2024/3/6-2024/3/10
▷「ドクタースランプ」って、考えてみたら、研究がうまくいかないせんべえ博士のことなのか。「崖の上の」みたいに、「アラレちゃん」の上に付いたら、本来はいけないやつなのか?
▷私もドラゴンボールを楽しんでいた時期はあったのだけど、乗り物などのメカニックに連れたことはそんなになかったかもしれない。割と特異的なのかな、これは。
▷魔王を倒してさえいれば、魔法使いが前衛もなしに一人旅を続けられるんだな......
▷子供が課題を抱えて、かつ機嫌が悪かったりすると、相談してきても、それが「これ!どうしたらいい?(それ以降むっつり)」みたいなことがよくある。
「達成したい基準としてはこれで、ほかに付随してクリアできないといけない問題としてこれとこれをそれぞれやり過ごしたいと思っていて、現状
▷現状としてこういう素材までできあがったものがあって、それには経緯としてこういう事情があるからそのままでは使いにくいと私は思っていて、手の付け始めどころとしては色々あるけど、その前に私としては第一手の選択肢としてはA/Bどちらがいいこなってことが引っ掛かっちゃってて」みたいなことを
▷つらつら言語で仕様を説明してくれない。それをしてくれたら、「一つ目はこうしょう、二つ目はこうしたら?3つめはB」とか考えられるのにな、と。
▷多分そのとき、「分かるように説明してくれなきや分からないよ」「相談に乗って欲しいんでしよ?分かるように説明できたら、協力してあげられるのに」みたいなこちらの態度が、さらにイライラを助長しちゃうんだろうな。(まあ、そこは反省だが仕方がない)
▷「私が一番苦しんでいるんだから、相談者づらをしている時点で、事者意識がない。私と同じ思考空間に来て、悩みも同じように感じるくらい、課題の配置を感じてくれれば、この難しさの切実さが分かるはず。まずそこまでは自力で来てから、同じオウナーシップで、一緒に課題を見つけるところから
▷付き合ってよ」くらいの感情を発しているように見えてしまう。
いや、こっちの寄り添い力のなさも事実だけど、その感情の構造も、相当に理不尽だからね?! ってなる。
私は理不尽を嫌う個体なので、その感情を抑えつつ向き合おうとすると、どうしても態度が悪くなるんだよな。ループができてしまう。
▷共感は脳の先読み回路を駆動してくれるので、文の滑らかさや、筋書きのワクワクやハラハラ(次に何か起こりそう感)を、ある程度肩代わりしてくれる。他で120点を叩き出せているのなら、切ることもできるけど。
小説に描かれている人物の境遇や状況に共感できないのでダメ、という感想をまた見かけた。
考えさせられる。
▷アプリGPT3.5よりエッジcopilotのほうが話しかけ甲斐はあるな......。
▷(ただ、実際に作ろうとすると、特定の誰かに便宜をはかる回路やバックドアが入っていないかどうか、チェックするのが大変そうだな)
▷まあ、聖母機械というかマザーコンピューターというか、そういうものに委ねていくことになるでしょうね。 twitter.com/rashita2/statu…
▷昔読んだ本だと思うんだけど、歴史っぽい文脈で、敵対勢力と戦って、捕虜は車輪の背丈よりも大きい大人は殺され、子供は慈悲でもって助けるみたいな記述があったと思うんだけど、どこの世界の話か思い出せない。
▷RT @gerogeroR: これなぁ。関西の水道局ってだけで裏を読まないといけない案件なのよ。関西人はわかる。 twitter.com/beConjuror/sta…
▷『転生したらスライムだった件(1)』( 川上泰樹、伏瀬、みっつばー) honkure.net/rbook/archives… @rashita2より
▷@rashita2 転スラとシムシティ市長の体調みたいなことを以前に書いてらしたと思うのですが、あれが序章としてコアになる感じで、いくつかの作品とその受容のされ方を渡っていくような感じですでに面白そうと思ってしまいます。
▷@rashita2 倉下さんが書くやつなら、読みたいですね!
▷車田正美が全力で耽美を取り入れながら時代に対して変身したのもすげーなこれ
▷RT @tamai1961: これは割と当たっていて、才能のある、しかし他には武器のない若者が自分の才能だけを頼りに生きていく道が、国ごと、社会ごとに違うということ。われわれの仕事でいうと、日本は著作権が若者の武器で、発明や特許は大人の世界。米国は逆かな。 日本ではジョブズが埋もれ、米国では鳥山明が埋もれる。
▷RT @combat_rec: 鳥山明が現れたときの衝撃というのは、物心ついた時にはすでに鳥山明がいた世代の方には想像しづらいかもしれないが『Dr.スランプ』の連載がはじまる前週の少年ジャンプ表紙を見れば、当時のジャンプキッズが受けた衝撃をわかっていただけるのではないだろうか。 pic.twitter.com/9r3lPq9JZR
▷その一方で、TLの要素を共有していない人には、「これ、なんの話題だ?」って迷いを与えているのではないかと、自問自答してみたり。
▷RT 「エアリプ的距離感」。 あるんだよね。あるから難しい。引用するほどでも、あるいはRT後ツイートするほどには、人にもツイートにも文脈にも関連していなかったり、そこに主張をしたいわけでもなかったり。
▷RT @rashita2: 良いか悪いかはさておき、「エアリプ的距離感」というものがたしかに存在している。
▷ま白き原稿だ…… twitter.com/rashita2/statu…
▷@rashita2 「倉下さんが、何かページを作ってるぞー」と思ったら、そうではなくいっき日記だったw
▷@0_saka おー、なるほどー。天使の翼とかよりもこのほうがいいですね。うまい。
▷若くしてお亡くなりになるな……。 これからの10年くらいで、かなり色々な人の訃報に、さらに打ちのめされていくんだろうな……。
この小説の主人公は、割とストーリーの全体を通して、粘液的な接触というか、性行為を希求している。希求して動く。
だけど、長期的なパートナーを見つけて落ち着きたいとか、思い思われることの幸せ、とか、障害があるからこそ燃える的なロマンス的憧れや、離れている間に思いが募ったり、パートナーと会える日に向けて少しずつ高まるプラトニック的な祝祭は描かれない。(まあ、後半テレビを見ている友人に、「僕が来てるのに」と泣くシーンはあるわけだが。)ケア的欲求がそれほどない。
強く、性的関係を求める姿が描かれる。それは、相手が自分より屈強でも、自分が社会的にマイノリティでも、感染リスク(時代柄)を強く恐れていても、求め続けて生きている。
政治分野は、それまでほとんどギルドに支配されてきたが、一七世紀のイングランドでは、共通の政策の実現を目指す人々が政党を結成するようになった
⇒政党も、所属の欲求と貢献の意識を原動力にして生まれるわけか……
⇒そう考えると、「政策本意の政党」とか「党議拘束なし(にしろ)」とか、そういう、大衆の意思の比率をそのまま議決に反映させられる、「理念ベースの政党による国会」という、ある種の理想は、今までどこにも生まれていないのかもしれない。まず結社。
⇒もちろん、この項の主題は、支持を求めた競争があればその中身が向上していく、ということだから、市民向けの理念がゼロということはないだろうとしても。
アメリカ合衆国では、建国の父たちが政党など想定していなかったので、当然、アメリカ合衆国憲法にその規定はなかった。にもかかわらず、自ずと政党が形成されていき、やがて、政党が政界を支配するようになる。
