「考える」についてのノート2018
まず、サッと思いつきそうなありがちなことことは、(別の機会に書くだろうから)おいておく。
日本教にからめるとか、(イドラ?)
道徳と幸福(21世紀の)とか。(守備範囲という意味で)
「考える」の技術について考えるとき、一つの不満がある。
ツイッターでセンセーショナルなニュース見出しを見たとする。
で、そこでなんらかの意見(と何がしかの理由)を思いついて、それで終わりになること。 これは、そもそも、ツイッターの1ツイートにかける期待がもともと期待しすぎだったという側面がある。 ツイッターの、特にタイムラインは、流れてくる情報を
いらない
知った
覚えておく
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RT
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リンク先の記事を読む
ということを高速で分類しているに過ぎない場だとも言えるから、 深くしずかに考える。
これは何か?
情報が本当なら、何が言えるか?
それを確かめられる情報源を探す方法はないか?
それは本当か?
知らないことは何かないか?
自分は何ができるか?
それは自分のすべきことか?
トリガー(問い)が必要。
知ってる分野の高度な本
知らない分野の本
この場合、どれがいいのだろうか。
本当は、「現実に新しい補助線を引いてくれる言説や知識」を期待したいところだが。 定期的に、あるいは恒常的に。
私ののアウトプットの場合、「こわす・新しくする」というような“広げる”書き方をそれほどしない。 どちらかというと、一点に集約するような書き方をする。
これは、説得とか抗弁とか「共感してもらう」とか、そういう動機があると考えられる。
ここはハック可能だろうか?
結論を決めずに、問いから書き始める。 (そう、つまりは、こんな風に)
くっている2つのカードから、新しいアイデアが発する
また、「考える」について考えるとき、何が成果として望まれているのか、という問題もある。
a
b
タネを思いついていく(頻度またはストックを増やす)
漫画的な
「頭がいい」というイメージはどういうものだろうか。 おそらく生まれて最初のイメージは、
「待て、猪突しても無駄だ」
「こんなこともあろうかと」
か、メガネ君的な知識の多さだろう
パロディ的に民明書房
推理小説作家への、「なんでこんなすごいアイデアを思いつけるんだろう!」という感嘆もあるかもしれない。
学校世界の中では、
天才数学者が少年時代に全ての専門書を読破していた
授業を聞いたら一度で覚える
テストで高得点
社会に出ると、
みたいな要素がそれぞれつけ加わる。
だけど、それは表層に現れた要素で、そんな都合良くて強力なものはないんじゃないかという疑いを持つ。
氷山の一角なのでなないかということ。
推理小説作家は確かにすごいが、それでも熟練の職人という側面もある。 知的であろうとすることへの、執着と習慣が土台にある。
練習があって試合があるんだけど、試合はまた次の成長と試合への気づきと実戦練習でしかない。的な、途上感。 そういう知の姿勢を持つことで、単純にいくつかの効果が期待できそう。 考えたことのある回路、それを類似の案件に当てはめられるケースに遭遇できる確率があがる
それなりにセンセーショナルな事件に出くわした場合でも、衝撃を包み込むように、それなりに冷静で複雑に考えられる
感情を爆発させることを軽侮すべき
本能的・あるいは伝統文化的に一定の「いい悪い」がある場合でも、理性的に判断する「いい悪い」がそれに反するなら、理性を尊重する 精神の健康と平行を保つ
無益な殺生をした人でも、一発で悟ることはあるかとしれないけど、まだの人が悟りの境地に近いところにいたいのなら、無益な殺生はしない方が近づけるよね、的な。