20180903
葛藤ノート
独身税
古いDNA
「選択と集中(笑)」というくらい古いレジームになっていて
それだけでうんざりするのに
それよりも古い、「日本人は豊かになってハングリーさを失った」的な認識のまま、各種の改革案を投げつける指導的立場の人がいるというのは驚きや呆れを通り越して戦慄を感じる。いや、本気でマズいよね?
大学改革とか
競争意識が足りない、お金に甘い、危機意識が足りない、象牙の塔ではだめだ、実学だ、等々の
「なかなか変わらない」ところではなく、「いつまでも同じ『変革』をやり続けてしまう」
小泉改革と民主党政権という自己の挫折
確か一票こそ入れなかったものの、その改革はすべきだろう、とは思っていたし、だからそれぞれの劇場型投票の結果がこれだけ無残に終わったことは、単に「残念」ということだけでなく、自分の判断能力自体を信用しすぎない方向に、私の自我を修正した。
少し落ち着いたら、主要な本について、Kindleハイライトを取り込んだりもしてみたい。
ハイスコア
《つまり、読み聞かせが子供にもたらすのは感情を動かすことであって、「思考、創造、意図、情操」に働きかけることはないらしい。アニメやゲームやマンガやネットとどう違うのかは、本を読んでもわからずじまいである。
ゲーム脳と読み聞かせ脳
政策と経済のタグ
ツイッター社は、これだけユーザーからの不満が届いても、タイムラインを編集してハイライトするのをやめない。
山ほどフォローするという古いDNA
「書くの別に俺じゃなくてもな」
あなたは古い価値観を守りたい?
雑でよければ書けることといえのは結構あるのだな
もちろん、新しいツールに出会えた興奮で「書かなきゃ書かなきゃ」と焦っているというのもあるだろうけど。
極東ブログ
「市民社会に複数の意見があるときそれを表明する」「ある事件が起きていた時の市民社会の感情のログ」
ネットワーク図は作成者本人以外に対して『表現』としての機能を持たない
ネットワーク図は作成者本人以外に、表現として機能していない
私は、情報がシリアルに並ぶ「本」という形式をそれほど最上とは思っていなかった。
目次で見当をつけて、興味のありそうな章/節だけをつまみ読んだり、小説のページをザッピングするときに、「」のところだけを拾って章や節のなかを回遊したりすることもある。
そういう能力があるのだと思い込んでいた。しかし。
実際のところ、人物相関図のようなネットワーク図を、知的概念単語の整理形として見せられても、当人以外にはどこから読んでいいかすらわからない。
(それをアシストしてくれるAIでも出てくれば別だろうが)
マインドマップの形ですら怪しいところはある。
クアドラントや狭義のツリー形式が最大のところではないだろうか?
Youtuber、vTuber
「今おもしろい」みたいな評判を得るメディアごある。興味はある。しかし、別段語りたいことがあるわけではない。
ぼろく儲けられるならそうしたい。単にお金のことだけではなく、有名になってしまえれば、そこからいろいろと波及して布教をかけていけるから。
おもちゃのドレス
おもちゃ屋さんにある、おもちゃのドレスだのお医者さんごっこセットだのが、どうしてもディズニーとかアンパンマンとかサンリオとかのタイアップ商品になってしまう。
そうじゃない方が、シンプルだし、安そう、と思っても売り場が隅に追いやられている。あるいはそういう商品がお店にない。
もちろんタイアップの方が安全に売れるというのもあるのだろうけど、ストーリーというバックグラウンドがないと、こういうデザインはすぐにインフレーションしてゴテゴテになってしまいそうだな、という気もしてきた。あるいは、逆に過当競争でつくりが安っぽくなりすぎるか。
人間は過去の蓄積として考える
新しいものについて、反動的に保守反応が出る。これは当然出る。そしてそこに「自分語り」というものが発生する可能性が常にある。
手書きの手紙の方が心がこもるとかなんとか。
どんな自我も、いまこの瞬間にまで「それ」で生き抜いてきたという自負があるはずだから。
行動さえしていれば、そこにどんな自我体系や、判断や、価値体系があっても関係ない。⇔ツイッタードリブン
隙あらば自分語り
他人がみんな自我を持たずに自分がそこにとけこめるという幻想
一体感、感動、郷愁、母性
それが嘘とわかると物語がギリシア悲劇になる。
新しい仕事を職にすると、老後が不安になる。
また次の波が来てしまうかもしれない」「身の回りで歳をとっても安定して働き続けている人のモデルは、古い仕事ばかりだから。
前重心
骨盤前傾と
重いカバンをたすき掛けでかついで、少しでも速い歩速
電車などで揺さぶられたとき
という2軸で考えてきた感じ。
不安は開き直るというより、物語として取り込むイメージ。
現実化しないことを祈るというよりは、何が出てきても戦うという感じ。
特定のストレスに対する感受性が個により異なるのは
作らなければという焦りに支配されている
不安に対するコーピングは、結局は戦うこと