現在、政党がアメリカ政治の中心を成しているという事実は、公式制度の設計者自身、その制度が結果的にうまく機能するのは(あるいは、二一世紀のアメリカのようにうまくいかないのは)どうしてなのかを、まるで理解していなかったことを示す興味深いケースである。
時計が刻む時間に人々が注意を向け、時計関連の新技術を迅速に採り入れたことが、社会に効果をもたらしたようだ。公共用時計をいちはやくーー一四五〇年以前にーー導入したヨーロッパの都市は、そうでない都市に比べて、一五〇〇年から一七〇〇年の間に急速な経済成長を遂げたのだ。
注目すべきなのは、導入後ただちに経済的繁栄がもたらされたわけではないという点だ。数世代を経て、住民の考え方や生活様式が変わり、都市や町が時計のごとく正に回っていくようになって初めて、その効果が現れたのである。
公共用時計の設置によってもたらされた経済押し上げ効果は、大学設置に由来する効果にほぼ等しかった。しかも興味深いことに、大学を設置した中世都市は、公共用時計を導入する確率も高かった。
ただ読むだけで、何かしらの意味がありうるのだ。
メモはそうではない。メモは、行動に付随してこそ真価を発揮する。
⇒言われてみれば。「あとでノートにまとめる」すらをも含めれば、必ず行動を呼ぶ。
だからこそ、メモはあらゆるジャンルに顔を出すのだ。私たちが、情報を必要とするあらゆる行動において、メモが活躍する機会はかならずある。
逆に言えば、行動はするが新しい情報を必要としない、つまりルーチンだけで生活がなりたつ場合は、メモの必要性は感じられないだろう。同様に、本能のまま生きて行くことを肯定できている場合も、別段メモなどは必要ない。ただ、そのままに生きていけばいい。
最近の多様性ブームのなかに欠けてるのは道徳の多様性なんですよね。宗教が多様であるように、道徳や倫理の体系もまた多様で、そのことへの不介入の原則がたとえば「良心の自由」なのですが。多様性のなかの統一というより、統一的な道徳フレームの中で許された「多様性」。
なお、道徳は多様であるので、統治機構の中には入れるなというのが、ご存じ中性国家=リベラリズムになります。
朝の通学路、「今日はここまででいい」と息子が言う。その距離が日増しに短くなっていく。嬉しいが寂しい。
Xの海広しといえどもこれは誰にも共感してもらえないだろうと思うのだけど、家に一人でいる時に家事が出来ないっていうかしたくないのよ...誰かがいる時じゃないとやる気にならない...普通子供がいない隙に家事が捗るじゃん?それが本当に無理。主婦カゼロ。誰もいない家では全力で休んでいたいんよ...
「一を聞いて十を知る」って要は、「部分的な情報を既知のパターンに当てはめると残りが予想可能になる」ってことなんだよね
で、知能障害はパターンを知らないから予想できず、発達障害はパターンを知っていても適切に思い出せないから予想できず、愛着障害は予想能力がないくせに他人の目を気にして過度な予想にこだわるから、どれも空気が読めない
「頭悪い人は1、5、10と話せば1~10まで理解してくれる、バカは1~10まで言わなきゃわからない」みたいなツイートを見かけたんだけど、まだ2までしか話してないのに勝手に知らん10を導出してるボケナスがこの世には存在し、それが一番めんどくさいと思う 全部言えば全部伝わる人は圧倒的に上澄み
正直、日本人は「本人たちはぜんぜん自覚してないが、かなり多神教原理主義」だと思ってるので、イスラムとかキリスト教からすると、古代のローマ人相手にしてるみたいで「遅れてる」と思うか「めちゃくちゃやばいやつら」と思うかのどっちかなんじやないかという気はしてる。
実は不法滞在クルド人問題の本質もここだと思っていて「日本人は仰に甘いから何やっても許される」と思って身内同士の抗争などでやりたい放題していたら、実は「日本人は整然とした生活や挨拶などの日常の仰に踏み込んだ瞬間にメチャクチャキレる」のを読み違えて致命的な状況になったのだと思う。
正直、プログラミングしない一般人に即物的に効くのは入力補完では、という説を唱えてみます。簡単な質問、データの変換、テキスト翻訳もなぜかこなせてしまうGitHub CopilotをVSCode込みで教えるのが近道感。
たしかにたしかに!雑に振って完璧に返す。この1年の流れをみるとそんな気がします。
まあほとんどの人は、日常的に画像作らないし、ブログ書かないし、論文読まないでしょうからねえ。
日常でAIを使う場が無いのだと。
人間の失敗には寛容でもAIには厳しいので、日本の業務要求レベルは高そうです。
一般に普及するには「後は任せた」と言うだけで勝手に察してくれるくらいにならないとだめなのかもですねぇ
GitHub買収してるんだからMicrosoftはOfficeにGitHub Copilotでガンガン補完させる機能付けて......
(今のOfficeにも、AIによるデザイン提案や画像生成が付いていますが、GitHub Copilotの生成力は目を見張るものがあるため)
Cursor (エディタ)も便利ではあるんですが、私も結局 Copilot でなんとかしちゃってます
テーブル定義を書き連ねた後に「q.〇〇するSQL書いて」と指示したら「a.(概ね正しい答え)」が出てきたり、「〇〇だった。なぜなら、」辺りでキー入力を止めるとそれっぽいテキスト補完が候補として出たり。
「何で俺達はチャットAIに質問をわざわざコピペしてたんだっけ」となるレベルの未来感。
一般人が考えるのは、我々が考えるより何倍もスゴイAIだと思います。
先月のデータを渡して、「これと同じもの作って」のプロンプトで社内サーバーから必要なデータを引っ張ってきて今月分を作ってくれるレベルの。
どの会社の事務でも使わざるをえないほどの革命はまだ起きてないですね。
ワイASD、なにをいつ報連相すればいいのか理解できなかった
そこで報連相は「セーブポイント」と割り切ることにした
ボスやつよい敵と戦う前、倒した後、ゲームをやめる時、必ずセーブするよね
つよい敵がでる場所だったらマメにセーブするよね
それを報連相に置きかえたらうまく出来るようになった
発達障害=時間感覚障害,という考え方があります。
ADHD=目の前の時間しか記憶できない
・目の前のことに跳び付く/すぐ忘れる
ASD=時間の流れの処理が苦手
・昨日と1ヶ月前を同時に思い出す/去年の嫌なことを突然思い出しパニックに
目の前の子を理解するヒントになるかも。
ADHDのほとんど知られていない生きづらさの1つは「正義感の強さ」。
理不尽を見逃せなくて、余計なこと言ってたくさん損をしてきた。
しかもコレただのあるあるかと思ったら、海外でも研究されていて実際に論文もあるらしい。
世界共通での生きづらさみたい。
ADHDは"ギリギリで間に合ったという負の成功体験”を積み重ねがちだけど、それがいつかは失敗するチキンレースであること以前に、そもそも所詮ギリギリの時間で作れる成功なんてものには限界があるので、脱却して「隙間の時間に作業をこなせたという充実感」からくるドーパミンに置き換えていきたい。
僕は大阪の人間ではないが、大阪のこういう重厚さと美しさをもっと多くの人に知ってほしいと思う
小学生といい歳した大人が2人でいる話(1/3)
「「日本人の文化と立場」というのが現代日本人にとっては古文漢文や神道とかではなく、安くて美味い松屋や円滑なコンビニレジだったりする。
