「心にうったえる文書を書く」とは「いい話にする」ことではない
頭がよさそうに見せる、心がたくましそうに見せる。
そんな風に「読むひとの心にうったえかける文書を書く」といっても、これは「『いい話』にする」とか、「感動させる」ということではなく、どちらかというと
「ワル者でいいから、はく力があるほうがいい」
というほうが近いです。
そういえば、映画などの大きな話の大ワル者が、お話の最後のほうで、主人公から「なんでそんなことをするんか!」と言われて、
「こんなつらいめにあって、俺は人間をにくむようになった」
なんていう風に『体験』を話すことがありますけど、やっぱり迫力がありますね。
だから、ひとつのアドバイスとしては、
かっこわるいことや、はずかしいこと、いやだった思い出を作文に書くことからは
にげないほうがいいよ。
たとえば
「やったのは自分じゃないのに、かんちがいで怒られてくやしかった」とか
「戦隊もののテレビを見ていることをバカにされて泣いた」
というような体験を書くことは、武器になるんだ。
また、『いいこと』や『努力』を書くときには、「ささやかな」ことをこわがらないほうがいい。
「雪かき」とか「ざっ草とり」の楽しさをいきいきと書けると、それは強さになる。
「とおい国に海外旅行に行ったとき、」とか「てつ夜で勉強してみて、」というような体験には、どうせ上には上がいるからね。
『いやだったこと』や『ささやかなこと』を作文に書くのは、どちらも勇気がいると思う。だからこそ、練習のときからたくさん勇気をつかってうまくなっておくと、本番で有利になれるよね。
そんな風に「りゆう」と「たいけん」の力を使って、自分の意見を覚えていてもらうことが、作文の練習をとおして身につけたい力だということができるんだよ。