2024/1/27-2024/1/31
みんなに了解される善に向けて努力したい≒モダン
部族社会での体面が、封建、国民国家、市場主義、情報社会を経て、
動機も承認も貢献もない
≒ポストモダン?
▷工務店コミュニティの哲学
▷織機がディーゼル
▷いや、剛腕が嫌で、安倍さん菅さんをやめて、岸田さんを選んだんだよね? その流れがあったよね?
▷日記が続かん。 理想は、連用週記帳なんだが。
▷「裏金」って言葉の、感情的なインパクトよな…。 なんか、「サラリーマンにはできない手段でお金を集めて私腹を肥やし、自分たちだけ贅沢な暮らしをしやがって」という汚らしさへの感覚が、パッと体の底に灯っちゃう。 実際には、公人の使途不明金の問題って、
▷組織票を買収したり、対立候補の違法なネガティブキャンペーンをおこなう原資になったりするから問題なわけですよね。 衣食住で贅沢したいなら勝手にすればいいんですよね(不記載は違法だが)。それなのに、なにか、そことは違う感情が立ち上がってしまう。
▷「ずるい」とも違うな…。やっぱり、「きたない」なんだ。
強慾と堕落、怠惰のイメージ。餌を貪る豚とか、横山光輝三国志の悪徳君主とか、
▷痛ましくて出せる言葉がないな。
怒りをぶつける先はあるにはあるだろうけど、いまはそういう話じゃないし。
▷難しい言葉を、難しい由来で使うようになるとは限らない。
▷"他者との関わり(=外)について考えていくとなった時に、かって光栄の三國志シリーズにハマっていた私は「内と外と言えば内政と外交だな!」と思って、政治的どころかむしろ「身近な言葉」として採用した。私の中では子どもの頃にやったゲーム用語なのである"
▷報道などで、「怒りのやり場がない」というような表現を2回くらい聞いた。まあ、ぽつっと出てきた表現であって、本人の中でも、感情としては切実でも、正確にそれを表現した言葉ではないだろうけど。
▷絶望のぬぐいかたがわからない、とか理不尽へ向き合うことがまだできていない、とかなら分かるわけだけど。
▷悲劇にワンセットで解決点とか悪意ある主体とかが通常あるというものでもないだろう、なんだろうそのヒューリスティックは、と、無関係な者は思考してしまう。
▷ソファーとソファーの間のような、弾力あるものでできたV字谷に、ビーズなど小さい物が落ちて、でも挟まって途中で止まっている時に、それをつまみ取ろうとするんだけど、その指がビーズよりも太い場合、指がソファーの両岸を押し広げてしまうため、どんどん落ちていく状態をもっと簡単に説明したい。
▷@rashita2 そうですね……。 局所に限れば、世界が広い分、本当に色々なことが起こってしまうので、文句しかわかないことも、それはそれでありますよね。
▷@rashita2 「文句に満たされているならばネジ曲がることはない」www それはそれで、この複雑な社会では、自分が「単純な人格」ですと喧伝するようで、恐ろしいですな。
▷ハッピーがほしいと欲望しているが、タネを巻いておくくらいならともかく、「努力の結果何かを達成した」だと、望むハッピー/苦労バランスには満たないんだよなあ。 もっとジャーンと、苦労を上回ってほしいもんだ。
▷今年は雑草花よりも、梅の花のほうが早い?
▷絶えず「忘れ物ないかな」「今やってなきゃいけないこと、先にやらないといけないこと、なかったかな」と審問官の声がしている。
▷高校生が主人公の物語なんかを読んでいると、「自分の精神年齢、高校生から何にも変わっていないなあ」とか思うわけなんだけど、子育てしていてリアル高校生を見ながら、「自分とこやつが何かに同じ反応をするだろうか」と考えると、やっぱり違いはある。(個別の個性だけでなく)
▷何かしら歳とともに、人生とともに組み込まれた回路はある。
▷政治家に徳者や腹黒の印象をかぶせたり期待したりしてしまうのも、それの変法かもしれぬよ。
▷「妄想や幻想を結晶化させたような二次元キャラ」をありがたがって消費している者達、という見られ方があるわけだけど、ある意味、実在の人物にフィクシシャスな願望を投影することのほうが、罪深いことなのではなかろうか? (たとえ本人のほうが、職業の覚悟としてそれを選んでくれていたとしても)
▷家族の中で、アニメやマンガを好んで見るのは私1人で、(実際には下の子はそれ以上に見るが、好みの対象や言語化のツボが合わないので)何か感想を持っても共有できる相手が、リアルというかオフラインの人間関係にはいないんだよね。交友関係が狭いし。
▷だから、ネット上の検索的世界にそれの補償的欲望を求めるしかなくなるわけなんだけど。 じゃあ、ある種の幸運が味方して、自分の狭い交友関係や家族の中で、みんなが自分と同じ趣味で近い感性を持っていたらすごく幸せだっただろうか、と想像すると、
