2023/07/28-2023/07/31
threds→instagram→Facebookとたどったら、最終的には一意の実名にたどり着けちゃうのかな? 現実的には不可能な範囲で匿名で楽しむことはできるんだろうか。
仕事中に、プライベートの発想や雑念が思い浮かんできすぎないためのハック、みたいなものが、究極的には個人の知的生産の技術として残るだろうか。
正義は常に制されなければならない
すべては系になり社会になったこの世の中、手に入れたい“よきもの”は人に由来するものばかりになったこの時代。
正義は火力が強すぎて、必要悪の中で生息している小さきものを焼き殺してしまう。
何が正義かは自明ではない
リソースは有限だ
感情が満たされる;
欲しいと思ったものが与えられる
自分の欲しいが、相手の範疇に収まっていたことをしれる
相手が必要としていたものを、自分が 発していける
笑顔が欲しい
それは、媚態でもなく、歓迎や承認・賞賛ということだけでもなく、吉兆・吉報としての笑顔がいつももっとほしい。
この世界は愛すに足る、棲むに値する、自分にとっていいことも起こるんだ、だと信じ込ませてほしい。
▷「空気」の支配”っていうと悪いこととしか思えないけど、実は「空気」って、デルタをものすごく短くとったときの「文化」ってことなんじゃないか。
▷文化の、最先端の、瞬間風速。
よく考えるかわりに、よくある言葉を使うことで考えを進めてしまうと、よくある結論にしかならないだろう。通りのよい、一般的な、自分の実感とはぜんぜん関係ない結論に。
ある意味で、考えるとはそうした既定のルートからがっしゃんと外れることである。もっと言えば、そうやって外れることを意識しながら外れること、となるかもしれない。
⇒だとしたら、言葉を使わずに、概念で操作して、出来上がった概念を丁寧に言葉で描写し直す(伝える必要があるから、最後は言葉で)形がいいのだろうか。
今、私の生きる実態を「冷笑系」と言われることについてどう思っているかというと「その読み方がその人のコンディションや能力では限界なんだ。同時に私の自己表現の限界なんだ。それは多分仕方のないことだ」という感じ。
一生懸命、色んな人がいることを知って理解しようとしてきた人生だ。
今更心の底から人を「バカだ」などと断罪する楽で無責任な生き方には戻れない。
そんな中でも、私は名誉のためでもなく、なにか嫌な空気が伝播していくことには少しだけブレーキをかけたいと思う。
だから、少しだけこういった文章を残しておきたいのだ。
《みんな気づいているのだ。やっても無駄なのだ、と。告発の事実関係や主義主張の正しさを議論するには、それなりの労力が必要となる。ポピュリズムの代理戦争に巻き込まれる心理的な負担もある。しかし、結論を出したころには、ネット学級会のみんなは興味を失っている》『「逆張り」の研究』 《現実はなかなかうまくいかない。議論をしても不良たちが簡単に説得されるとは思えない。一方で、弱者は不利な状況に置かれたままだ。苦しい思いをしている。さらにひどいことをされるかもしれない(中略)こうなると、議論は行動を先延ばしにさせ、疑問は決断を迷わせるものになる。》
《大きな決断になればなるほど、絶対に正しいと信じ込まないと行動できないからだ。しかし、そうなると、(中略)あったかどうかという議論を打ち切ることになるので、告発を妄信することと紙一重になってくる》
《ミームの代表例として(中略)「不幸の手紙」が知られる。「不幸の手紙」が恐怖を煽ることで増殖するように、ミームのポイントは、たとえ事実や真実でなくても、ぼくたちに有害なものであっても、宿主を獲得する優れた特徴があればどんどんと広がる、ということだ》
高齢者におけるうつ病と認知症の境目はあいまいで、ストレスの元から遠ざかり、抑うつが回復すると認知機能も回復するケースは割と見かける。高齢者のうつ病については、もともと仮性認知症(仮性痴呆)という言葉があり、本来うつ病として治療すべきものを認知症と間違えてしまう、そういうまぎらわしいうつ病があると昔は習ったものだった。が、実際の高齢のケースはもっとグダグダというか、両方が混在している病態がしばしばみられるので、仮性認知症という言葉より、両方の境界がまぎらわしいさまをご本人とご家族に説明することのほうが多い。
職場支給の私物ではないiPadなので、そこまで自己資金を投じなくてもいい。
書き味の良さは、クアデルノで味わって、iPad+Apple Pencilは徹底的に便利さを追求すればいい。
