ヒーローの人質問題
ヒーローの人質問題
私は物語を読むのが好きで、子供の頃から大量に読んでいたので、中学生ともなり思春期になって、それまでに受け取ってきたものを疑うころには、こんなことを考えるようにもなった。
「なぜ、主人公は、悪を倒して平和を取り戻すとか、大きな目的のためにずっとがんばってきたのに、自分の身近な人を盾(人質)に取られただけで手が止まってしまうのだろう?」
そして、それはなぜ、常に、当然のように、美談とされるのだろう?
だって、いま目の前の、手の届くところに、弱っている敵がいて、今まで積み上げてきた努力もそのためのもので、その能力で、ワンチャンス・人質をかすめて悪役を撃ち抜ければ目的を達成できるのに。
やらないのは甘えだ。情に流されるのは弱さだ。やれよ!
という意識が、ずっと、私の中にはあった。
今でも、基本的には私の美意識の中心にはそれがある。
「目の前の人に優しくする」とか「弱っている人を見捨てられない」とか、そういうことが美徳ではない。
そうではなくて、目標を完遂するためなら、そういった動物的な情を切り捨てられることが、美徳であり善なのだ。そんな意識がある。
もちろん、中年になり、子供もおり、結婚もしていて、凡人で、不完全な力しか持たないことを何度も思い知り、一定の継続する役割と、生活を維持するためのルーチンの中に取り込まれてヌルヌルと生きていて、
そんな「正義」が表に出て発動する場面はほとんどない。
たぶん、子供や妻を見捨てることはしない。
でも、それは、価値観が反転したことを意味しない。
あくまで、深いところに隠れただけで、基本的な感じ方として、情と上位目的が対立したら、上位目的に自分が殉じていくのが個人の生き方として正しいのだ、というところがある。
タグ 中二病、道徳、「人の弱さで敗れる」、
from 2021/06/21-2021/06/30