四道将軍と五畿七道と五街道
日本書紀くらいの時代、4人の将軍が、地方に「教えを受けない者があれば兵を挙げて伐つように」と派遣された。 丹波國
古代日本の律令制における、広域地方行政区画である。畿内七道とも ⇒「七道」の方だけど、細長い日本を輪切りにして正方形っぽくするんじゃなく、さらに細長く縦割りに区切っている。
五畿
畿内ともいい、大和、山城、摂津、河内、和泉の五国。
中国で用いられていた行政区分「道」にならったものなんだとか。 ⇒えー、でもさあ。中国って全体がまあ円形の領土(モンゴル、ウイグル、チベット、満州を除く)だから、中央都を起点にした道をベースに、放射状に区切るのもありだけど、それを日本でやったらおかしくねぇかー? ⇒まあ、当時の日本の文明レベルだと、未開拓地、通行不可能な地形も各県に沢山あって、しかもそういうのは多分県境付近に集まってて、土地を面で考えても仕方なかったのかもしれない。 そうすると、海沿いに平地が出来やすいし、海路を使ったほうが物の輸送はしやすいし、日本を細長く使うという発想もあながち失策ではなかったのかもとも思ったりはする。 ⇒というわけで、全部に共通しているのは東海道のみ。山陽道と北陸道は はじめの2つで共通。
⇒東山道と中山道が頭の中でごっちゃになるけど、違うものだった。