ポリティカルコレクトネス
政治的正しさ
被差別者や少数者に不利益をもたらす慣用語や表現を改める動きや配慮はあっていいと思う
一方で、そうすることで漂白されてしまい、差別がなかったことのようになるのもどうかと思う
差別的なニュアンスを感じながら申し訳なく使用する?
配慮してるのか突っ込まれないためのふりなのか判断できない
ケースバイケース、文脈や使用者の普段の言動からでないと単なる表現規制になる
不正を許さない、弱者の味方をする、それらの主張の無敵さ、雑な議論でも許される空気
ここを突き崩したい
不正を温存したい訳ではないが、自分が糾弾されないためにやっているのではないかと思う場合がある
型にはまった批判
倫理によるマウンティング?
それを倫理とは呼ばないが
文脈、バランス、妥当性
美徳シグナリング、道徳的スタンドプレーなど、そういった態度を揶揄する言葉が存在する
ある程度本能的な部分があるので、そうと知っていれば(そしてそれが正しいとすれば)いちいち苛立ったりすることもない
差別、文化盗用においてマジョリティによるマイノリティの収奪は許されないが、逆は許されるという論理を支持する人たちがいる
どこで誰がマジョリティとマイノリティの判断を下すのか
単一の属性で判断できるのか
立場が逆転しても許せるか
科学的な事実と差別の混同
科学的事実が絶対ではないし、それだけで優劣を判断しないように働きかけることは必要
啓蒙思想の核心はリスクを伴うような対話を持つことにある
それまでは抑圧されていた声が力を持てるようになったとも考えられる