果たしてそういうもので他国の「ポエム」と「宗教」に対抗できるか。」
これに尽きます。現代日本人が消費文化の本当の限界を経験するのはこれからでしょう。
個人的には、「古文漢文や神道とか」が「安くて美味い松屋や円滑なコンビニレジ」に通底していくところに、日本の文化の未来はあるんじゃないかなと思ってます。
Excelでもなんでもいいけど、マニュアル通りというか、ステップ毎にちゃんと説明のある作業を一通りこなすって、多くの人が思う以上に高等技能なんだよな。世の中の半分以上の人はこれができない。
俺も社会人になってようやくそれが分かった。
たぶん当人も気づいていないんだけど、日本語なり英語なり母語が読めないか理解できない人というのが結構いるんですよ。そういう人はマニュアルが理解できない。で、理解できてもその通りに行動できないという人もいる。言われたことが言われた通りに出来るだけで、上位50%に入ると思うね(わらい
で、AIは今のレベルでもこういうのは完璧に出来るのよね。定型作業というか。なので、冗談抜きで人口の半分は仕事がなくなってしまうのではないかと思っている
日経平均が4万円を越したところで、一部の経済評論家が、賢しげに「ババを掴むな」みたいな警告をしてるけど、言いにくいことだけど、「ババを掴むやつもいないと、市場は成り立たない」のであって、余計なお世話、って感じもしないではないw
まして、ショートは損失無限大だけど、ロングは損失限定。
外貨建ての方も告してほしいな。
余裕資金・現物ロング以外は、素人が手を出す世界じゃないと思うくらいややこしいところがある。
なんかこの延長で、学校でプログラミング教えるなら Python でデータサイエンスとかじゃなくて、Haskell 教えるべきなんではということを少し真面目に思ってしまった
教育では応用よりも、原理原則に適切なメンタルモデルを身につける、ということが大事なのであればと考えると
つまり、「日本の学校の教室授業が一方方向、生徒は質問しない」というのは確かにその傾向がすごく強いと思うけど、それは教師がそう仕向けているというより、思春期以降の生徒が何故か共有してる暗黙のルールみたいなもので、ルールを破ると教師からではなくクラスメイトから攻撃される、ではないかと
「仏教的には地震や津波の犠牲者も過去世の業が原因なのか?」という問題がしばし炎上しますが、仏典とその註釈を注意深く読む限り「その可能性が高い」と言う外ないです。
こういう見解は顰蹙を買うかもですが、これは私の意見ではなくて、仏典と注釈にそう書いてある以上、どうしようもないのです。
聖書も同様の問題を抱えていて、同性愛を罪悪と明言しているところ、奴隷制度を容認しているとこる、女は男の前では黙っていると居丈高に命じているところなど、現代人の倫理観からは逸脱した書という他ないのだ。仏典にせよ聖書にせよ、聖典という権威なくしては見るに耐えない箇所が多々あるのだ。
「仏教的には地震や津波の犠牲者も過去世の業が原因なのか?」という問題がしばし炎上しますが、仏典とその註釈を注意深く読む限り「その可能性が高い」と言う外ないです。
やっぱり現代のインターネット、知能が並以上ある人の多くが「性格悪いのを表に出すと損しかない」
ってことに気付いて普段の言動に気をつけるようになったせいで、性格悪い振る舞いするのが頭の悪い人ばかりになってるよなって......
うっかりネガティブな発言ばかりまとめた5chまとめを見てしまったんだけど、あまりに常識からズレた発言や、誤字だったり文章の構成が変だったり文の変なとこ省略してる書き込みが多すぎて、知能の格差による断絶を改めて実感してしまった
好き勝手に生きてる人にも思われることはあるが、振り返ると、世の中は怖かった。今でも怖いなあと思うが、なんか、歳取って「何者にもなれない確定」は奇妙な安心感がある。自分が世の中に問いたいこともないし、世の中が僕に問いたいこともない。惨めな孤独にほんのり自由の照りのようなもんがある。
なんで思うがままに生きられなかったかなあと悔やむが、実際、自分にはそんな才能も運もなかった。
運は、うへぇというレベルで過酷にも思えた。でも、総じてみれば幸運だったかもしれない。
陰謀論を批判する人は、どうして無前提に自身は陰謀論に陥っていないと確信できるんだろうか?2つあるかな。1つは単なる教条主義。もう1つは、
類型判断。
ほとんどの米人は、バイデンさんでもトランプさんでも駄目だよなあと思いつつ、さらに、他も駄目だよなあということなのでは。
まあ、日本も似たようなもんだが。その点、一択の国はqwertyuiop
⇒ふじこ?
実際のところ、たくさん本を読むというのは、本のサマリーを頭で整理していくこと。
大抵の本は、章立てされ、章内は見出しで分けられているから、見出しが確認でき、章構成が理解できれば、読んだことにしていい。
ディテールは後から確認すればいい。
三浦しをんさんによる「辞書は複数冊所持すべし」の論。一生で一人としか会話しない人はいないのと同様<一生のうち、一種類の辞書しか使わないというのはもったいない>。同意。私はよく「セカンドオピニオンの辞書を持ってください」と言います。
そう言えば、古文・漢文ネタだが、古文・漢文を学ぶということは、古語辞典と漢和辞典に馴染むということなんだが、そうした話題はあまり見かけない。
大げさな話をしているわけではない。目の前で困っている人がいたら、完全に無視するのは難しい程度には、私たちは社会的な動物なのだ。
ニュースばかり見ていると、それが見えなくなってくるのだろう。
まあ、仕事でプレッシャーを感じるのはしょうがない。自然なこと。それでもはね返して挑戦する。いつだってそうで、それが気楽になることはない。
努力の評判が悪くなったのって、「間違った」努力の広まりとか、自己責任論の広がりのせいであって、努力自体のせいではない。今の時代に「努力は大事」と正面から言える人の貴重さ。
税伝のようなものをフラットな技術にしてしまう、みたいな話だけではない。ある程度そうできることはすればいいのだが、それ以上に、もっと難しい、ニュアンスに富んだことに向けた努力をより多くの人に開くことが目標。
「被害は何もなかったけどヤバかった」のがインシデントなので、事案とか言うと意味が変わる。敢えて日本語で言うならヒヤリハット。
で「被害が出なかったのは単に運が良かっただけ」
が重大インシデント。
被害があったらそれはインシデントではなくアクシデント。
トランプとバイデン4才しか年違わないのに、バイデンと違ってトランプには年齢・健康不安がほぼ囁かれないの凄すぎるんだよな。人生のラストスパートで効いてくるのはやっぱり健康なんよ。
上野千鶴子が日本でこれだけメジャーになったのも上野がめちゃくちゃ健康だからという面は多少あって、田嶋陽子とかが現役の時代は正直上野はここまでじゃなかったんだけど、田嶋や他の先達が60過ぎくらいで半引退しちゃったあたりから上野の独壇場になってるとこはある。もう75なのに全然元気だからな
論点2について、実際には学習した特定の絵・写真に非常に近い絵を生成することがあり、AIはJPEG
などと同じ「非可逆圧縮」と呼ばれることすらあることは考慮する必要があります。論点1で許されている単なる作風の模倣を超えることがある。
論点3について、既存法で対応可能であっても、加害側の
