2023/11/16-2023/11/20
▷失言バイデンに比べれば、読み上げ岸田のほうがマシなのだろうか。
▷朝の情報番組とか昼のワイドショーを、コメンテーター無しの、原稿読み上げオンリーでできないものかな?
▷文化やムーブメントのただなかにいると、「そんな小さな趣味の違いで党派争いをしている場合かよ! 市場のパイ全体を大きくできなかったら、いずれ衰退するんだぞ!」という気分になるけど、その外側にいる人間からしたら、“自浄作用” ってのが、他者な文化集団に1番求めたいことで、
▷自分たちの集団の中の1番下劣なものは、自分たちで処分してしまっていてほしい、ということが期待として1番大きかったりするんだよね。
▷「眼鏡 sf アニメ」で検索して、トップに『電脳コイル』ヒットしてくれるのありがたすぎ。 ▷世間話というか、同僚とのエレベータートークみたいな場面で、「いやー、あの政策困りますよね」「本当に、政治家が誰も彼も情けない」みたいな話をてきたら、お互いに傷つかないし、天気の話やスポーツニュースに次ぐくらい便利なんだよね。
▷ただそれって、「身近な対立は覆い隠して、遠くの相手を一緒に叩くこたで連帯感を確認する」という仕草なわけで、やっていることは実は、弱い者いじめでクラスの一体感を確認したり、異民族や異教徒や社会的少数者を叩いて気持ち良くなるのと、(人間の動物的な部分としては)同じ回路が働いてるよな。
▷別に、政治をチェックしなくていい、するべきじゃない、って話をしていないですよ。単に「心の回路の似た部分が、論理的思考と同時にそちらも起動しますよね」ということの確認だけなので。
▷社会的弱者への憎悪誘発発言は、より些細な影響で死を誘発するから、政治家になれるような社会の中央にいる人へのそういう発言よりも、「より気を遣ってするべき」というのも当然のことです。はい。
▷子供が進撃の巨人のストーリーを順に見て、マーレ編みたいなところに差しかかった際の感想として、マーレの街が巨人力に蹂躙されて、マーレ側の子供が
▷「なんでこんなことするんだよ……!」みたいに言っているシーンで、「気持ちいい〜、今まで自分側がされていたことをやり返せてやってる〜」って感じた! みたいな感想をくれたので
▷グロさがむしろ足りないのかもしれないね。(個人の感想です)
▷「私は、すべての労働と責任を憎んでいる……!」みたいなことをつぶやこうと思っていたら、
▷そういえば、口を動かして何かを咀嚼して飲みくだすという作業も、食べている間はテーブルに拘束されていなければいけないという規範性も、どこかで邪魔に感じている、ピュアな自分性にも気づいたのだった……!w
▷@yokoyama_bancho これですね! ↓ クリスマスツリーって置き場所に困るよね… : きょうの横山家 blog.livedoor.jp/musuore/archiv…
▷期間限定無料でBECK読んでるけど、コミック1巻が終わっても主人公がまだバンドしねえ! すごいな。
▷2巻でギターは始めたけど、3巻が終わってもバンドにはまだ加入しないのか……
▷リフローじゃないんだなあ。 そうすると、文字が小さいのはともかく、ハイライトができないんだよなあ…。
▷春と秋どこ行っちゃったんだよ
▷ある意味、着る服に迷うことはないが。
▷部屋の明かりを、「あれ、誰もいない部屋の電気がついてるな」と気づいた段階で「スイッチを切る」というタスクが発生すればよく、「部屋を使ったら、出るときにスイッチを切るところまでが、“部屋を使う” というタスク」という認識じゃなくたっていいのじゃないかと。
▷洗剤の詰め替えみたいなタスクが意外と鬼門で、詰め替えが終わった後に、ボトルを棚に、詰め替えの入っていた袋はゴミ箱に運ばないといけないんだけど、袋を運んでいる間にボトルのことが意識から蒸発しちゃう。あるいは、ゴミ箱付近の風景で目に入った新しいタスクに意識を上書きされちゃう。
▷あとは、こぼれたボトル周りを拭き掃除しなきゃ、ということも、そのときにはちゃんと思ってたねんで? ってなる。
▷それを周りの人に「また忘れてる!」って咎め立てされても困る。
▷「ボトルは棚に戻し、ゴミは捨てる。そこまで含めて、“ボトルの詰め替え” でしょ!」「名前のない家事!」って言われても困る。それはそちらの認識。
▷っていう意見というか感想にも、対等な価値としての市民権が持たされて、価値相対になってほしいとは思う。
だから「ああいう面白さを真似したい」とは考えない。
肝心なのは、「自分から滲み出させる」ということに真剣であるかどうかだ。滲み出た結果がどういうものになるかはわからないけれど、前提として「滲み出させる」ことに真剣でなければ面白くはならない。取り繕わないこと。
