作ったごはんを残されたら悲しいか?
作ったごはんを残されたら悲しいか?
妻の帰りが遅くて、子供にご飯を出すとき、私は一緒の食卓にすら、行かないことがある。
テーブルに子供のものが散らかっていて、私がつく場所がないけど、片付けるのもめんどくさいから、というのもある。でも、「やっとスマホが見られる」というのもある。
めんどくさいので、自分の分のお皿はキッチンに置いたまま、立って食べていたりする。まあ、4人で食べていて、もう一人の大人というか、妻の視線が場にあると、子供がiPad見ながらご飯を食べているのでも気になったりすることはある。
団欒の概念が、まったくない、ってわけでもないんだけど。
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私が子供や家族にご飯を作るとき、それは100%純然と「タスク」で「任務」であり、終わった時点で完結している。時間が来たら、その締切までにやらなくてはならないだけのものだ。 だから別に、団欒のために作っていないし、相手のことを思いやりながら作ってもいない。「喜んでくれるかな」「喜んでくれたらいいな」というような、思考や感情はおろか、身体的な感覚すらない。
だから、別に残されても、悲しくもないし怒りもしない。「お腹すいた」という声が大きくなりすぎる前に出せたら、それで完了だ。
「これは自分の作ったメシだぞ」という記憶すら意識にとどまってすらいないかもしれない。
もちろん、食べ残されると、「それを捨てる」というタスクを先にはさまないと、「皿を洗う」に移れないわけで、それはめんどくさい。
あと、「好きじゃない」「飽きた」という文句が出たら、新しいメニューを考える必要があって、そこの労力は確かにある。そしてそのときには、「自分は何をどれだけ連続で出されたって、黙って食べるぞ!」という種類のショックもなくはない。
でもまあ、私は相手の表情を探る気もないし、表情にアンテナが張られていたりもしないので、言ってくれる分については対応しようと思う部分もあるから、それはそれで仕方がない。
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なお、私個人に話題を戻すと、食が細すぎるので、食べることすら「任務」みたいな部分がある。ご飯茶碗一膳の、後半の半杯の退屈なことと言ったらない。
まあつまり、私は食を作ることに思い入れがない。だからこそモチベーションが出なくて困る部分もあるけど、それでやれているのなら、「そうであるからこそいい」部分もある。
「任務としての側面もあるから大変」なのではなく、「100%任務でしかないからラク」という、なんというか、そんな感じ。
キャラクター造形を伝える時に、「こどもっぽい」ことのテンプレートとして、「食いしん坊」って属性をあてることがよくありますよね。アニメとか漫画とか。
ドラゴンボールの孫悟空でもよいですし、サザエさんのカツオが食い意地がはってる、でもよいですし、トッキュウレッドでも、何でもいいんですが。
で、それがつい先入観として刷り込まれてしまう。
なんですけど、自分の子供の頃を思い返したら、そんなに食べることって重要じゃなかったです。ゲームしてたら、ゲームの「いいところ」が終わってセーブしてから食事に行きたかったし(ゆるされてた)、その頃の感覚からしたら、食事ってそれなりに「めんどくさいこと」でもあったはずなんですよね。私自身に限って言えば、文化系だったこともあって朝練もなかったし、高校生くらいまで食に執着なかったです。
もちろん、美味しいもの食べれば美味しかったんですけど……。
彼のごはん、本当になんの思い入れもないんです
よ。まずいものはなるべく作らないように努力するけど、よりおいしいものを作る努力もしないんです。
白 そこには、執念とか怨念とかが入らないから。
小 料理を作ることに対してなんの思い入れもないので、子どもが残したら残すなよとは言いますけど、全員を追い詰めることはないんです。
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