そもそも現行の著作権は「印刷という新技術」で一字一句簡単にコピーされるようになったので著作者保護の為生まれました。
現在「生成AIという新技術」は少し変えてコピーするので従来の著作権法で対応が難しく、元作者の権利を現に保護できていない。
人間のさ作家の為AI時代の新しい著作権が必要です
これは私が「自分ごとで考える」言説に懐疑的なのにも繋がっていて。本当に自分事だったら自我と経験が揺るがされて簡単には受容できないんだよ。自分から「遠い」ことほど自分事で考えられちゃう、という矛盾がある。若者は自我も経験も薄いから、尚更。
ブルデューがレヴィニストロースの構造主義を批判したように、自分から遠い話ほどその人・文化のストーリーを受容しやすい(認識的特権)。近い話は自我に影響するから認め難い。ゼミでも若者研究に対し学生は「他人事」として反応するからなぜと思っていたけど、そういうことかなと。
ディズニー楽しむ男はいるんだけど、そういう男ってディズニーを「普通に」楽しんでなくて面倒なんですよね ディズニーの何かをオタクみたいに語ってくる
「こんな意外な作品を藤子・F・不二雄先生が描いていたのか!」という扱いでやたらと『ミノタウロスの皿』が取り上げられるじゃないですか。でもあれは傑作だけどそんなにF先生らしからぬ作品でもないんすよ。本当に意外でF先生らしくないSF短編
は
『倍速』
これです。あのF先生がこんなオチを!とw
『ボノム=底ぬけさん=』もはめ外してましたね。
「超兵器が壱號」も終盤までのストーリーテリングと全然トーンが違うラスト1コマに面白さが集約されてるところが似てるかなと思いますが、あっちは一種の批評性(滅私・報国イデオロギーと男性性や劣等感の関係)も深読みさせる仕立てになってて、バカバカしさの純度は多少落ちますね。
確かに発表順で言うとミノタウロスより21エモンのボタンポン星の方が先だし、ボタンポン星知ってればミノタウロスはそこまで衝撃的ではない、むしるボタンポン星のゼロ次元とかショックだった
つけ麺業界は、このポットの中身が「割りスープ」なのか「水」なのかを統一してほしい
(何が起きたのかは語らない)
イスラエルで連立組むには、首相は互いに相入れない約束を複数の連立パートナー政党にする(=嘘をつく)能力が高くないといけないからなあ..騙される方も騙されたふりして政権入りして大臣になるんですが、やっぱり後になって「騙された」と怒る
父が「パパの仕事はおっさんの我儘と別のおっさんの我儘を仲裁すること。こんなことになんの価値もない。だから植物が好きなんだ。植物は何も言わないから...」みたいなこと言いながら花に水をあげていて、
サラリーマンの台詞としての完成度が高い...と思った。
これ脅された側からすると、弱気の返答すると付け込まれるから「やってみろや」一択になるし、でもずっと警戒するのは面倒なので「今すぐ来いや」ってなるんですよね。分かる分かる。
「産業革命」というのは、歴史学上の概念で、統計学的には出て来ないみたい。
これ、気になっていて、「自殺」かな?とは疑ってます。
コロナ感染死はほとんど平均寿命以上の年齢の高齢者で起きている。ところが平均寿命が縮んだということは、この数年の超過死亡はそれより低年齢層が死んでいる。おそらくコロナ感染とは別のメカニズムで起きている。
他人の子どもは不調法無愛想で人見知りくらいの方が安心できて、妙に人懐っこかったり如才なかったりするとむしろその背景を想像して切なくなるのが普通の大人だと思うのですが、これが海外になった途端にその辺が分かんなくなって感動しちゃう人というのはいらっしゃいますね。
「行けるっぽくない?」と私の世代ならいうところを、最近の子どもは「行けるくね?」という気がする。この用法の境目は何歳くらいだろう。
家事はともかく、育児については極論言えば、やればやるほど言われるんですよ。あげく「やってる感」だすんじゃないとか。ただまあ、別に世間やパートナーに褒められるためにやってるんじゃないからな、というところまで来てようやく本番なんでしよう。
家の仏壇も地域の神社もおざなりにして気儘で豊かな生活が送れる日本社会こそが「本体」であって、保守イデオロギーは本体を守るためのファッションに過ぎない。
ファッションだからこそ、教育勅語だろうが日米同盟だろうが火葬だろうが代入できてしまう。
ファッションだからこそ、あまりにも現代日本にそぐわないものを身に纏うとドン引きされてしまう。
たとえば「万世一系の皇続」にしたって、三大神勅になぞらえて考えるなら、そら男系男子に継承させれば天壌無窮は守れるかも知らんが、国民の多くが神社の祭祀に日々関わっていないような状況では、
多くの日本人の信仰は人格持つ神の想定なんだよな。
なんらかの霊的で不可視で強い存在は存在している。強い存在は基本的に人格者。心から
礼を尽くせばこちらの意を汲み取ってくれる。ただ形だけっても見抜かれる。その程
度の想定。
これがどこにでも居て何かしら人智の及ばないことをしてると。
「世界を作った存在がいる」とか「どこにでもいるソレは実は全て同じ存在である」あたりは自然体で「そういうこともあるかもな」になるんだけど。
「他の神を拝むな」「他の仰形態に礼儀を尽くすな」などと言った途端に、「なんだアおめぇ.....?」「人格者じゃねぇな?物だな?」と目付きが変わる
⇒「自分に都合のいいものだけ信じる」というよりは、相手に仁者であることを求める、か。なるほど。
最近はほぼ全滅したが、昔町のあちこちにあった小さな書店、主力は雑誌や漫画で後は文庫本が少しと売れ筋の新書を置いてるくらいで、今その店に入ったとしても全然面白くないし、なくなっても全然惜しくないようなラインナップだったな。
あのさー、身内に高齢者がいるとよく分かるんだけれども、高齢者の皆さんの大多数は決して好き好んで医者にかかっているわけではないのだよ。高齢者が病院で暇つぶしして交流を楽しんでいるとかそういう説のほとんどは、世代間分断を煽る悪質なデマだからね。
政府が漫画家を表彰しないのは、漫画が生きた分野だからこそ政府が手を出しにくい、というのは間違いなくある。漫画は作品内で政治思想を語ることも容易だし、それを政府が格付けしたり表彰したりするのは、言論の自由との兼ね合いでかなり慎重にやらねばならぬということになるのはやむを得ない。
まるで好景気が迷惑みたいな話だけど、福祉・医療系の人って不景気願ってるようなところマジであるよ。自身のビジネスには景気関係ないし、景気よくなると未端の人の質が下がるから。
そう言えば、大人のためのアニメカイドも書こうと思ってたんだな。
まず、『宇宙よりも遠い場所』からかな。これでだいたい、現在に近いアニメの中核がとらえられると
いうか、花田十輝論。私の強みは花田・吉本論争も触れられることだけど、まあ、どうかな。
「面白いね
お前達人間は面白くはないのか?
鍛えあげて身につけた強大な力で弱者を思うようにあしらう時気持ちよくはないのか?
優越感を感じないのか?
これは本当にそう思う。そして、共産主義が設計主義であるゆえに「悪」が政府の強権に集約されて現れるのにたいして、複雑でアドホックなシステムのツギハギである資本主義では、「敵」の姿がはっきり見えない。だからいつでも「悪者」探しが行われ、煽動と炎上が常態になる。
資本主義が共産主義に比べて失敗していないように見えるのは、資本主義の失敗は、戦争、不況 (depression)、テロリズム、病気、貧困等の多数の別名で呼ばれるからなの!
