子供に恥は耐えがたい
子供に恥は耐えがたい
子供に、学校やら塾やらへの提出物を「提出しておいてね」と言付ける。何回か忘れると、だんだんと嫌がるようになる。「なんで今さら? って変な顔されないかな? 怒られないかな?」
もらった配布物を、家でなくしてしまった、ような気がする。
「予備がありませんか?」って、先生に聞くだけ聞いてみてよ、と頼んでも、ちっとも煮え切らない。
まあ、そういう要素の一つ一つは共感可能だ。私ももともとはそういうのが、すごく苦手だ。
会議に5分遅刻してしまったら、後からすでに始まっている場にのそのそ入っていくよりも、完全に忘れて気付かなかったことにして、丸ごと欠席してしまいたい、とか。
そんな風に、自分のミスで迷惑をかけたり、自分の不手際が晒されてしまうことから逃げていたい気持ちになる。確かに。
そして、昔はそういう感情にほぼ押しつぶされたよな、そういうとき。とも思う。
「それくらいだったら、はじめからやらない方がいい」
くらいのことは思っていた。
もちろん、不合理なんだけど。
そして、じゃあ、今はどうしてその感情がゆるんだのか、どうすればゆるむのか、というと方法はない気がする。
私の場合は、子育てがきっかけで、フルタイムで共働きしながらの子育てで、まあ妻さんの方が負荷は多かっただろうけど、それでも私にしたってキャパを完全に超える、それも長期にわたって超え続ける経験をして、いちいちそんなことに遠慮していられなくなった。ということなのだと思うから。
もう、自分1人の身嗜みとかそういう、佇まいすら「きっちり」した社会の『想定通り』の枠の中におさまろうとすることができなくなり、さらに子供たちは社会通念なんてお構いなしで生きていて、あっちで謝り、こっちに頼み込み、調べの足りないことも、注意の及ばないこともしょっちゅうで、でも明日を迎えようとすることをやめるわけにもいかない。
だから、
「ああ、もう私は、迷惑をかけずに生きられるような生きものではない」
という自己認識にすっかりならざるを得なくなった。
かといって、仕事も家庭も、「よし、これでしっかりやれたぜ」ということを思えるところまで手をかけられない。予定の管理もいつもバタバタだ。
でも生きてやる。悪いが、迷惑をかけるぜ俺は。そしらぬ顔で、礼儀正しく、笑顔のままで、腰低く、恐縮したふりで、でも図々しくお願いするぜ。
といっても、楽ではない。
先にこの境地を手に入れてから、子育てを開始できたらいいんだけどねえ。
実際には、「必要に迫られた自己認識の変化」なんて地獄に決まってるわけで、だから「子供を図々しく育てる方法」なんて、ないよねえ。
そんなこんなが色々あって、すっかり図太くなってしまうと、まだまだ繊細な子供たちのレベルがすでに異次元になってしまっている。
そこはなるべく、「そんなの簡単でしょ」とは思わないようにしていたい。
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from 2019/10/04