ライティングハイ
ライティングハイ
▷自分が文章を書く生活の上で、一番「調子がいい」と主観的に感じられる瞬間はこんな感じですね。 #うちあわせCast 133 pic.twitter.com/WCQ8PGQpZz ▷(画像を貼るのは著作権が問題あるかもしれないが……) 一度にまとめて(四角く整形まではされていないにしても)思い浮かんだ概念塊の群れを、攻撃心というか、指向性と照準のある状態で情念を乗せてまとめて一気に叩きつける感じ。
▷いや、これができないんだったら、気持ち良くないんちゃう? という。 大声コンテストというか、カラオケで大きな声で歌うとかに近い能動感覚があって、「とにかく“大熱情”をぶっ放せたら気持ちいい」という、原始的な喜び。
▷だから、もちろん、どちらかといえば“流れ”派の一員なんだけど、「文章の行きつく先は見えないままに」「考えるために」書くみたいな要素は弱め。
▷まあ、なんというか、私も「えっ、みんなも当然そうなんだと思ってました。違うんですか?!」という感じになる。
▷もちろん、“調子が悪いとき”はこねくり回して作っただろうし、定期連載みたいなことをしたなら、ネタ帳を作ってそこから選んで書いたりして、情念が冷めてきたネタを使わなければならないときが出たりしたことはあったんだと思う。 いつもいつも“調子がいい”わけはない。
▷褒めてほしい仲間がいて、異議申し立てをしたい神がいて、鼻白ませてやりたいエリートがいたりなんかして、そういうシチュエーションで叩きつけるために、見せつけるために、書き出す。 だから、「考えるために書く」「行き先が分かりきっていることを書くのは退屈」という感覚が分からなかったりする
▷“表現”することのイメージが、わりとそんな感じ。
▷ブログとかでない、ツイートの連投ていどのものですら、ある種の個性はたぶん出ちゃってるよな、これ。
▷例えばこの文「(〜を、)指向性と照準のある状態で情念を乗せてまとめて一気に叩きつける」という書き方は、状態を表す副詞が連続していて、ちょっと過剰になっている。 これも概念トリオンが体の中からブワッと吹き上がってるからで。「ニュアンスを誤読させてなるものか」! という、思いが twitter.com/ikkitime/statu…
▷という思いが先走っている。 たぶん、時間をおいて、文章を書いたときの感情から距離が置ければ、推敲して削れるんだけど、目的意識が強い間は、まあ無理ですね。
▷ところで、ネットを見回したら、「攻撃的な精神を持つ文章の書き手」って、たぶんいっぱいいるわけですよね。 そういう文章と、いっきテキストの違いは、じゃあなんなのか? は誰かに教えてもらわないとらわからないかも。
▷@koh_izuremo おもしろがっていただけたならよかったです!! 花火を打ち上げ(ぶっぱなし)た甲斐があります。
いやー、あまりにも僕とは全てが違うのがおもしろいです。たぶん僕の場合は攻撃性とかぶっ放すみたいなものとは無縁で、自分の城建ててみたのでちょっとよかったらみてください、みたいな感じです。それにこんなことで悩んでる自分はたぶん異端だなと感じていて、それも真逆ですしねー。
文章書いてカラオケで大声出すぐらいのよっしゃあ感が得られたらいいなー!と素直に思います。
⇒そうか。得られないものなのか……。