『だから私はメイクする』(漫画版)感想メモ
『だから私はメイクする』(漫画版)感想メモ
すごく好きな漫画だった。
第1話だけ、まだちょっと「漫画化」の部分で消化しきれていないのか、流れや見せ方でぎこちない感じはしたけど、それ以降はどんどんおもしろかった。
漫画版じゃない元の本は、どうも小説とかじゃなく(そうだったら、ワンチャンあれば直木賞もあり得る存在感だったよな。漫画版はいいマンガだ)実用書の体裁で、投書や体験談を集めて、そこに総論としての解説がついているような本だった。(そりゃあ、漫画化しても登場人物にリアリティがあったわけだ)
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関連して2つくらいごちゃごちゃと考えたことがある。
メイクを含めた女性の身だしなみとファッションの楽しみに口を出されること、だ。
私は女性ではない側の人間なので、そこに過大意識はしばしば戻ってくる。
メイク
なんだかんだで、かなり自立した意識を持った女性でも、「化粧は男に見られ、喜ばせ、選ばれるためだけのもの! やめちまえやめちまえ!!」とは、ならないことが多い気がする。
(ムダ毛処理なんかもね……、しないけど、隠すから見せない、という人はいても、平気で見せる人は少ない)
で、じゃあ、自分らしく・自分で好き、自分がやりたいと思える外見はなんだろう? ということを、たぶんみんな考えることになっているんだと思う(想像でしかないが)
で、そのときに、「弱さとしてのフェミニン」と「男性から見たときのコケティッシュさ・エロさなどの記号性」を、まずまっさきに削減する、というのは基本方針としていいと思う。
じゃあ残すのはなんなんだ、ということになったとき、おそらく「健康的」・「清潔感(身だしなみ感・きちんと感)」だっただろうと思う。
これも想像でしかないが、まあ推論としてそれほど的外れにはならないのではないかな。
(さらに余談だけど、男性から「煙草を吸う女性は好きじゃない」と言われると反感を感じる女性は多いと思うけど、その人たちに個別に「煙草を吸う友人がいたとしたらどうか」「お付き合いする男性が煙草を吸う人でもいいか」ということを聞かれると、拒否感がある人はいるのだと思う)
で、ここで厄介なのが(厄介だったろうと思うことが)、「健康的」な外見は、「子供っぽい」外見と近しくなりやすい。
そして、「きちんと感」のある外見は、限界近くでは、「従順さ」と近しくなりやすい。
そういうもの全部を遠ざけたような、幽霊っぽい、あるいはアートとしての化粧みたいなものは、そもそも一般的な共同体内での対人ウケがよろしくない。
ここら辺をどう折り合いをつけているんだろうなあ。
外見にコメントする異性
よく、女性の側からの、セクハラや女性差別的な文脈で、
「ひとの外見に対してコメントしてくるが、そのほとんどが自分の好みの押し付けで不快」
という、ある種のテンプレのような言及がある。
「自分は自分の好みで(楽しくて)ファッションしてるんであって、男のためにファッションしてるんじゃねーや」とも。
それを聞くと、私としては「ん? ではどうしろと?」
という気になってしまう。
もちろん、現実世界の私は、会話することのあう女性のほとんどが職場の同僚で、職場の同僚とは業務に関係する言葉しか会話しないので、実際には他人のファッションに言及することは考えられない。
でも、わざわざそんなことを思うのは、
目についたことは口に出したいなあ。素直な感情の発露として
宇宙に絶対的な美の基準なんてものがあるわけではない以上、個人の美に対する発言は、個人の美的感覚(要するに積み重ねられた“好み”)をベースにするしかない
ということを思ってしまうからだろう。
いやでもさ。会話するなら、「辛口ピーコのファッションチェック」くらいにはこちらからも話かけたいじゃん。
まあ、「それを、まだそれほど親しいわけでもない相手に否定を入れるなよ」とか、「マンスプレイニングみたいに、男はナチュラルボーン上から目線なんだよ」とか
言われてしまえばそれまでだけども。
タグ 「それいいね」を枕詞に付けてくれない意見は耳が跳ね返す。、「楽しそうだね」より「楽しみなんだね」、一回落とす
from 2020/03/16-2020/03/21