20180816日記
ぢごぷりとlovesolifeの間
初心としてのlovesolife
子供は社会で育てるという間違いという間違い
健康で文化的な最低限の生活、ではないけれど「科学的で基礎的な、中核となる保育と養育」は社会や国家が提供し、
子供にとっての文化的な手本とか家族の一体感とかそういうものだけを実際の親が提供するという風に
切り替えていってほしいものだ。
(監督の義務も社会の方で)
授乳とか看病、お着替えや排せつの処理、子供の散歩・親の外出時のお留守番の監督なんかは、親の提供による労力じゃなくたっていいじゃん。
旧民主党の一派には、LGBTやBIのほかに、「子供は社会が育てる」にも、まだまだひっそりと期待している。高等教育無償とかにもな。
(反原発や反米軍や反公共事業やは、することを期待していないのでしなくていいです)
子育てとある種の知的なというか文化的な生活は、一定範囲で反するし、完全には両立できない。
自分の中で自分がスターでありたい。
空想の力。
嫌なことが押し付けられて、うさがたまっているとき、快を補給してバランスを取ろうとつい私達はしてしまうけど、本来求めるべきは、(快)刺激ではなく、自己効力感であり、能動性。
目標が降ってくる。スタートではなく。
低年齢少女漫画のADHD感と、もう少し上の少女漫画のASD感。
「これは何か?」という問いも大切だけど、「誰がやるのか(やりたいのか?)?」(俺だ)という問いも同じぐらい大切だという気がしてきた。
独自通貨の発行権がある場合、どれだけ国債が積みあがっても財政破綻は起きないの?
信用創造がまったく行われない国民性がある国民があるとして、しかも貯金だけが好きで投資も借金もしない場合、公務員への給料を税金からではなく新規発行通貨だけでなりたたせることは可能だろうか?
外国為替はないものとする。
デフレ:税金を納めるためだけに給料をもらっている状態
つい、重税とインフレが頭の中で結びつく。悪いイメージの者同士の仲はいいはずだと。しかし実際は逆で(いや、インフレの方がデフレより悪いってのがそもそも誤認なのだとしても)、税を上げるとデフレになる。
「国民に痛みを」と言ってくる経団連には、『はい、痛みも国民にはお願いしますが、それはインフレによってと考えています、税ではなく』って言っておけばいいと思うよ。というか言え。