2020/04/05-2020/04/07
日本人という群れ
自分の身は守らなきゃとスイッチが入って、予防でマスクを付けたり、マスクを買い占めたりする性質と、「指導者(政治/宗教等も)や国家を信頼し、その采配に自分を委ねるつもりで、大きな権力を国家に与える」ってことができなかったことも、たぶんつながってて、そこをいいとこどりはできないんだよ。
「こっちがこんなに頑張ってるのに、そっちはなんだ」
という気に人はなりやすいし、
「これだけ私が頑張ったんだから、報酬をくれ、それがなくとも褒めてくれ」 という心理になりやすいけど、なかなかそういう風にも動きにくい。
『人に置いていかれたくないから、努力してるだけ。本当はしたくない』
と思っている人でも、
『私はイヤイヤでもここまでは頑張ったのに、全然頑張ってないあっちの人には救済制度が与えられて、自助だけで乗り切った私は、“平気だった人”扱いで何もなしか……』 という気分になることはあるわけで、その辺のバランスは取りにくい。(頑張ってる人の多い集団は、外から手が出しにくい)
運命として一緒に沈むしかないんです。
歴史的なマクロな視点で日本人の群れを見たら、「いかにも日本人らしい対処で立ち向かい、日本人らしく困難と戦った」以上の姿でもそれ以下でもないはず。
長所も短所も、尊敬すべき特徴も、あわれむべき愛おしさも、たぶん日本人らしい。
頭のてっぺんから、指の一本にいたるまで。
地図という快楽
“心が変われば行動が変わる/行動が変われば習慣が変わる/習慣が変われば人格が変わる/人格が変われば運命が変わる/運命が変われば人生が変わる”
医師であっても、人間である。彼らは人に見られていることをわかっていても、適切な手洗いという”望ましい行動”をとらなかった。 各部屋に手洗い遵守率を示す電光掲示板を設置しただけで、彼らの遵守率は大幅に上がった。
スタッフが手洗いをするたびに、掲示板の数字が変動するという目に見えるフィードバックが変化を促した。 行動を取らせたい場合、恐怖や監視、脅しよりも肯定的なメッセージやフィードバックを流す方が有意義であるという可能性だ。 罪の意識を植え付けようとしたり、脅しあげたりしたところで、人の気持ちを萎縮させるだけで終わってしまうからだ。
日本は社会的に誰かを叩く空気を作る文化があることで、強烈な権利制限をも伴う法律を作らずに済んできた一面はありそうだ 誰かを叩く空気を批判するのは間違いなく正しいが、それだけでは困るのがリアル 空気がない、法律もない、となれば社会は保てない
危機的状況において外国人に対して差別が顕在化するのはどの国も同じだなあと今回感じている ヨーロッパ諸国も余裕がある時は偉そうなことを言っているくせに余裕が無くなると平気で東洋人を差別する下衆に成り果てる
ということをツイートせずに本当に一人で考え抜けたら完璧なのだが難しい
新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の中で、ブログ更新ができなくなっている。
日々の仕事や生活をこなしながら、COVID-19の情報を集めて、Twitterを使う時間も増えている。
おそらくそのせいで不安を自ら喚起してしまっている。 そんなことしたら、東京都民が一斉に東京脱出して地方に感染を広げてしまう。
しかし、そんなこと、自分がツイートして意味あるのか?
専門家でもない素人がTwitterでCOVID-19について語ることは有意義なのか?
かといって、COVID-19を完全にスルーしているTwitterアカウントも逆に気持ちが悪い。
無視しているアクションがかえって不安を表現している。
で、私個人のことでいうと、なんだかんだで今までと同じように書き散らかすことは実質できなくなったなあと思うようになってしまいました。だから、実質書けなくなっていました。
でも、当たり前なんですよ。世界の状況が変わってしまったのだから、書くことが変わらないわけがない。でも、その状況もよくわからない。 ⇒でも、どこかで「元に戻らなきゃ」「元に戻れるはず」、と思ってら自分もいる。
東日本大震災の心理も、東日本台風の心理も経験した後では、それ以上の心理的な変容はないんじゃないかと思ってしまうところがある。
デマをめぐるメディアのニュースでは、「否定形」ではあっても、デマの内容はユーザーの目に飛び込み、強い印象を残してしまう。
だが、この問題に対するいくつかの対策も提唱されている。
その一つが、「真実のサンドイッチ」と呼ばれる手法だ。
さらに、「遺伝子組み換えの蚊」のような広く信じられているデマを否定することで、回答者はジカ熱に関するより一般的な事実についても、懐疑的になる傾向があった、という。
つまり、デマを否定されることで、人々は事実を理解するのではなく、より事実から遠ざかってしまった、ということだ。
研究チームは、やはり蚊が媒介する黄熱病に関するデマについても、事実をもとに否定する実験をしたところ、こちらはジカ熱の場合とは違い、否定の効果があった、という。
長い歴史のある黄熱病と、ブラジルでの流行時には一般にはほどんど知られていなかったジカ熱。
ダートマス大学のブレンダン・ニーハン氏は、デマを否定されることで、よりデマを強く信じてしまう「バックファイヤー効果」の研究でも知られる。 ※参照:偽ニュースの見分け方…ポスト・トゥルース時代は、まだ来ていない(12/31/2016 新聞紙学的)
ニーハン氏は2005~2006年の研究で、イラク戦争の理由とされた「イラクによる大量破壊兵器の保有」について、これが事実ではなかったことを示す実験をした。
すると一部の人々に「大量破壊兵器の保有」をより強く信じてしまう「バックファイアー効果」が見られ、保守派にこの傾向が顕著だったという。
「デマの否定」をめぐっては、ほかの逆効果も指摘されている。
ウソであっても、何度も繰り返されることで、事実と思ってしまう。米国では、特にトランプ大統領が事実ではない発言を繰り返すことをめぐり、その弊害を指摘する文脈で使われたりする。
エリザベス女王のスピーチで思い出したけど、弱い人のことを思いやる、みたいな話を誰もしないね。日本。政権、与党、知事、テレビ。
エリザベス女王が素晴らしいとか余裕のな人に無理しろ、という話でもないので。
こういう時、偽善でも何でも定番でヒューマニティに言及がある社会と、なぜか官僚や医者や首相が率先して被害者ポジションに座り込んで動かず、一般人もそれに乗っかって弱者に石を投げる社会と、違うなーってだけ。
⇒なんなら、トリアージが議論されるくらいの展開だし ⇒日々状況が悪化する中で、救える方法がまだ誰にもない
⇒それは日本では天皇の担当だから、という言い訳はなくもないとはいえ。 ⇒みんな、まず自分が弱者だと思う展開だものね。
真っ暗なところに行かなくても大丈夫。
条件がよければ-2等星ほどの明るさになるISSは街なかでも見つけやすく、方角と仰角が合えば公園や家のベランダで気軽に見られます。 ⇒思ったより暗い。金星や木星くらいに光るかとか思ってしまうが ⇒訂正。マイナス記号を見落としていた。
⇒マイナス2等星なら、金星には負けるけど(マイナス4.7等星くらいある)、木星にはほぼ匹敵する……、木星はかなり明るさに差があるみたいだけど(地球との距離、太陽との距離、満ち欠け)