気持ち悪い。
位置: 2,007
> 汽車が先にあつて、後から用事が起こるのが普通である。歩いて行くよりは汽車に乗つた方が便利ではあるが、実際の場合は、汽車さへなければ大阪に行く用事なんか起こらないであらう。いくら汽車が早くても、あるひは飛行機で出かけるとしても、行かないよりは時間がかかる。
位置: 2,010
「汽車がなければ大阪に行く用事など起こらない」のと同様、電話やケータイがなければなすべき連絡などなかったはずが、それを手にしたことによって伝えるべき用件が生まれ、「用件」の質も変わっていく。
位置: 820
マスメディアの発達と消費社会の浸透を受けて、人びとはマスメディアが提供する情報の受け手、大量生産される商品の消費者として位置付けられ、その角度から社会の特徴を捉える議論が生じる。大衆社会論で
メモ | 位置: 1,077
誰もが怪談話の語り手となるのではなく、語りがうまい子が話し、合いの手を入れながら聞き手として参加する子がいた。ただし、聞き手が「え~うそ!」「こわい!」などと語りの場に参加することは、うまい語り手の存在と同じぐらい重要で
メモ | 位置: 1,181
しかし、このうわさを否定した場合に返ってくる反応の一つが以下のようなものだ。 事実でないことはわかった。でも、実際に子どもが事件に巻き込まれることがあるのだから、「子どもから目を離すな」っていうメッセージはきわめて重要である。だから、デマだと否定しなくてもいいのではない
位置: 1,185
しかし、これには二点から反対したい。まず一点はすぐに誰もが思いつくであろう、ターゲットにされた店舗や娯楽施設が不利益を被ることになること
位置: 1,188
そしてもう一点は、うわさが漠然とした「治安悪化」のイメージを広めること
⇒「漠然とした」
位置: 1,205
必要なのは、漠然としたイメージではなく、実際にどんな場所で子どもが犯罪に巻き込まれているのか、正しい状況把握であり、それに基づいた対策である。誤ったうわさに基づき、実際にはなかった危険に怯えるのは得策で
メモ | 位置: 1,261
知りたい・言いたい・つながりたい
位置: 1,267
まず、情報としてのうわさは「知りたい」が中心である。自分が巻き込まれた状況がよくわからないため、その状況を理解したいと思う。同じように思う人たちがコミュニケーションを重ねるなかで生まれてくる情報がうわさで 位置: 1,270
一方、世論としてのうわさは、「言いたい」が鍵になる。言論統制下にあって言いたいことが言えないがゆえに、うわさのかたちで言いたいことを表明
位置: 1,272
ゴシップ(人に関するうわさ)が悪口になりがちなのは、表だって言えないことがうわさになるからだ。「言えないけれど言いたい悪口」がうわさの形式を借りて表明され、広まっていくので
位置: 1,274
そして、うわさに参加する大きな動機がもう一つある。それは、人と「つながりたい」である。人と人との日常的な会話、すなわち「おしゃべり」を通じてうわさは伝わっていく。人との関係を築く上で、うわさは役に立ってきたので
メモ | 位置: 1,284
「私にだけ特別に秘密を教えてくれた」のであれば、自分がちょっとした秘密の情報を得る機会があれば、その人には真っ先に伝えようと思う。後日、そんな機会がやってくると、「ここだけの話」を今度はあなたからその人へ伝える。こうして、ますますその人との〝つながり〟=関係性が強まるので
メモ | 位置: 1,287
被災地での地区単位のライフライン情報など、政府の公式発表やマスメディアなど制度的チャンネルでは伝えられることのない情報はもっぱら口コミ=うわさで
位置: 1,289
こういった 人伝 でしか入手できない情報とは、言い換えれば、誰もが入手できるわけではない情報でもある。それを誰から入手できるかと言えば、自分と関係がある人からで
メモ | 位置: 1,301
うわさを通じて気持ちを共有することも、人との〝つながり〟=関係性を強めるのである。 だからこそ、うわさを伝えてくれる相手には、その内容が事実に反するのではないかと思っても、なかなか言い出しにくいのである。せっかく「私」に伝えてくれたのに、正面切って否定すれば、相手の好意を無にすることになるから
メモ | 位置: 1,304
相手が「事実」だと確信しているようなら、相手が情報の真偽を見抜けなかったと指摘することにもなる。もっとも「ウソではないか」と疑問に思っても、自分自身その確証が持てない場合も多いだろう。だとすると、あえて疑問を出すことはし
位置: 1,306
もちろんそれでも、事実関係が重要な話であれば、疑問を呈するかもしれないが、その場合でもやわらかく、相手との関係に配慮し、相手の 面子 をつぶさないようにするはずで
