2019/09/19-2019/09/24
依存というのは、多分にプロセスです。何かしらの嗜好品とか快感にと言うよりも、その行為全体のプロセスに依存します。一日中たばこのことばかりを考えて過ごすというのは、たとえたばこを吸う本数が日に一本であったとしても、何か依存的な心理状態を思わせます。 そして「たばこを生活の中心にそえる」事は、同時に「たばこを吸わない人生のつまらなさ」を際立たせる結果になります。
インタビュー原稿を読んでいて、自分の口調がずいぶん偉そうだし自信があるように喋っているなあ、と感じることがある。それは話を聞いて原稿にしてくれたインタビュアーがそう感じたということで、もちろん事実の一面なのだけど、もう少し戸惑いや葛藤を入れてほしいなと、そういう語句を追記する。 原稿には、文字しかない。けれど「文章」という表現媒体は「言いよどみ」や「迷い」といった言葉になっていない感情の交錯、もうすこし包括的にいうと「空気感」を表現できるはずだ。そういう空気をうまく書き出している原稿が好きだし、話し手としての自分も、もっとそれを伝えられるよう修行します。
⇒文字だけの場合の文章の味わいは、付け加えようとしないと出ない。
なんとなく気づいた。わたしは「アドバイスしたがる人」が苦手なんだけど、インタビューで「何かアドバイスを」と聞かれた場合はまあ考えて話すわけで、けどそれが原稿になると「別にアドバイスしてほしいと思ってない人」も読むわけで(たとえば自分)、だからふわっと押し付けがましく感じるんだな。
「空気読めよ」という言説が示すのは、空気を読んだ後の行動は一意に定まるという価値観であろう。 ⇒読めば一意に定まるのが空気なのかもしれない。
⇒読めてもあえて逆らうのが、読めている人の発想だろうか