▷「俺たち、みんな実社会からは隔絶しちゃってるよな……」的な不安というか落ち着かなさを潜在的に抱えることになっただろうとも思うんだよな。 物語コンテンツなんてものは、濃ければ濃いほどフィクションなものだし、尖るものだし、そこに感性の焦点が合っちゃう人生ということになると。
▷こなみかんの上にあるみかん
鎌倉武士の生首みたいな感じだろうか。
時の感覚としては、テロが「かっこよさ」みたいなもんもあって、他のセクトとかでテロを競い合ってた。
自身の体験を吟味し、それが自分が知識として(つまりは先入観として)持っている言葉とはうまくマッチしない事態だと確認したところで、ふさわしい言葉を探そうと手を伸ばすこと。
ある種の違和感があり、その違和感を解消するために言葉を模索するところにこそ、「自分の言葉」の源泉があります。
周りに他者が存在しなくても同じです。イマジナリーな他者に向けての、あるいは「自分」を観察する自分が、自己理解のために検討する言葉遣いは、あたかも「他者」がいるかのように振る舞います。
⇒究極、「色んな生い立ちをすると、色んな感じ方をする人が現れる」ということを世界に見える化していくことが言語活動の最終的な目的になっていく、なっているのだろうか。
日本軍は良いこともしたかというのについては、吉本隆明が言ってたように、そもそも戦争は参加してくる国は「悪いこと」しかしていない、と思う。
芦原妃名子先生のツイ消しを「圧力」と見る人もいるけど、小学館と相談して声明出したんだから違うと思うよ。あまりにもネット支持が集まり過ぎて脚本家の女性を潰しかねないから消したと思う。相手の攻撃が目的ではなく、テレビ関係者に公開SNSであれを言われたら出版社と漫画家は説明せざるをえない
『私はもう「おまえらが被害を黙って我慢さえすれば、全部丸くおさまるんだよ」的な「対処」には賛成できぬよ』
↑という彼女の言い草を見れば分かりますが、あの人たちには「被害を受けた」と「被害を受けるかもしれない、可能性がゼロではない」の区別がないんです。これは本当に恐るべき価値観です
わかる...マルフォイの役者エピソードは日本で歓迎されたって話も含めて私も好きなんだけども、海外ってまじで創作と現実の区別ついつねーのかよ!日本って創作と現実の区別リテラシー高えんだな!って思う。そら外圧由来の表現規制があるよなという気持ちになる。
涙腺が緩くなるエピソードなのだけど、同時に「これだけ現実と創作の区別が付かずに平然と加害しちゃう民なら、『有害な』創作表現禁止しろと主張されるのも仕方ない...のか?」と言う暗い気持ちにもなる。表現の自由は健全なリテラシーと人権意識に支えられる。
マルフォイ役のせいで、学校では卵をぶつけられカッター入りの手紙を渡されるなどのいじめを受け、成人してからも子供達から定期的にアンチレターをもらうも、それに対し「良い子でいないと魔法をかけるぞ!」と直筆で返信するトム・フェルトンは聖人、よってスリリンに1億点を与える
キルケゴールが執筆時に実名と筆名を使い分けていた話が面白い。書いた内容が道徳的に実際の自分より高いか低いかによって筆名を使い分け、等身大の道徳的内容であれば本名を使っていたとのこと。執筆に限らず、個人の中には異なる道徳レベルの自己が同時に存在しているということだ。色んな自分がいる
スマホも無い時代、テヘランの日本大使館には情報ノートがありユーラシア全域のノートでも筆頭の面白さだった。
中身は旅の情報より、東京でイラン人と結ばれイスラム教が何かも知らないまま結婚した日本人嫁の愚痴と友達募集だらけだった。文化背景を無視して愛だけで移住する浅はかさが刺さった。
「3組に1組は離婚」という話も、給料などと同じく統計のトリックなんですよね。分母はその年の新規婚姻数なのに(然若い世代が主体)、分子は熟年離婚を含む全世代の離婚件数なので、婚姻数自体が減っている少子高齢化の中では不当に高く出る数値です。実際には3組に1つも離婚しません。
滅びる、という言葉をいただきましたが、実際、ホモ・サピエンスは滅びとまではいかなくても少し苦しい状況にあると思うんですよ。護岸工事で減ったイトヨやサンショウウオとはまた違ったかたちで増えにくくなっている。それだって疎外としてカウントすべきなのにしてないじゃん、って思いがあります
地方から京にやってきて、貴族のマナーがわからず周囲にそっぽを向かれて破滅した木曽義仲とか「かわいそう」てなるけど、自然豊かな田舎のノリでそこらじゅうで立ちションやゴミのポイ捨てしながら「都会の者どもは繊細じゃのうガハハ」て笑ってたら、ワイもちょっと距離置いちゃうかなて思ったのだ...