自分の関心や強みの最前線を表現しようとしてしまいがちだと思う。(中略)自分の中で最前線でないなら世界にとっても最前線でないのだし、そこに価値を見出してもらうのは難しい。
みんなが同じように思うわけではないゆえに、自分と同じように思う人がいることを知るだけで喜びになるもの、そういったものを人間は表現し続けなくてはならないと思う。そういうものはAIに書いてもらってもしょうがないのだ。
どういう意味で「書きづらい」のかが重要で、「大っぴらに書くとリスクがあること」はやっぱりやめた方がいいし、それより「書いてもまあいいんだけど情報として無意味すぎる気がすること」にスポットライトを当てようと思った
言葉遊びではあるんだけど、生きることにはイキることが含まれているんじゃないだろうか。単に生をまっとうするという以上の意味をそこに編み込もうとするならばなおさらに。
明晰さとは、ある種の乱暴さの別名なんですよね。
ジーン・シモンズが著書のなかで「大物ミュージシャンの訃報が続くのは、俺たちが“音楽の黄金期”という幸せな時期を経験したからだ」という意味のことを言っていて、それを実感する日々を過ごしております。
わかります。他方、言語というのは特に書き言葉において、知と結んだ権力の装置であり、生活言語との見えにくい緊張があり、その見えにくさが難しいように思います。
ありがとうございます。例えば、人間に対して上下・親疎関係を量詞で細かく分ける言語と大雑把にしか分けない言語の差が「君主制/官僚制の細かさ」と対応するかな?と色々と考えています。ちなみに中国語は人間に使える量詞は実質的に3つ(個,位,名)しかないので、あまり対応しなさそうです
自分は老人なので老人らしく、今の若い人の多くは愚かなものだと感じてるが、①自分もそうだったが若い人はそんなもの、②時代の差が愚かさに感じられられる、で、②は、自分の老害。
イーロン・マスクはクソ野郎なんだけどマスクの会社の宇宙開発は最高で、しかしマスクの統治する火星には住みたくないという、こ
の
「社会性パンチ=あなたのやっていることは法的に問題があるし、仮に法的にグレー(ただちに黒ではない)であっても社会で信用を失うよ」
「社会性パンチでダメージが通りやすいのは女性より男性」このジェンダー問題、あまり言われないことですが、複数の要因があると思うのですよね。女性がもっと社会進出すれば減ると思いますが......。
昼ピーク時の混雑したレジで「ポイント貯まったんでグッズください」的な行動を取れる人への苦手意識があるが、「我がうちなる通俗道徳よ去れ」と唱えながら押さえ込んでいる。
社民党が「あきたこまち」とかを総攻撃してるの「泡末になりすぎて、別に地方の農民の票なんていらない。限界界限だけで1.2議席は確保できるから」のやけくそだと思うよ。
社会党時代ならこんな雑なことはしなかった。
「世間的に言われる『普通』のハードル高すぎるの草」みたいな自虐ネット言説はもううんざりなんですよ お前が「普通」なんだよ
そこから始めていくしかないんだよ
こうすればみんなうまく行く なんて誰にも有効に機能する方法なんてないしそんな断言するような言説は無視したほうがいいそれは生存バイアスに過ぎない 自分が自分のやり方でみっともなくあがくしかないし失敗したらそれは確実に自分の経験データベースに蓄積される
「真剣になれったってどうすりゃいいんだよ
クソが!」と思った方は上出来 まずは現状
認識からです 言っちゃ悪いが人間はなかなか死ねない たぶん今から10年生きのびる人のほうが多い10年後の自分が今の自分を振り返って「今よりはあのときもっと何かできたはず」ときっと思う まだ間に合う
プロ奢らレヤの方が以前から言葉を変えながら何度も「友達作れ恋人作れ家族を作れ一人で生きていくなんて逃げてるだけだまだ間に合う真剣になってくれ」とかなり本気めに言ってるの まあ真理なんですよ こないだ冗談めかして言ったけど「リア充爆発しろとみんなで笑いあった幸福な季節は過ぎた」んだ
国から京都府に出向して来られている官僚
(財務省からの出向者はゼロ)と、我が国の異常な緊縮財政について話をすると、多くの方は「財務官僚は本気でハイパーインフレを恐れている」と言われる
改めて官僚から聞かされると、こんな情けない理由でこの国が落ちぶれ、国民が苦しめられていることが悔しい
長らく、北隆三県は関西や中京とは繋がっていても「東京」を直視しなくて済んでいた。
だから「東京のいろんな選択肢」なるものを知らないまま暮らしやすかった。ところが今は北新幹線が開業してしまった。どうなるんでしょうか。
新幹線で2時間ちょいで行ける東京では同い年の若い人が色んな選択肢をもって遊んでいる光景をSNS越しで見せられると、ますますしんどくなる。
実は北隆って県民所得はわりと高めなんですよ。低賃金の仕事しかないわけではない。ただ若い人にとってはお金の「実効的な価値」とでもいうべきものが少ない。