また、事案によっては、「たとえネット上であっても、1人ひとりが声をあげることが、問題の解決につながる」という思いを人々に抱かせる場合もある。最初は「コンテンツ」的な感覚で乗っかっていたとしても、騒動を知るうちに義憤に駆られ、次第に「当事者」の感覚を得るのだ。謝罪会見を行う企業には、なかなか理解しがたいポイントかもしれない。
だからこそ、会見を開く際には、個々の発言が「どう受け取られるか」を、以前より慎重に考えたうえで、準備を進める必要がある。世論から「一刻も早い会見を」と求められていたビッグモーターだったが、「ゴルフ冒涜」発言が飛び出すような状況では、まだ体制が整っていなかったと言わざるをえない。
ツイートって別に何かを主張したり、共感を得ようと思っているわけではなくて、ただ自分の考えが世間的にどんなポジションなのか、を測っているようなものと考えている。
研究室の歴史を資料化した際に、メールとかローカルサーバで共有して自分でフォルダ管理している昔の資料はすぐ見つかるのに対して、クラウドに置いてLINEやSlackでリンク共有した最近の資料は検索できなかったりリンク切れしたりして大変だった。ホントに世の中は便利になってるのか疑問を感じた。
文字列のスクリーンショットを撮ってLINEで送る,みたいな文化が発生したときに,便利な仕組みが登場して不便になることもあるのだ,ということを学習しました
スマホ育ちの子の特徴として「ファイル管理」の概念が曖昧な子が多い。
全部クラウドに突っ込んで検索とかサムネイルプレビューで探すやり方だけだと、仕事で使う時に数万点を超える画像を扱いだした時に時間が掛かりすぎて破綻する。
もう一つ気に入ってるスティーブ・ジョブズの成功哲学。彼からしてみるとこの単純な事ができるだけでも人生はかなり好転すると。逆にいうとそれをしない人が多すぎる。本当にかなり単純な事なんだけど、それが意外と出来なかったりしますよね。
⇒他人にお願いしてみて、断られたことがないというエピソード。
でもたとえば、国家機密とかテロ防止とかでは断られるはずで、そこらへんの感覚が微調整できたらいいな。
⇒あと、口に出してしまったら、諦められなくなる、引っ込みがつかなくなる、というのはある。その他大勢に隠れていられなくなる。
ものくろさんの札束タスク管理最高では?
札束で殴っていく感じ。
タスクが増えれば増えるほど札束増えるw
アメリカがオバマケアで2009年に取り組んだようなことを日本は2023年の今頃やっているのか!そりゃ先進国から脱落するわけだ。医療費も高止まりするはずだ。
Epicはデータ分析、レポート、ダッシュボードなどもユーザー主導でカスタマイズできるらしい。
そりゃすげーや。日本の電子カルテって、データベース形式でのデータ出力すらできない気がする。
まず最初にEpic社とCerner社がFHIRによるインタフェースをEHRに実装したのが結構大きな変わり目だよなあ。富士通やNEC等の電カルベンダーがこういう動きをするのはまだ先の話だろう。法的、政治的な動きもあるし。まあ競合システムに対する優位性を維持するのは当然だし、別に批判したい訳ではない。
つまり、富士通やNECには、自社の電子カルテを便利にするインセンティブが無いんだろうな。今のままの方が利益を守れるのだろう。私企業だから、当然の振舞い。
記事にもあったけれど、クラウド事業者の方がサイバーセキュリティ対策に資金を投資できるんだよね。各医療機関で閉じた電子カルテ(実際は色々とつながっている)の方が余程危険なのに、未だに「インターネットに接続するクラウドは危ない」とか言う人々が存在する。まとめて火星に送ってしまいたい。
大学の基金の規模、電子カルテの差、アメリカと日本はこうも差がついてしまったんだなあと。ケインズの言ったアニマルスピリットを初めとしたメンタリティの差も大きい気がする。国家のダイナミズムが仕組み化されているか否かも。日本は根付の国ですよね、やっぱり。ちまちまやるしかないのか。
問題なのは、厚生労働省を初めとして日本のトップクラスの頭脳たちが善意で色々とやってきた結果が今というこの悲しみは雪のように。本当にどこから手をつければ、変えることができるんでしょうね。
出てくる人はいつも同じ。
漁師なら新地の小野さん。
福島在住者なら武藤さん。
自主避難者なら森松さん。
昭和のころはタクシー運転手の乱暴な運転や接客を防ぐため実名表示するようになったが、時代は移り今はカスタマーハラスメントの危険があり実名を隠す方向へ。良いと思います。/タクシー運転手の名と写真 乗客に見えぬよう変更へ - 日本経済新聞
総じて言えば、高齢層の資産は国家側に吸収されていくことで、世界史に類例のない変な国家に日本はなるだろうな。社会主義より社会主義みたいな。