位置: 1,314
誰かと顔を合わせると、何らかの話題が必要である。久しぶりに会う相手なら、お互いの近況を話すだけでもある程度時間が経つことだろう。しかし、そのうち話すネタがなくなってしまい、お互いの状況が違うと話が盛り上がることもない。そうなると、昔話で
メモ | 位置: 2,390
私」がその情報を入手したからといって、情報の送り手に「恩義」を感じる必要はない。掲示板やツイッターなどでは、真偽が疑わしい情報に対して、しばしば「ソース(情報源)を出せ」というコメントがつくのだ
メモ | 位置: 1,337
話題に困ったときや場つなぎ、時間つぶしの話題として、共通の知り合いのゴシップ(人に関するうわさ)に花が咲くことは多い。お互いに知っている人の話なら、面白く、話も続くものである。あるいは、初対面の相手と話しているうちに、共通の知り合いがいることがわかって、「世間は狭いですね」などと盛り上がることもある。「共通の知り合い」は場つなぎになるだけでなく、初対面の相手との距離を縮めてくれるの
メモ | 位置: 1,366
つまり、海部町のゴシップは、よそ者をコミュニティに受け入れるためのゴシップでもあるの
位置: 1,371
陰口となることも多い。
(中略)しかし、その人に関心を寄せるからこそ、ゴシップは生まれるので
メモ | 位置: 1,327
しかし、そもそもどうして列車内で読書するのか。ドイツの歴史学者ヴォルフガング・シヴェルブッシュによれば、車内で読書するという「習慣」は鉄道の誕生後すぐに生まれたものだ
位置: 1,331
相手はすぐに降りていき、違う人が乗ってくる。旅人は早く目的地につくことばかり考え、イライラするようになる。お互い話すこともなく、数分ないし数時間、鼻をつき合わせて見つめあうような状況は、鉄道によって初めて生み出されたのだと
位置: 1,333
このような状況をやり過ごすための小道具としてキオスクで売られるようになったのが書籍である。ゆえに、車内での読書とは、目の前の人との関係を避けるために生まれた「習慣」なので
位置: 1,335
その小道具が書籍からウォークマンやケータイ、スマートフォンに代わっただけであり、「活字離れ」の象徴などと考える必要はないの
位置: 1,336
対面の人間関係からの撤退というなら、それは一九世紀に始まっていると言えるだろ
メモ | 位置: 1,343
まずは、情報機能である。ゴシップはある人についての情報を知らせてくれると同時に、社会環境に適応するための情報を伝えてくれる。たとえば、仲間の一人がデートで失敗したというゴシップは、デートでどのように振る舞うべきかを間接的に教えてくれる。また、仲間の評価を知ることで、自分の考えや意見の「位置」を知ることも
位置: 1,347
二つ目は、集団規範の形成・確認機能である。一般的に「暴力はよくない」という規範は共有されているが、一方で「体罰」を許容する集団がある。その集団では、具体的な事例などを通じて「愛のある体罰は許される」という集団規範を
位置: 1,349
具体的な事例――人についての情報を集団で評価することで、その集団における規範が作られ、確認されるので
メモ | 位置: 1,491
しかし、これらの話が事実かというとかなりあやしい。たとえば、歴史学者の原田勝正は当時の生活習慣を考えれば、客車に乗り込む際に履物を脱ぐことはあっても、下足番がいないとなれば、履物が紛失しないように持って乗り込む常識は持ち合わせていたのではないかと推測している(『明治鉄道
位置: 1,495
使ってみた。声が聞こえて驚いた」「意外と汽車は遅かった」。もちろん、そんな話もするだろう。しかし、少し「盛った」ほうが話のネタになり、笑い話と
位置: 1,497
実際に利用されるだけでなく、話題になることも増えることによって、電話や汽車は人びとに理解され、身近なものとなり浸透していくので
位置: 1,507
有害メディア論」は見慣れないものを排除するだけではない。荻上の言葉を借りれば、「流言は単なる排除のためにではなく、秩序化のために流通する」のである。短期的にはバッシングされ社会問題化した新しいメディアは、浸透するにつれ教育に取り込むことが検討さ
位置: 1,510
さらに普及すると、日常生活の一部となっていき、当たり前の存在になると、次の新しいメディア批判の根拠と
位置: 1,588
しかし、フォークロア同様、実はニュースも文化的に構成された「物語」である。重要であったり興味を引いたりすることについてのストーリーなのである。つまり、ニュースは客観的に事実を描いているというよりはむしろ、「ニュースに値する」と判断された「お話」なのだと
