2019/11/01-2019/11/04
#採掘場
「地震が来たら、竹林に逃げ込め」みたいな話がありますけど、そんな風に市民社会の安定に資する形で、文化の中に根を張っていたい。 #いっき日記という生き方
衝動と遠吠えの間
衝動だけで日々を回したい
そこに思考とか文化とかそういうものがある
推理ドラマで世の中の人が『みんなちゃんとした生活をしてる』という前提で推理がされている→自分が事件に巻き込まれた場合きっとこうなるだろう - Togetter
「どういう原理なんだろう…」"アニメやマンガの作中で死亡する母親のキャラクター"はなぜ皆同じ髪型をしているのか - Togetter
⇒こういうのを読むのが、やはりなんとはなしに好きで、それが私の今生の生における役目みたいな感覚はあるな。
わたしの書く文章が、ブログであれ、ここのであれ、「随筆」っぽいカテゴリーになるという自己認識である限り、エッセイ本の文章に、ある憧れや方向性を見てしまうことがある。
『戦略的その日ぐらし』みたいな文章を書けることには憧れるし、しかし、それは私の興味関心のスペクトルでは難しそうと自認すると、
『きみの言い訳は最高の芸術』みたいなテイストなら目指してみたい、と思ったりする。
道徳的であり哲学的であり、同時に感性的でもある。
父「じゃあ、なんで英語って格好よくキマるんだろうねー」
娘「できる人が少ないから?」
父「おおー、なるほどね。まだできる人が少ないから、やれている人は格好よく見える。なるほど」
自分の正義を疑う
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https://blog.tinect.jp/?p=62444
「次女ちゃんがレポーターやるの。インタビューされる人も自分で、テレビに映す質問を考える」
「自分で自分に質問するの?」
「そう。一人二役。パパがカメラでちゃんと録画してあげる。やってみる?」
「やってみる!」
モチベーションが出来ましたので、まず「自分に質問したいこと」を考えさせました。
「運動会は楽しかったですか?」とか、「どの種目を一番頑張りましたか?」「嬉しかったですか?悔しかったですか?」みたいな、そういうヤツ。
「質問という形式にする」かつ「聞く側、というペルソナになる」というのが重要で、「振り返り」とか「感想」とかいう言葉だとある程度思考回路が出来ていないとそれに対応するのが難しいんですが、単に「聞く」というだけだと案外ぽんぽん質問が出てくるんですよ。
そりゃそうですよね、「聞く」というだけなら普段から散々やってるんですから。普段からニュースやら報道番組やらで「インタビュー」というものに触れているから、ということもあると思います。
で、当然のことながら、これってそのまんま作文の段落、段落ごとのテーマになるんですよね。
なんなら、語尾をちょっと変えて、「運動会で、一番頑張ったことはなんだったかというと」というくらいで、もう段落の書き出しになる。
そこから「その質問への答え」を書くだけで作文は勝手に完成するんです。
つまり、「作文の構成を考える」のではなく、「自分に対する質問を考える」という風に、頭を切り替えてもらったら、これが結構刺さったんです。
https://twitter.com/akizukid/status/1190102667202162690?s=21
野党はなんで萩生田文部科学大臣の辞任を求めるの?
野党が求めた延期を決断したんだから評価すればいいじゃん