庶民はそう感じないけど、実質は再配分される。庶民の目は嫉妬がベースだから全体像が見えない。
政党政治が機能しないは、日本だけでなく先進国の問題で、いろんなアプローチがあるが、どれもうまくいってない。基本的には、非営利団体と権力問題だが。
リベラルは自身をインテリとみなしてるし、右派も勉学を重ねてるが、日本のアカデミズムは国際的にはジョークレベルで、頂点の東大は官僚制度の外部機能でしかない。まあ、だから、どうという話でもないが。
そういう意味では、現代日本のリアル・ポリティクスは、自民党だのといった政党間の昭和臭い枠組みではなく、よくわからない複雑化した非営利団体のコングロマリットみたいなもんにあるだろう。
政党政治が機能しないは、日本だけでなく先進国の問題で、いろんなアプローチがあるが、どれもうまくいってない。基本的には、非営利団体と権力問題だが。
日本の官僚は、国家制度と別に業界団体に寄生するんで、そのあたりの奇妙なwin-winで政治家が動く。
規模の問題だと思うけど。
何か参政党がライオンズクラブというか、そういうのを支持母体にしてるケースがあるみたいな話をどっかで聞いたような
先日、ある研究者とも話したんだけど、ツイッター等に見られる本の批評は非常に深いものが多く、しばしば、メディアに書く権利を持つ人々よりレベルが高いと思います。構造的なテクスト読解をしているものがよく見られる。対して、権利保持者の語りは、主観的決めつけに流れたりする。
批評の書き手としての「権利」を得ると、構造分析をサボるようになるのかもしれないね。テクストの研究者として言えば、ハイレベルな批評というのは、価値判断ではなく、構造の正確なトレースとその解釈です。この「批評はどうあるべきか」は20世紀を通して確立され、もう動かないものだと僕は思う。
批評家不在の時代などと言われるけど、構造分析をちゃんとしない批評家が偉そうに好き嫌いを言ったら迷惑以外の何物でもないですからね。
そもそも理解してもらいたいのは、公式なものとして書かれる文章には、それなりの格式ある文体が求められるということです。ネットの軽い口調が「表に出していい日本語」としてあまりに普及したため、しかるべくスーツを着た文体が必要な場面というのがピンとこなくなってしまっている可能性がある。
小説の本質とは、人間の感情を深く捉えるとか、描写の妙味とかそういうことではなく、ただ単に、最も言語使用のレンジが広い散文だ、ということにあると思う。
世界で起きること、起き得ること、あるいは不可能なことを、自然言語によってミメーシスするのが小説であり、その意味でそれは、あらゆる可能的な言語使用の練習であると言える。
私が講義を持つ慶應と東大の学生達と話していて気づいたが、私含め平成生まれにとっての日本は「右肩上がりの、希望にあふれた国」なのではないか。スタート地点が低かったため、じわじわとではあるが、日本は良くなっている実感がある。実は「日本は終わった」は今の世代にはピンとこない価値観。
ハンチョウの新刊読んでるけどこれ本当におっさんの業だよなあ。俺は子供と一緒に居るから承認を与えられてモブになれてるという認識がある。 pic.twitter.com/IuFuqLw2LH
ピューロランドにおじさん一人でいくと、子供を探されるんだ。このおじさん子供とはぐれたんじゃないか、ってね
@t_tomono めちゃくちゃわかる
旦那には必ず
結婚指輪つけて外出しろって
言う
つけてるだけでも
エレベーターで
2人っきりになった時の
安心感がちゃう
北京人義母から「日本に帰ったら折りたたみ傘を買ってきてほしい」と言われた。
ほとんど中国製だと思うがそれでもいいか聞いたら、日本に売ってる中国製の傘は中国国内のものより質がいいはずだから頼むと言われた。
TLに流れて来る美少女イラスト元ネタわからん問題
・タグが特徴的だったらだいたいVtuber
・頭に輪っか付いてたら基本ブルアカ
・比較的まともな格好してたらだいたいグラブルか原神
・まともな格好してなかったらだいたいアズレンかNIKKE
・一瞬目を疑ったらだいたいラスオリ
で判別してる
くられ @reraku
くだんの会社騒動で話題になっている除草剤、フマキラー カダン 除草王 ですが特段珍しい濃度でも成分が入っている除草剤ではなく普通のグリホサート除草剤(というか除草剤は一般的なのは2、3成分なので)木を枯らすのは相当な量を投入しないと難しいし、特別な使用法をしないと木は枯れない pic.twitter.com/ATWVFGIY0L
パッケージにも庭木の根元に使えると書いてあるくらいには木を枯らす心配の少ない濃度で調整してあるので、変な風評被害が広がらないでほしいところです。