なんで悪党を英語でヴィランというのかとふとぐぐったら
「中世ラテン語villanus「村人」が語源で次第にイメージが悪くなり「村人、田舎者」→「身分の低い田舎者」→「悪党、悪役」となりました」と出てきたが地方人差別にも程があった
なんかチーターの話バズっていたので。
ネコ科に限らずとも、人間と信頼関係を築く哺乳類は
「なぜか自分の子供を紹介する。」
という行動をとりがちです。
実はいうと、これについては多くの議論をされていますが具体的な研究結果は出ていません。
しかし、仮説は立てられています。
(続く 1
このルートを歩んできた院卒男性は「異性に選ばれる能力」よりも「異性を見る目」のほうが問題になりやすいです。コミュ障じゃない院卒男性はアラサ一で女性から需要があるので結婚はできるのですが、女性を見る目が養われてないので良妻になる女性と結婚できるかは完全に運ゲーになります。
「感情的対立が深まり延々とSNSでバトルする」
…みたいなことを続けていて社会が前に進むはずがないんですね。
「それってあなたの怨念ですよね?」みたいなことを延々ぶつけあうのはそろそろやめるべき時だと思います。
つまり、
先進国においては、長期的に見ると、資本の運用収益率rは、経済成長率gを上回る傾向にある。
つまり
投資をする人は、社会の経済成長の恩恵よりも、多くの儲けを得る。
で、
そういうもんじゃないのか?
ピケティははっきりと、「r が5%に達する理由は分からないけど、これまでずっとそうだった」と書いています。
ただしrが高い理由について仮説は提示しています。その1つが「時間選考」という心理的な理由です。これは、今日の1万円と1年後の1万円を比較した場合、今日の1万円のほうを選ぶのが普通というものです。
ピケティ先生のr>g。今更だけどあらためてこの不等式って物凄いインパクトのある話よね。
財を成したいのなら真面目に働くのをやめて、起業するか株や不動産に投資しなさいという極めてシンプルで重要なメッセージ
昭和のころ、「飯場」というものがあった。その雰囲気してれば、実質誰でも飯にありつけた。
昭和の終わり頃、関西旅してて、プレハブだが、小綺麗な飯場だろうな、というのが、あり、安い代金で飯が食えた。試しに入って、くった
身分証無しで働ける仕事が無くなると犯罪しか行き場なくなるもんね
桐島聡みたいな人が働ける業界は1つか2つくらい残しておいたほうがいいと個人的には思っている
ただ、もしも私自身に不老不死なる状態が到来するとしたら。リッチやヴァンパイアならまだしもゾンビやスケルトンとしての不老不死は、いやだなー。
差別的で権威的なのは一部の悪者だけだという捉え方の人がけっこういるが、世の中のたいていの善男善女は差別的で権威主義的だと個人的に思ってるので、その辺りで話が噛み合わない。
へえ!そうなのか>「平均年齢が高齢に寄っていると、紛争や戦争が起こりにくくなる。
たとえば人口の55%以上が30歳を超えている国では内戦がほとんど起こらない」/経済から文化まで、未来を知るにはまず人口に注目すべし『人口は未来を語る』- 基本読書
長らく支配的な通説だと思っていたものが最近の研究成果によって更新されることももちろんあるけど、「なんか最近新しい研究が出ててどうも違うらしいよ、今までの」と言われたのでその新しい研究を見てみたら全然ダメじゃん通説の方が100倍マシだよ、ということも割とよくあるので難しい。
「なろう」を馬鹿にする人は少なくないが、ポストモダンの究極形とも言える。
「せめて革共同系、社青同系、ブント系、黒ヘルがそれぞれ違うものであることぐらいはわかってくれ」は、そうかな。
そもそも論なら、なんで、左派は、こんなに割れるのか、が、あるか。
あー、その前に、なんで、共産党と社会党が、というのはあるか。
まあ、そもそも、なんで「新左翼」なのか、という話が原点だろうな。
左派の運動は、世界史的には、マルクスとエンゲルスに端を発するが、そこから、レーニンで分岐(べルンシュタイン)、さらにそこから、スターリン(トロツキー)と分岐していった。
日本の左派運動では、「労働者」を「労働する人」(汗水垂らして働く人)みたく考えがちだけど、マルクスの議論における労働者は、生産手段を有さない人なんだよ。
昔、連合のブレーンのかたと飲んだて、スターリンは悪っていうけど、農民を潰すのは「正しい」社会主義なんだと聞いて、ほーと思ったことがある。
アジアの共産主義は儒教的な農本主義が共産主義と混じってしまうからなあ。
日本の過激派は、イデオロギーはなんであれ、基本「天誅」しか、しないんだよ。で、これが、多少の犠牲や巻込みはやむを得ないになっていく。
日本軍は良いこともしたかというのについては、吉本隆明が言ってたように、そもそも戦争は参加してくる国は「悪いこと」しかしていない、と思う。