20190604-20190605
悪い方にだけ寄せていく話、ハッピーマンデーに通じる。休ませるための政策
年金
多くの男達は、自分のことを「見る性」だと思って、女性を「見られる性」だと決めつけています。信じられないかもしれませんが、多くの男達は、「自分は見る側で、見られる側ではない」と思い込んでいるのです。 「見る性」は、通常、見るだけでは止まりません。見たら判断し、ジャッジし、評論し、からかい、揶揄し、断定します。 それが、見ることとワンパックになっている男性が多いのです。「見る性」でも、「黙って見る」とか「判断を心の中にしまっておく」とか「態度に表さない」とかできる男性は少ないんですね。若ければ若いほど、この傾向は強くなります。
さんざん、外見でジャッジされてきましたから、同じことはしたくないと思います。
もちろん、きれいなもの、美しいものは、ぶさいく村出身でも好きです。でも、「見る側」に立って、相手の美醜を簡単に口にする、容姿によって態度を変えるということと、「美しいものが好き」ということは別です。
「ぶさいく村・心優しき地区」に住む男達は、自分がされたら嫌だから、美醜を口にし、態度を変えるということをしないのです(残念ながら、「ぶさいく村・復讐地区」に住む男達もいます。この男達は「自分は容姿で判断された。同じことを女達にしてやろう。ざまあみろ」という気持ちです)。
足で拾うとか、足で閉じたり開けたり。
死なない程度の汚れとか。