世界文学への招待(’22)
野崎歓
阿部公彦
第01回 『異邦人』から出発する旅――カミュとダーウド
7000以上の言語、メジャー言語でも10
世界文学≒翻訳文学
言語の高度な使用法を示す文学を、言語の壁を超えて理解することは難しい
翻訳を通して豊かになる作品
カミュ『異邦人』
アラブ人の視点
名前すら与えられていない
カメル・ダーウド『もうひとつの異邦人』
本歌取り
第02回 危機に挑む文学——ウエルベックとサンサール
ウェルベック
『素粒子』
サンサール
50歳を過ぎて作家になった
第03回 好きになれない主人公が見る世界―― J・M・クッツェーの『恥辱』を読む
共感
言語は共同体で共有されて初めて機能する
個人主義の台頭
19世紀には個人の声を表現することに重きを置くようになった
自分だけが知る真理を語る
読者の理解や了解を拒絶
日常言語をずらす
共同体的な理解に抵抗
共同体の結束を高めることから個人と個人をつなぐことに力点を移した
第04回 アイルランド詩と土の匂い――シェイマス・ヒーニーの作品から
英詩
形式と枠組みがある
韻
Sonnet
シェイマス・ヒーニー
掘る digging
形式からの開放
第05回 クレオール文学──叙事詩の復活
フランスの植民地で生まれた文学
言葉と自己同一性
1つの言語では現実の全てを組み尽くせない
ジャーゴンや話し言葉を探す
独自性を表現しようとするとき、外国語や新しい言語活動の必要性が生じる
雑種性や混淆性を賛美するというよりは、ある種の統合を模索している
第06回 楽譜としてのテクスト——ロラン・バルト「作者の死」とその後の現代批評
コレージュ・ド・フランス
教授はフランス最高の権威
一般に公開されている
講義は出版される
書くという行為によって自己同一性を失う
テクストとは、無数にある文化の中心からやって来た引用の織物である
バルト『作者の死』
読み手も同様
アントワーヌ・コンパニョン
作者の意図ではなく、「テクストの意図」
アレゴリー的解釈
読者が自分が生きる現在を起点として解釈する立場
文献学的解釈
テクストが書かれた時代の文脈を可能な限り正確に突き止めようとする立場
コンパニョンは不可能であると批判
テクストは自分より賢いもの
テクストに寛容であるべき
異なった価値観を持つ人々の文学を受け入れる
まず耳を澄ます
アメリカでは古典のテクストがポリティカルコレクトネスによって読めなくなっている
現代の同時代の人間によって書かれた等しい価値観の文献に囚われている
テクストは楽譜のようなもの
テクストは指示し、読者は構築する
コンパニョン『文学をめぐる理論と実践』
期待の地平
ハンス・ローベルト・ヤウス
読者は予め一定の予想を持っている
読者の見通しをすっかり変え、第二の地平を作ることを強いるような作品が、古典的な傑作と呼ばれることになる
ウィリアム・マルクス
悲劇は悲劇的なものではない
ジョージ・スタイナー
ギリシア悲劇から現代の文学に明瞭な伝統も連続性もない
第07回 人間とロボットを分かつもの——カレル・チャペック『ロボット』
「ロボット」という言葉は兄のヨゼフ・チャペックが発した
robota「賦役」
人間が生み出したものが人間の手に負えなくなる
今日の科学技術の問題
自分が置き換えられるのを恐れているのに、人間はなぜロボットを作るのか
老ロッスム
知的関心
若いロッスム
効率
第08回 引用の文学、文学の引用――大江健三郎から、アンナ・ツィマへ