「我々は誰も悪くなかった。いいね?」
「我々は誰も悪くなかった。いいね?」
日本人は、たぶん(主語がデカすぎるので“たぶん”と付けた)、誰かの行動や判断、発言や価値観が「間違っていた」ことを認めるのがすごく難しい。 コロナ対応でいうのなら、1年目の休校って意味(効果や価値)あった? ゴールデンウイークに向けて渋谷の人通りをゼロにする必要は本当にあった? みたいなことか、本当に苦手だ。私もしたくない。私は総理大臣ではなかったのに。
マスクって、みんな主観の感情としては、自分がかからないために付けてたよね。その効果ってあったんだっけ? とか、なんでアクリル板をやめられないんだろう? とか、どうしてもそういう、痛みをともなう過去を蒸し返したくなくなる。
だから、「我々は誰も悪くなかった。いいね?」「だれも間違わなかった。いいね?」という共了解を取り付けたからでないと、方針を転換できない。
悪くなかったのなら、なんで変えるんだ、って話だけど。誰の判断も糾弾しない。
でもまあ、なんかみんなうすうす感じだから、ここらで転換しようか、で次のステージに進まないといけない。
そんな感覚がある。
野党やマスコミも、だから、糾弾調で詰め寄らないほうが、本当はいいと思うよ。