位置: 1,591
その際、重要なのは、ニュースは「特定の文化的な不安や関心」を反映し、強化することだとバードは続ける。このためうわさやフォークロアから私たちの関心を集めるような題材を採ったメディアは、気がつかないまま、その話を「事実」として広めるので
位置: 1,594
米国ではある時期からハロウィンに毒入りのキャンディーやカミソリの入ったリンゴを用意している人がいるらしいという報道がなされるようになる。しかし、調べたところ一九八四年までは自分の子どもに毒入りキャンディーを食べさせた親以外に、そのような事実はまったくなかったと
メモ | 位置: 1,879
ちなみに、電話やメールを使うようになると対面で話をしなくなるとの俗説があるが、多くの調査データが示すのは逆方向、つまり、通信メディアを多く利用する人ほど対面でのコミュニケーションも多い傾向に
位置: 1,885
ただ、電話の中心的な使い方はまったくの新しい関係性の構築というよりむしろ、つながりたい相手とつながることだ。電話によって、つながりを維持したい相手とは、物理的な距離に関係なく、つながりを維持しやすくなったので
位置: 1,919
ゆえに、ケータイが選択的関係の「原因」なのではなく、都市的=選択的な人間関係を望む傾向が強まるなかで、選択的な関係性を築き、維持する上で役立つからこそ、ケータイが普及したのであり、同時に、ケータイの利用によって選択的な関係性を維持しやすくなっていると考えたので
メモ | 位置: 2,367
ゆえに時空間を超えて考えが似た者同士が集まりやすく、そのなかで議論が繰り返されることによって、集団分極化が促進される可能性が
位置: 2,370
日常生活のなかでは、周囲の人たちがあるテーマについてどのような考えを持っているのか、把握することは容易では
位置: 2,372
あるいは、自分が持っている考えは少数派とみなされているかなどの推測はできるのだが、実際に多くの人に考えを聞く機会はなかなか
メモ | 位置: 2,406
他者に対する信頼性はインターネット外の現実の世界のほうがインターネットの世界より高いものの、一般的互酬性はインターネット上のほうが現実世界より高かったと
メモ | 位置: 2,665
6‐4は、同じ東京大学大学院情報学環の二〇一〇年調査で、パソコンからのインターネット利用者がそれぞれの領域の情報を得る手段としてテレビとインターネットを選んだ割合で
位置: 2,667
ニュースと天気予報はテレビのほうが、「旅行・観光情報」「ショッピング」はインターネットのほうがよく利用されており、「健康・医療関連」「グルメ情報」は拮抗している。ただし、二〇〇五年の結果と比べると「旅行・観光情報」「ショッピング」ともインターネットの利用者が大きく増加して
位置: 2,670
大別するなら、ニュースはテレビが選ばれ、娯楽情報はインターネットが選ばれているので
メモ | 位置: 2,839
母親という社会的役割において、日常的なおしゃべりのなかで、うわさや口コミを通じて得られる情報はきわめて重要で
位置: 2,840
たとえば、ゼロ歳の下の子どもの世話をしつつ、三歳の子を思いっきり遊ばせることができる場所はどこなのか。片方の子だけ具合が悪い場合、元気な子を病院にはあまり連れて行きたくない。予約が取れて、短時間で済む評判のいい小児科はどこなのか。ピアノやスイミングの教室の評判は? 新しい担任の先生はどんな人
メモ⇒こういう情報を「得たい」という気持ちそのものを弾劾したい。
位置: 2,843
地元の母親ネットワークから得られるこういったきめ細やかな情報は、貴重で役に立つ。もちろん、なかにはインターネットで得られる情報もあるだろう。しかし、子どもを預けたり、食事を差し入れたりしてもらえるのは、具体的な〝つながり〟=関係性がある相手である。そんなお互いさまの〝つながり〟=関係性の精神的・物理的サポートを得て、私は母親業をこなしてき
位置: 2,847
サポートを得たいから〝つながり〟=関係性を築いているのではない。日頃から顔を合わせ、メールをやりとりし、おしゃべりをして生まれた〝つながり〟=関係性は、それだけで楽しく、ストレス解消にもなる。〝つながり〟=関係性があってこその、サポートであり、地元の情報であるの
⇒確かにそうなんだけど、そういう「親しい相手にだから教える情報」があって何とかやっていける、という状態が、生理的になんか不愉快。
⇒それくらいだったら、全員が公共情報以上のものを受け取れずに、平等に全員不幸になったらいいのに、という乱暴な感情が無意識下に湧く。