ホームビデオ形式と、荒いドットのフォント
ホームビデオ形式と、荒いドットのフォント
どっちをつかみにして、どっちを比喩として使うか。
昔、あるandroid端末でEvernoteを使いだした。
そこにメモを書きためることはすごく楽しかった。
そこに、「書いたものがあるぜ」という感覚
そこにWebクリップがあることもまた、楽しかった。いいコレクションであり、いいノートだった。
今、iPhoneアプリでEvernoteを使っていて、当時ほどの楽しさはない。
これには、画面が当時より小さいせいもあるだろうし、一定時間内に取り込むノート数が増えたこともあるだろうし、クリッパーで取り込むwebがレイアウトが整い過ぎ、編集しにくすぎることもあるだろう。
個人的に、当時のアプリが、UI的にもこなれていなく、さらに解像度が粗かったり、フォントが美しくなかったりしたことが、かえって「俺の手打ちしたテキストファイルがそこにある」感を増してくれていたんではないかということを疑っている。
iphoneがretinaになり、フォントフェイスが美しくなることで、それが単にビュワーアプリになり、単にドキュメントファイルとして認知されるようになってしまったのではないか、というような。
最近、芸人ヒロシさんの、ぼっちキャンプ動画をyoutubeで見る機会が増えた。
どちらかといと妻さんがはまっている部分もある。子供が退屈がることもある。
ある意味、焚き火の燃え続けるリラックス動画や環境音BGMと類似の心理的効果を期待して見ている部分はあるし、「自然に帰れ」的な憧れで見ている部分もあると思う。
いろいろな時代環境もあって人気チャンネルになってきているようなのだが、当初は単に自分の趣味を配信している感じだったのだと思う。
当然、編集もこなれていなくて、冗長な部分を切り飛ばしていない箇所も多々あるし、何より、暗い中で、自分で作業をしながらカメラを持ったりどこかに固定しておいたりして撮影しているので、カメラアングルが見やすくなかったり、ブツが映っていても質感がよくわからなかったり、ひどいとピントや露出が間に合ってなくて、映しているものがよく見えない瞬間があったりする。(一緒に見ている子供すらが指摘したりする)
でも、そこにある種ののぞき見しているような実体感がある。
ドキュメンタリー的というか、ホームビデオ的なリアリティー。
(ところで、2021年現在、これだけPCの環境がよくなり、動画編集アプリがいろいろ広まると、「ホームビデオ的という感覚は、この言葉で伝わるのだろうか?)
写真がセピア色とか、戦前の画像は白黒で見ないとらしくないとか、ある種の劣化がリアリティーの表現になる媒体がある。
カット割りを捨てて、全編リアルタイムで記録する映画やドラマとかもね。
これ、キャンプ動画を、すごく画質もよく、色調も調整して、カット割りスムーズで、アングルや構図も整っていて……とやっていくと、(例えば、チャンネルが有名になったことでヒロシさんが、動画に力を入れようとして、よかれと思ったサービス精神とかで)
結局味わいがなくなるということはあるだろうか。
少なくとも、観光ガイド雑誌のような、コントロールされたえづらを作ろうとすると、たとえば、おっさんが映る必然はなくなってしまうよな、とか、そんなことは連想されたりする。
タグ 実話の寓話、リアルで充分という断絶、リアリティ、YouTube
from 2021/12/11-2021/12/20