夫「このミルクパンの水は何?」
娘「明日の朝食べるゆで卵をゆでよ
うと思
って用意してる。でも私が朝になって食べたいかどうかわからないから考え中」
夫「なるほど、哲学的だな」
私「.....」
夫と娘の思考回路は見事に噛み合っている。家族にも相性はある。だから尊重し合うことって大切。
これ日本で一般的な夫に対するお小遣い制を海外基準で経済DVとして扱うと、とんでもないパンドラの箱になりそう
あんまり言いたくはないがそもそも鑑賞力が無い人間は多読しようがたくさんレコード聴こうが感性が死んでるのでどっかの評論家の言語化をコピーするだけの九官鳥にしかなれないと思う。
自我の問題が解決してないオタクに趣味なんかない。
ルサンチマンを鎮める為の鎮痛剤として作品を服用してるだけ。
社会人1年目の女の子、女性に特権なんかない!私は職場でバリバリやってる!って言うけど、多分それ、彼女の上司や同僚の先輩たちが聞いたら、ああ、周り見えてない子だなってなると思うから、せめてリアルではそういう態度出さないようにしたほうがいいと思う。
うちの店子で夫婦喧嘩の末に出て行った新婚家庭、妻が夫に対し何度も暴力を振るい骨折までさせても警察は全く動かなかったんだけど、夫が耐えかねて妻の胸倉をつかんだら暴行傷害で逮捕立件してしまった。さすがに見かねて自分が知る限りの妻>夫の暴力沙汰の記録は夫側弁護士に渡したけど。
「発達障害はこんなに辛い」って呟くとフォロワーさん増えて、「それでも幸せ♪」って呟くとフォロワーさんが減る。(;'♥)
私だけが上手くできないこと
(1/2)
職場で誰かがお土産をくばっているとき
自分のところに来るまでは仕事に集中し
今気づきました!
という感じで受け取るあの感じ
■努力と遺伝
多分、「努力」できるというのは、遺伝的な形質だと思う。
この場合の「努力」とは何かだけど、外的なポジテイブ・フィードバックがない状態に比較的長期に耐える能力だろう。
歌も書も、向上には、かなりの「努力」を要するだろうと想定したが、他方、無理はしないようにした。ポイントは、「上手くなろうと焦らないこと」。
どこかで飽和状態になったら、終えるつもりだったが、まだ、そうでもない。向上は微細で、逆戻りもあるが、まあ、こんなものだろう。
「努力」の問題は、ポジティブ・フィードバックのない状態で、いわは、努力のサンク・コストのような状態になりやすい。つまり、「こんなに努力したんだから」という心理。
「努力」が短期的に報われるか、漸進的に可視になる場合、「努力」は容易になるので、そのようなエ夫を講じるといいにはいい。
「努力」に関して、もう一つ厄介な問題があり、ポジティブ・フィードバックの一つだが、「承認」である。
何かの努力が他者に認められ「承認」をえると、努力が増加し、人格を侵食し始める。
外国語の能力や描画能力も、ある程度同じことがてきるだろうが、語学はかなり飽和状態にありそう
(伸び悩み)。描画は困難さの予感から手がだせない。というか、あまり多方面に「努力」というリソースは避けない。
飽和状態にまだ至らないのは、感覚の変化が、ポジティブ・フィードバックに代替するからのようだ。
歌の練習で、音や声が質的によく聴こえるようになった。書については、書を見る楽しみが増した。
さらに悪趣味な言い方になるかもしれないが、「認知行動療法」は、この原理と同じなんだろう。
ある分野に得意な人は、言い方が悪趣味だが、しばしばその能力によって人格が侵食されている。
これが、社会適合になると、実は、ほぼその人は固有の人格を喪失してしまう。
『はてしない物語』は、もちろん多様な読みが可能なんだが、この、人格喪失の仕組みをとてもシンプルに描いている。
発達人って、幼い頃はおとなしくて良い子って感じだけど、成長すると共に意地悪で偉そうでいつも威張ってるような人格になってこない?
定型はこの逆なんよね
幼い頃は意地悪で偉そうでいつも威張ってるような人格なのに成長すると共に丸くなっていく
私の近所に住んでた幼馴染がまさにこんな感じなん
ご機嫌になる方法、だいたい「加害」だから困る。
人間性が終わっている。合法的加害のバリエーション増加が求められる。
性欲がよわいんじゃなくて、日常が加害だから性欲の加害欲求の部分が満たされ続けてるだけなんだよな。あと個人的会話ってほぼ性行為だし。
「ネガティブなひと」ほど、ネガティブな状態を「異常なんだ」と思ってんだよね。あのね、違うんだよ。それこそ、ギャルだって病むよ。でも、「マジ病み~」って言うんだ。ネガティブはね、日常なんだよ。異常じゃない。あたりまえ。生理現象。だからあなたはネガティブなんじゃないよ。あなたは、ただ
ワイASD、こだわって失敗して、こだわって失敗して、やっと悟った。
「頭のなかの最高のもの」にこだわるよりも、「いま手に持ってるものの中で最高のもの」にこだわってあげる方が、疲れないし幸福度もたかくなるんだよね。
友達と一緒に作った『ぼっち・ざ・ろっく!』の同人アニメです。皆さんとても熱くて、とても楽しく作りました。
インデックス買って
20年間刑務所に入ればいいのか!
人に配慮して、人をバカにせず、人をからかわず、人の話を聞こうと努めてる人。その場においては雑で声のでかい人の後手に回りがちだし、溜め込むこともあるかもしれない。また、自省するタイプゆえの劣等感もあるかもしれない。だが、こういう人の徳の高さは見てる人は見てるし、すごく評価されてる。
私は旧姓で仕事をしている。単に、結婚したら仕事の名前を変えるという考えが一切なく、特に深く考えておらず変更しなかった。でも今になって、園で役員になってしまい戸籍名がフルネームで掲示されても、検索で一切私の経歴がヒットしない事実に気づきものすごくメリットを感じている...
電話で、
私「鮭の切り身たくさんあるけど何枚かいる?」母「この前コストコで買った鯖がねえ。ちょっと思っていたのと違って。まだ冷凍庫にt」私「いるかいらないか聞いてる」
こういう会話が昔からすごく多い。
ASD息子もそう。
妻が洋服を買った後に「前に大っ嫌いな上司がこういうテロンテロンの服着とってかわいいなあって思っとったんよね」と言っていてそこを切り分けられるのがすごいなと思いました
私みたいに喪女or友達いないor
金ないorうつ病の大人の人の休日ってなにしてる
の??
私は天井眺めて終わるっていう時間の無駄遣い極めててこの先も毎週末これかと思うと早めにしんだほうがいい気しかしないw
藤子F先生の難しそうな謎単語で煙に巻くギャグ好き
ワシ「液体調味料と一緒に真空パックすれば味付けと調理が一緒に出来る!!時短や!!!」
吸引器くん「ジュゴゴゴゴゴゴゴ
ゴ!!!!!!!」
ワシ「あああああああああああああああああああああああああああああああ」
残当
カプコンの本社ビル、雁行してる部分が反射してトリックアートみたいに見える
陰謀論者さんたちがトランプのワクチン開発自慢投稿にショックを受けているらしい。今さら・・・?