わたしの地元は1泊2日で旅行するにはいい場所だろうけどね、さすがに毎週末ともなると行くところなくなるのよ。お金を使わずに精神的に満たされることといえば、スタバで読書か放送大学の勉強するくらいしかなかった。何も変わらない日常で進んでる感を出す
には、勉強くらいしか逃げ道がなかったなぁ。
地元に暮らしてたときは、やることも欲しいものもなさすぎて休日がちっとも楽しくなかった。遊びに行く場所なんてとっくに尽きてた。電車は少ないし車の代行なんか使ったらとんでもない値段になるから、外にお酒を飲みに行ったこともほとんどなかったんだよね。つまらない20〜30代前半だったと思う。
饅頭先生のおっしゃる通りなのだ(田舎は低賃金でお金を稼げないことに加え、そのなんとか稼いだお金をイキイキと使いたいような場所がないから、生きることや働くことへの気力や納得感がどうしても薄くなるのよね。その感情って突き詰めると「老い」なのよ。
⇒んー、「消費による楽しさ」なんて、なくていいんじゃないなと思ってしまうし、今ならAmazonとネットゲームでいいのではと思ってしまうな。
小説におけるフィクション性について考えていた。フィクション性は、おそらく滑稽さと結びついている。すべての小説は、どこか、独特の滑稽さを帯びている。
手書き文字は、活字的制限を受けない。極端な例だが、漢字をその場で作ってもいいし、大きさも位置も変えられる。その分、思考は自由になる。
そもそも、隷書自体が、石版に膨るなど公開
用の書体で、普段書きする文字でもなく、ここから、普段書き用に草書が生まれ、隷書に戻る感じで行書ができ、さらにまた公開用に
楷書が出来た、のだろう。告知文字と手書き文字には、ダイナミズムがあるだろう。
マルクスを哲学でとらえるなら、『1844年
の経済哲学手稿』(Okonomisch-
philosophische Manuskripte aus dem
Jahre 1844)のような気もする。
マルクスの思想と見なせるのは『資本論』では1巻目だけではないかな。
マルクスもニーチェも、大学生時代はギリシア哲学の学徒だった。
アラブ国が北京を受け入れたのは、インフラや技術など、米国が支援する能力や意欲が低いと思われる分野で中国を取り込みたいと考えたからだ。米国は、中東の社会経済問題と統治問題が、今後10年間における最大の脅威となる危険が高いことを認識した政策をとる必要がある。
人はできるだけ、不運を避けて、安開と幸せに生きていければいい。知的なろうとしなくてもいい。
人はできるだけ、不運を避けて、安開と幸せに生きていければいい。知的なろうとしなくてもいい。
知性というのは、どこかしら、心の病ではないかと思う。教養もまた。そんなものなく、人は幸福に生涯を終えることができる。
ただ、そもそも幸福なる人生はあるのかなというと、よくわからない。
『善の研究』とかも大半のひとの読み方はせいぜい自己啓発だったと思うんですよ。ベルクソンも昭和期の解説文眺めて頓珍漢な文章が並んでいるので、読者はほとんど読めていなかったと思います。そういう、消える前の教養主義を奉じる人たちの必読書なるものの意義がなんだったのか今や謎です。
皮肉ではないけど、あの時小泉純一郎を支持したのは団塊世代ではないかな。
「りんごは赤い」っていうツイートに「赤くないりんごもあります」「赤くないりんごを食べた人の気持ちを考えてください」「あなたが見たのが本当にりんごだったかは分かりませんよね」みたいなツイートがたくさんくる
人生順風満帆お金持ちに
😤「貧乏は努力不足で‼️私の周りは皆努力して結果を出してる、貧困は全て努力不足で自業自得💪」
とか言われたら即座にブン殴るけど
かといって
「アナタが貧困なのはアナタのせいじゃない、実家が貧乏で両親もしょーもない人間だからですよね‼️」
って言われても殴るよな🤔
⇒「すべては社会のせい」「政治のせい」「時代のせい」って言ってくれるやつも、それはそれで殴りたいよな。
まあ、ここまでの3レベルで言えば、国ガチャや時代ガチャのほうが、本人の努力や親の要素よりも大きいだろうとはいえ。
犬撮るときも👍
逆さにせんでも位置下げればいいのでは…というリプ欄は、下げると画角目視で確認できんからよ。無理矢理見ようとすると角度変わっちゃうし。<RT
今どき、会社の部下をやたら飲みに誘うのもアルハラ、とか言われて寂しい思いしてる管理職もいるんだろうから、そこに需要はあるかもしれないよw メイド喫茶を手本に『クラブ「第二営業部」』とか作って、入店時には一斉に「部長、お疲れ様でしたー!」、帰りは「ご馳走様でしたー!」みたいな。
皮肉ではないけど、あの時小泉純一郎を支持したのは団塊世代ではないかな。
⇒言われてみればそうかもしれない。そしてもしかしたら、その後の民主党政権もかな?
