宗教は平和のための道具
「宗教は人を殺さないために発明されたのに、それによって人が死ぬことがあるというのなら、本末転倒じゃないか」
と、あるとき妹は言った。
「おお、なるほど。それはうまい考え方だね」
というようなことを、私は返した。
妹が中学生、私が高校生のころだったか? あるいはもう少し後で、私は大学生になっていただろうか。
これは良い例えで、歴史的に見たら、あるいは預言者を名乗った人達からしたら、その神とそのルールは、仲間同士の殺し合いを防ぎ、集団を平和的に運用するための発明品だったはずだ。
しかし、それが正義感の硬直化を招いて、宗派ごとの対立や、宗教の違いから戦争を生んで、より多くの死者を生んでしまうのでは、なんのためにそんなことを民に強制したのか分からなくなってしまう。 あるいは、哲学的な意味で「悪とは何か、善とは何か」ということを考えた、当初の駆動力も、まったく間違った実を付けてしまったことになる。
……というようなことは、現代日本人なら割と、それこそ中学生くらいで考えることで、「神も宗教も、人間にとっての道具である」というような視点は感覚は大多数にとってあると思う。