トランプは反ワクチン陰謀論に与しなかった。その態度は最近でも変わっていない。
いや、その、君が結構な割合で作っとるんだわ
結束バンドと同じ時代に生まれられて幸せだなあ
最初はセンベエさんが主人公だったけど、このアラレちゃんを見てマシリ、いや鳥嶋氏がアラレを主役にしようと決め、鳥山先生は渋るも押しきられたって説もありますよね
⇒「ドクタースランプ」って、考えてみたら、研究がうまくいかないせんべえ博士のことなのか。「崖の上の」みたいに、「アラレちゃん」の上に付いたら、本来はいけないやつなのか?
初期アラレちゃん、めちゃくちゃ綺麗かわいいから認めちゃうのしょうがないね
ロボットが女の子になった理由を本人が漫画にしてたけど、担当編集者が女の子大スキだったからという素人のなろう系よりも雑な伝説の始まりだよなこれ
⇒のちにがんばってウイングマンの連載もさせるわけだから、困ったな、風評被害と買って捨てられないぞ(笑)
大学進学率が低い地域ほど幸福度高いの考えさせられる
努力で成功したと思っている人や特定の誰かに啓蒙されて自分はうまくいったと思っている人は、どちらも「だけで」という部分が隠れていて、そこがちよっと似ている感じを受ける。
オウムの破防法適用にあれほど猛反対していてた日本のリベラルたちが、「統一教会に破防法を適用しる!」とか言うあたりとてつもないアホ集団なんだよな。オウムに適用できないのに、統一教会に適用できるわけないじゃん。
ポケモンも初音ミクも一時期は「大人になっても忘れないで、たまに思い出してくれると嬉しい」みたいな態度でいたのに大人になっても全然忘れさせる気がないしなんか隣にいるし子供ごと取り込もうとしてくる
トンデモ医学の「教祖」的な人の講演を聞いたことがある。
救えなかった命について泣きながら悔しさを語ったり、批判的な質問には感情を爆発させ、「あなたは大切な命を見殺しにするのか!」とやりこめる。
聴衆は目を輝かせ、引き込まれるように話を聞く。
まさにデータより感情が人を動かしていた。...
鳥山明が意図していたかどうかはともかく、首の外れる女の子までを容易に受け入れるペンギン村や、ブルマやビーデルが若いうちから強烈な個性を発揮して人生を切り開いていくありさまは、リベラルな価値観の素晴らしさを何よりも雄弁に語ってましたよね。そういやDB世界(の西側)、姓もないんだよな。
ああ懐かしい 愛蔵版とかだとこういうおまけがカットされてることもあるからな。当時この山吹先生の履歴書読んでガキながら「あれ?この人意外とバカなの?」と思った記憶がある。ちょっと1コマでせんべえさんと結婚する布石に感じた
DBやDr.スランプのエッチな部分を取り除いてリメイクしてくれればいいのにと言ってる人がいてちょっとゾッとするなどした
旅行に中毒性あるのは「金でチヤホヤされるから」で、繰り返すと無意識のうちにどんどん人格が荒廃していくよね。特に引退後で旅行漬けになっている老人とかがヤバくて、こういう人はホテルのフロントやレストランのウェイターが対人関係の全てなのだよ。一緒にいると召使いになったような気分になる。
旅行の中毒性で一番怖いのは多分"子供、で、北海道なら「家族で摩周湖に長期滞在して雲丹三昧でした」みたいな体験は子供のプラスにならないのだけど、親は貴重な体験をさせた認識なのだな。そしてこんな贅沢を繰り返すと異様に浮世離れした人間に育つのだけど、そこまで親は気付かないという。
鳥山明先生は、日本で、世界で、キャラデザイナーを志す者の船星でした。命拭きこまれた愛しきキャラクター達をありがとうございます。私にとってアラレちゃんは美少女のルーツです。
物語は第三次試験へと向かい、いよいよ残すところあと2話になりました。
試験編は一次、二次とアクション要素が多く派手な話が続きましたが、ここからフリーレンらしいラストへ向かっていくので是非最後まで見届けていただけると嬉しいです。
小さいころに両親が「美空ひばり亡くなった!」「松田優作亡くなった!」みたいに大騒ぎしてて、もちろん僕もその有名人は知ってたけど訃報に対する温度差は親子間でかなり大きかった
いま鳥山先生やTARAKOさんの訃報で小学生の息子と自分の温度差を感じて「こういうことか...」としみじみなってる
勉強してないって言うひと、嘘だから。してないって言うけどしてる、それが世の常
と子に話してたら、家人が横から
勉強してる人ほど足りてないことを知っているからそれは嘘ではない、本音
と訂正されましたサーセーン
引用のが1980年の新年3・4合併号で、次の5・6合併号でアラレちゃんが始まって翌年にはストップひばりくんも始まって、1年でジャンプは一気に変わりました。
最近恐ろしいなと思ったのが、人間は集団で共同作業すると『無意識に』手を抜いてしまいます。
農学者リンゲルマン実験によると、綱引きの時に人数が増える程1人あたりパフォーマンスが落ちました。
「自分が頑張らずとも誰かが頑張ってくれるだろう」は誰しも起こり得ます、それを防ぐ仕組みが重要
こう言う構図とデフォルメ特にパースの考え方は全く、鳥山明先生に学ばせていただいたのです。
ご感想にそうした指摘をされた方がいらっしゃって、正直とても嬉しかったです。
Q. 世界史を始めるならどこ?
初心者「えっと...ローマ帝国?」
ミーハー「第二次世界大戦でしょ」
共産趣味者「ロシア革命!!」
一般的な教科書「メソポタミア」
東洋史専攻「ちょっと黄河文明から...」
日本史勢「いや日本史やれ」
ゆでたまごと車田正美は、70年代と80年代をブリッジする存在で、梶原一騎的な格闘漫画から、人間臭さを抜いて、より漫画的快楽としてのバトル漫画を洗練させていった。キン肉マンは最初は貧乏だけど、あくまでギャグの範囲で、バトル漫画として洗練されていく中で、その設定は省みられなくなった。
映画でも、角川映画が出てきて、これまでの泥臭い感じから、ポップで都会的なセンスの80年代が始まった感。70年代との決定的な差は、物語の中で貧困が描かれなくなった。
鳥山明、江口寿史、寺沢武一が、ほぼ同時期にジャンプにイラストレーションとして優れたハイセンスなマンガを連載していて、それで一気に泥臭い70年代とは隔絶した80年代が到来した感がある。ユーミンや松田聖子が、フォークの時代を過去にしたように。
完全版の最終回いいよなあ...
今思うと色んな人に出逢い、色んな卑劣な行為も体験しても、最後まで純粋であり続けたんですね。。
確か後ろからマシンガン?で撃たれたり。。
清くあり続けるとは、、先生そのものの様な気もしてきます。。。
02
ill 9784 7①
甘納豆 @manemane630・1日
返言先: @aiueoDBZさん
皆が皆悟空を頼りすぎてるけど本人は逃げも隠れもせず責めもせずに自分に課せられた責任を全て受け切ってんよな。
戦いが楽しいのは本心だと思うけど、昔のドラゴンボールを1つ1つ集めてた時の方が断然本当に楽しそうだったよね。目がキラキラしてた。
ウーブがちょっと羨ましく思ってたりして
これも大好きです!
ちなみにこの1兆円を増税で賄うと、反対側で5兆円の消費が減る
「失業者を100万人集めて穴を掘らせる。穴を掘ったら埋めさせる。そして給料を支払え。1兆円払って消費性向0.8なら等比数列の和(1/1-0.8)=5兆円消費が生まれる。20%課税すれば1兆円戻る。無駄な公共事業はない。」….
