のび太とぼん
「のび太」と「ぼん」という論を、むかし頭の中で考えていたことがあって、そういえば文字に起こしたことはないな、ということで書いている。
別に、文化論的な「論」ってわけじゃなくて、着眼点の一つというか、面白がり方の一つというか、その程度なんだけど。
漫画『ドラえもん』に出てくる、主人公の「のび太」は、「なにをやらせてもだめ」という人物として描かれている。
成績表でいうと、「オール1」という感じの設定だ。
それに対して、『T・Pぼん』に出てくる主人公の「ぼん」は、どちらかというと、「何をやらせても普通」という「オール3」に近いイメージで描かれている。
(名前のとおり、「なみひら ぼん/並平 凡」ということだ)
同じ藤子・F・不二雄作品なのに、ここの設計思想が違うところがおもしろい、とそのとき立論として思った。
いくつか思うことはある。
のび太のほうが低年齢向け作品で、そういう作品では共感してもらい、読者に劣等感を持たせないために、優れたところのない人間として描く方が機能した
中学生くらいのキャラクターともなると、それではリアリティーがない。というか、その年代の悩みはむしろ「個性がないこと」になりがちだから(『エスパー魔美』はどうだったかな?)
ぼんのほうが、初めから整った街並みで生活していて、おそらく「郊外ニュータウン」が一般的になってから描かれたのに対して、のび太の原型はオバQ以前から続くスキーマの連続性の中で描かれていて、もっと日本の貧しかったころの心象風景で描かれている
まあ、因果関係よりも、傾向がどれだけあるかというほうが面白いかもしれない。
オール1の中学生の主人公がどれだけいるか。空から人外ヒロインが降ってきて、同居する、的なストーリーだったらあるかもしれない。ただ、内向的なら勉強が、元気な系なら体育が、それぞれできても良さそうとは、たぶん受け取られると思う。
オール3の小学生……、これはたとえば、『妖怪ウォッチ』の「天野ケータ」は、「すべてがフツー」として描写されている。あれだけ、ドラえもんに学んだキャラクター配置なのにね。
そう考えると、オール1の主人公というのも、ルサンチマンを含めた作者の作家性の領分だったのかもしれないし、時代性の要素もあったのかもしれない。
(もちろん、物語の主人公の造形には、「ドジなほうが物語が起こしやすい」「行動的なほうが物語が転がしやすい」といった、実用上の要請もある。物語上の要請)
from2022/05/19-2022/05/26