⇒そう考えると、学生運動以来の彼らのビジョンが、いったんは満たされたことになるのか。
西洋古典語で、古典ギリシア語を学ぶときはギリシア神話の基礎知識、ラテン語を学ぶときはローマ史の基礎知識がほぼ必要になる。言葉の学習だかに向き合わないほうがいいと思う。
Twitter(X)のタイムラインには大学教員と編集者と本屋さんが多いので、本も本屋もまだ元気に見えるけど、より一般社会に近いであろうFacebookの流れをみてると、ホントにもう誰も新刊本なんて買わないし、ましてや新刊で小説なんて読まないのだと、よーーくわかる。
(続く)
毛づくろいは一対一で、しかもお返しも要れると、さっきも要った通りかなりの時間が必要だ。
これも150人という集団サイズに当てはめると、人間は起きている時間の40%を「毛づくろい」に費やさなければならない。これはもう限界を越えている。
⇒脳が覚えられても、時間が超えていくw
話ベタで死んだ奴はいない。だが、言っとかないとフェアじゃない気がするんで、これだけは言っておく。人生で、あらかじめ準備しておけることなど、実はあまりない。大人の仕事は常にやっつけ仕事、恋はいつでも初舞台だ。
2つのことを申し上げなくてはなりません。
まず友人はそこまでのものではないです。
いざという時頼りになったり悩み事を相談できるとすれば、それは頼りになる人や相談できる人がたまたま友人だったからで、相手との友情が深くなったからではありません。
フィクションに出てくる「友情」や「友人関係」は、ちょっと高機能すぎるというか、日常では何人もの人が手分けしてようやく実現できる機能を(作話コストの関係で)「親友」枠キャラー人に一手に引き受けさせてしまいがちなので注意が必要です。
もう一つ指摘すべきは「友人をつくる」というのはおそらく不適切な表現だ、というものです。
むしろ「友人は出会うもの」+「友情は育てるもの」と2つに分けて考えたほうが良いように思います。
「友情は育てるもの」から考えてみましょう。
「去る者は日 (ひび)に以て疎く、来たる者は日 (ひび)に以て親しむ」というように
顔を合わせなくなると人間関係がリセットされるのは当然の帰結です。
逆に、芽生えた友情を育てるには、繰り返し
「顔を合わせる」こと、そのために「連絡を取ること」、そのために「会う/連絡する理由を用意すること」です。
例えば、あなたが、一緒に遊びに行った人たちから「あの子とまた遊びたい」と自然に思ってもらえるタイプの人なら、「遊びに出かける」という最初の切っ掛けだけで、「会う
/連絡する理由を用意する」→「連絡を取る」→「顔を合わせる」のコンボが自動的か
つ連続的に実現します。
しかし世の中には、そういうタイプの人ばかりではありません。この場合は、一度「遊びに出かけた」だけでは、その後何もしないでいると、顔を合わす機会も理由も発生せず、時間経過により関係は立ち消えます。
ではどうするか。
友情や個人的魅力以外のところで「会う/連絡する理由を用意する」のです。
効率的なのは、定期的に会う「集まり」を自前で立ち上げるか、それが難しい場合は、他の人が企画運営する「集まり」に参加することです。
最後に参考文献を。
この分野では(SST本ではありますが)鉄板の書、『友だち作りの科学―社会性に課題のある思春期・青年期のためのSSTガイドブック』を。
記事では次のものを「あなたの地位と人脈は《スモールトーク》が決めている/ダンバー『ことばの起源』応用篇」
"新しい、より厳密な思考法や表現法を見出して自信を強めるとき一一つまり、見出した
象徴論理に思考を委ね、このやり方で行けばいいのだという「操作主義」に走ってしまう
とー_新しい思考を行う能力が減退してしまうでしょう"
『精神の生態学へ (上)(岩波文庫青
N604-2)』 グレゴリー・ベイトソン
言葉遊びではあるんだけど、生きることにはイキることが含まれているんじゃないだろうか。単に生をまっとうするという以上の意味をそこに編み込もうとするならばなおさら
に。
父母に孝行をつくし、
兄弟姉妹仲よくし、
夫婦互に睦むつび合い、
朋友互に信義を以って交り、
へりくだって気随気儘の振舞いをせず、
人々に対して慈愛を及すやうにし、
学問を修め業務を習つて
知識才能を養ひ、
善良有為の人物となり、
進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、
常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、
万一危急の大事が起つたならば、