「失業者を100万人集めて穴を掘らせる。穴を掘ったら埋めさせる。そして給料を支払え。1兆円払って消費性向0.8なら等比数列の和(1/1-0.8)=5兆円
消費が生まれる。20%課税すれば1兆円戻る。無駄な公共事業はない。」がケインズ。
「失業者100万人埋める。」
が毛沢東。
ランチとか好きでした。
あんまり活躍しないけど。
鳥山明はラブコメ苦手ガイだったそうだけど、でも女性キャラがとてもワイルドで素敵よね。母や娘に押し込められてない自由で闊達なガールがたくさん出てきて素敵。後輩たちの方が遅れた女性キャラ描いてるなと思う。
> 射精で男性が死ぬことはないが
割と死にます。ぴゅ係は命懸け。
他人の性的魅力を勝手にジャッジしてそれを本人に勝手に伝えるなんてど直球セクハラなのに、被害者と加害者の属性が変わるだけで途端に認知できなくなるのはすっとぼけてるのか本当にわからない無知蒙昧な人なのか
結局それぞれの属性を当てはめて考えるポジショントークが殆どなんだろうな
女性が男性に対して「お前モテないだろ!」って言うのはセクハラ(性加害)だよねって話ですよ。
X上での「非モテ!」って発言を制加害にカウントしたら、性被害者の男女比は10,000:1くらいになると思ってる。
鳥山明先生の絵で衝撃だったのはドラゴンボール第2話の扉絵ですかね。ブルマの眼球が顔の輪郭の一部になっていて、理に適ってるんだけど、こういう表現はそれまで見たことなかった。かといって絵画でも劇画でもなく、ちゃんと可愛いマンガという。
コクピットのディティールにビビるのはその次。
⇒これは奥行き感がものすごいな
しかし鳥山明先生といえば、レッドリボン軍、特にブルー将軍の「1930年前後のアレ的に見事すぎる雰囲気再現度」が凄かった。キメキメな表情とか石頭なイキリ感とかベルトの将校用バックルとか。
「それっぽさ」という点では、ジョジョのシュトロハイム大佐をはるかに凌駕しているかもしれない。
米国でTikTokを禁止にする動きが加速してるの、TikTokが1億7000万人のユーザーに「今すぐ下院議員に電話をかけてください!」とプッシュ通知。
それで苦情が殺到したことで議員がブチ切れて、委員会が全会一致で法案可決。TikTokの自業自得すぎるよな...
やっぱ中国の会社は民主主義社会の反応に対して想像力が足りないのかな。たぶん中で逆効果だと反対した従業員もいたんじゃないかと思うけど。いいタイミングでオウンゴールというか海外プラットフォーマーによる大衆動員のリスクを体を張って世に問うてくれるとはね
10式戦車、前に習志野の降下初めで登場した時、凹凸ある路面を滑らかに進んでいて驚いた。
個人的には「ガルパンの戦車並みに速い」だった。
これはSNSの片隅でひっそり呟く提案なんだけど、今日しばらくは故人を偲んでみんなでめそめそしょう。それで、明日あたりからはそれぞれ自分のやるべき仕事を精一杯やろう。作品からいろんなものを受け取った側ができるのは、たぶん、そういうことだと思うので。
鳥山明先生、秀逸なキャラ&メカデザインやストーリー、演出ももちろん飛びぬけた天才だけど、それだけでなく、なんというか、鳥山先生の作品を通して知った「元気」とか「修行」とか「正義」というような概念が自分含めて自ら血肉になっている人が多い気がする。でないとこの喪失感は説明できん。
鳥山明は杉浦茂の系譜ではないかと。
sugiurashigeru-zenshigoto.com/#gsc.tab=0
手塚治虫は演劇と小説の人だから作品を論理で作ってる。
と、素人の思いつきです。
高橋留美子と鳥山明の天才性というのは、落書きと作品に本質的な差がないこと。
いわゆる「ディフォルメされているけど精密な」メ力の原点は鳥山先生のイラスト群だったと思う。漫画本編もさることながら、扉や表紙を飾るセンス爆発なイラストに魅せられた男の子も多かったのではないだろうか。R.I.P
よく漫画論で引かれる鳥獣戯画だが、あれもすごい。中国にあるみたいなもんがあるのか、知らない。
(=-(-) こういうSD(スーパーデフォルメ)キャラを描き始めたのは鳥山明先生が最初かと。
(*7SDガンダムも鳥山先生がいなければ、生まれなかったかも。
鳥山明デビュー時25才で、すでにこの画力とか腰が抜けますよ。
手塚治虫はロマン性が高く、それを自身も自覚していた。が、作品は微妙にそこを逸脱してる。多分、手塚治虫はロマン性を使ってヴィジョンを得ていた。
高橋留美子の作品は、常に、というのは言い過ぎだが、「女であることはなんだろう」という無意識の問いの圧がある。本来なら、フェミニズム評論の対象だろうが、寡聞にして知らず。
⇒「花の24年組」萩尾望都、とかほどではなく、一見ポップで商業主義とうまくダンスしているような作風だけど、確かにその悩みというか問いは、言われてみるとつながっているのは見えてしまう。 響子さんの寂しさ、星の能動性、そしてなにしろ「1/2」。リンネとかまで行くと、どうつながっているのかよく分からないけど。
古典作品を下敷きにして「孫悟空」の名前をいわば本家から奪ってしまった存在なのに、相手国によっては文化の盗用とかいったケチが付きそうなところをこうやって受け入れてくれる懐の深さが中国にはあると思う。
ガザへの人道支援物資の空中投下で一部がパラシュート開傘に失敗。子供2人を含む5人が死亡。
高橋留美子の作品は、あるバランス感覚から、錯乱
坊やてんちゃんのような虚無の中心軸があらわれる。手塚治虫のヒョウタンツギのように。赤塚不二夫はこうした構成を取らない。
まず手塚治虫という超天才の火付け役がいた事
しかもこの超天才がテレビアニメまで初めてしまった事
戦後のベビーブームで消費の核となる子供が圧倒的に多かった事
あとずっーと内戦も国際紛争からも無縁で平和でいられた事
単独であの規模の企業を作っちゃう人という話なのだろうが、日本の国の規模感的にはトヨタとかソニーとかあるし十分なんじゃないかという感じがする。アメリカだってそんな人がゴロゴロしてるわけでもないし。
ドイツ人エロ漫画家とかいますしね。。。中国も色々と厳しいからアズレンの社長さんというか会社自体が日本にオフィスあったはず。。
海外では児童ポルノ関連が厳しすぎて未成年に見えるキャラの裸が書けない、売れないから態々日本へ移住するエロ漫画家さんがいると知ってびっくりした覚えがあります
そういや日本ではジョブズが産まれない=イノヴェーティブに支しい国だ論も割と人気だけど、よくよく考えたら、宮崎駿や大友克洋や士郎正宗や鳥山明や尾田栄一郎や岸本斉史が産まれた国なんだよなって。。。(この方面での世界的影響度高い人あげていくとまだまだきりないぐらいにいるしね)
昼間に鳥山明さんの訃報を聞いた。彼は歳は5歳上だが、キャリアはゆでたまごの方が1年先輩だった。同じギャグ漫画家ということもあり初めて『Dr.
スランプ』を見た時はアメコミ風の絵と洗練された
ギャグでえらいやつが出てきたなと脅威を感じました。アニメも連載一年目からきまってこんちくしょうと妬みもあり。本当にバチバチに仲がわるかった、私たちも連載4年目で『キン肉マン』はアニメ化になり、ますます彼とはライバル意識し口も聞かなくなった。しかし初期は仲が良く漫画家集まる宴会などではゲームしたり色紙のやり取りもしていた。でも鳥山さん68歳は若すぎるよ。悲しいよ、、謹んでお悔やみ申し上げます。
人間、こんなに毎日稼働しているのに、たいていの家電製品よりも長く生きて動いていられるの、すごいな。メンテの乏しい人でさえ、結構長く生きて動いていられる。
会食恐怖症
日本は飲み会が頻繁にあり、飲み会が苦手な若者が多く「飲み会が無い海外が羨ましい」と考える人も少なくないかもしれません。
しかし、実は海外では頻繁にホームパーティが開かれていいて「ホームパーティーが無い日本は羨ましい」と思われています。
どちらもやってることは同じです。
そういえば、トップガンマーヴェリックのパイロット連で一番パーティーに不慣れっぽい雰囲気の眼鏡のボブも、ちゃんと皆と飲み屋に行くし、皆と一緒に歌ったり騒いだりしていた。彼を見ていて、日本とアメリカじゃ必要とされるソーシャルスキルだいぶ違うんだろうなーと思った。
「鎌倉武士はマジでやばい。あれは頭おかしい」「ではここで近い時代の世界の戦闘集団を見てみましょう」
・異教徒絶対許さない十字軍
・逆らうものは殲滅確定モンゴル軍
・どこでも刺客送るよ暗殺者教団
結論
= あの時代の人類どこも大体おかしい
鎌倉武士と同時代の朝鮮半島も、ユーラシアを恐怖のドン底に叩き落としたモンゴル軍団相手に全土を焦土に変えながら30年も抵抗戦争するとか凄まじいことやってるんで、こっちも完全に中世の住人。
鳥山明って恐らく脳の中に「ジオラマ」があるんですよ。で、それをカメラで切り取るから、本人も意図せず「椅子」が入ってくる。ものすごい引きの絵でも、ずっと前の週で削れた岩とか地面がそのきまの削れで普通に描かれたりしますからね。
赤木俊夫が命と引き換えに訴えた「土地の値引きに
政治家が関与した事実はないから改竄に抵抗した」
という部分が「赤木さんを忘れない」とか言ってる連中によって闇に葬され、意図しなかった形で神格化されてる風潮、芸術的なまでの尊厳陵辱でまさに「死人に口なし」だなあと。
「教養」ってのは、若い時は使いどころがあまりないが、頭の中に引き出しをたくさん増やすことで、決断したり、何かを選んだり、思いついたりしなければいけないときに、マシな手を打ちやすくしてくれるという意味で、役に立つというか必要になってくる。人生では無数の無限の分岐点があるからねえ......
手塚治虫先生が漫画の神様なら、鳥山明先生は漫画の革命児だった。
それまであった漫画とはまるで違う、現代につながる新しい漫画表現はDrスランプから始まったといっても過言ではないと思う。
素晴らしい作品をありがとうございました。
合掌
鳥山明が亡くなったという衝撃は大きいけど、先生自身がドラゴンボールで死後の世界をライトでポップに描いてくれたおかげか「例の機械の体に輪っか
が頭上についただけで元気に絵を描いてる」ってイメージができるから精神的に少し救われてる。ご冥福をお祈りいたします。
若者の死因1位が自殺!ひどい!
って時々騒がれるけど
死因1位が病死→医療崩壊してる国
死因1位が殺人→治安崩壊してる国なんですよね
自殺以外で若者が死んでる方がヤバい
「日本の男にはまだ早い」というようなドメスティックな理屈に喝采を送ってる向きには同性婚も「まだ早い」のでは?となるし、共同親権は「世界の大勢」と推してる向きは同性婚も「世界の大勢」では?となるし。
ただ、読んでいてハッとした部分の抜き書きについては、時を経て読み返すことで当時の自分の着想を引き継ぐことはできると感じた。
日持ちしない鮮度の高い部分と、時間をおいて熟成を待つべき部分とを腑分けするセンスが必要。
このセンスは書いて寝かせて読み返すの中で自分なりに感覚的に確立していくしかない。
5年前の2019年2月の自分は宮部みゆきの『火車』
という小説を夢中で読んでいたようだが、まったく覚えていない。さながら5年ぶりに会った旧友が一方的にテンション高くまくし立ててくるのに対して
ぜんぜんストロークが交わせない様相。...
鳥山明は純都会的お洒落じゃない。そこが大事だと思う。
メリット:やればできるじゃんと気づける
デメリット:もっと早くからやっておけばよかったじゃんと落ち込む
知らぬ間に抱えていた思い込みを粉砕できてスッキリする一方で、失った時間の大きさに気づいてガッカリする...
「フラットな社会」というのはもちろんフィクションなんだけど、維持した方がいいフィクションなんじゃないのかなあ。万人にフラットないで維持運用される人権というのもそのフィクションの派生物
なのよ。
「フラット社会」派に向ける攻撃というのも定番化されていて、「お前は平等などと言いながら実際は強者の側に擦り寄って自己利益を貪ろうとしている!」となる。要するに他者の主張を階級的な動機に還元するイデオロギー暴露。
肝心なのは、この手の「お前の主張には真の隠された動機があって、その動機を(証明はできないが)
俺は知っている」という人とは議論ができない、対話が成り立たないということです。
引用先の方の印象は嘘ではないのでしょうが、私なんかからみると「時にぽつねんとしてしまうような状態の会にもちゃんと出向いてんだな、さすがだな」という感想になるという話です。
学者はそれなりに歳食うと、自分のホームグラウンドで知り合いとワイワイやるのはさほど難しくないんですよね。そこから、全く馴染みのない人たちの集まりに出ていけるタイプと、そういうのが苦手なタイプとに分かれる。
西洋でも印刷文化前は写本だったが、写字生のよるものだった。日本日本にも写字生のような存在はあったが、そこをこえて冊子にはなる。
日本語は、「書くこと」ができ、書かれたものは冊子になる。冊子は書き写して冊子になる。
これは、もう平安時代からの日本文化で、ある意味、日本はそうした書籍の文化だった。こんな文化を1000年も持った文化はないんじゃないか。
山本七平は、明治時代は江戸時代を忘却したとした。自分の脚で地域を歩いてみたら、それがよくわかった。
明治時代は、「伝統的な日本」を西洋にもわかりやすいように再構築した。これが、今、日本の文化や伝統と言われているように思う。
日本は欧州諸国にくらべれば小国じゃないってポストがあったけど、平野の少なさだけでも十分欧州に負けてる(勝ってる?日本語は難しい...)んですよねえ。
だいたい列強の勢力には植民地を含みますし。
まぁそんな後世の評価抜きで、時の入手できる情報だけでよく戦争する気になったなぁ、と。
「先の戦争は無謀だとの声が多いけど過去日本の対外戦争で無謀でなかったものがあるの?」ってどなたかの言葉を思い出しました。
全くおっしゃる通りで、だからこそ、こういう言説をちゃんと「売っていく量で負けられない戦い」をやりきれば、全体としての言論環境が大きく変わるはずだってことなんですよね。なんとか頑張っていこうと思っています。その点じゃこのポストがこれだけバズったのは勇気もらえてますね。