「人新世」時代の文化人類学
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第1回 「人新世」時代における文化人類学の挑戦
端島(軍艦島)の暮らし
人新世時代が凝縮されている
約5000人が生活していた
当時の世界最高の人口密度
台風などでインフラが壊れると大打撃
エネルギー政策の転換により無人化
日本の未来の姿ではないか
第2回 人新世とグローバリゼーション
自然人類学
生物学的な側面からヒトをみる
この立場からすると、ヒトは常に交配しており中間が作られ続けているため、人種は定義できないことになる
人新世ではなく資本世であるという主張
人類全体が今日のような問題を引き起こしたわけではない
グローバリゼーションは人間中心的(ホモセントリック)、気候変動は生命中心的(ゾーエーセントリック)
チャクラバルティ
人間にとって快適な環境を作るのではなく、バクテリアにとって快適な環境を作るのが生命中心的
結果人間にとっても快適になる
気候工学
気球から成層圏にエアロゾルを注入するなどして人工的に気候を操作する
コスト面で安上りだからといって、倫理的に許されるか
副作用があって生態系が破壊された場合の責任は誰が取るのか
第3回 文化相対主義の悲哀:近代人類学の「文化」の陥穽
互いに違うことを認め合い、乗り越えるための学問だったが、他者を理解不能なものとして排斥する論理に加担してしまった
第4回 創造的対話への扉:フィールドワークの現実への回帰
同一性の政治
バラバラの個人を同じパターンで行為するようにまとめあげる
パターンでしかないものが本質とされてしまう
伝統の創造
支配と管理
文化の客体化
支配と管理に対する抵抗
クロード・レヴィ=ストロースが「科学的な思考」「単一栽培(飼育)の思考」と呼ぶもの
『野生の思考』
ミシェル・ド・セルトーが「戦略的思考」と呼ぶもの
『日常的実践のポイエティーク』
近代科学技術
非人間の支配と管理
数値化や一般化によって宇宙を画一的に把握して操作・管理
資本主義的な市場経済
貨幣という単一の基準によって万物を一律に規定して交換
第5回 人新生時代のSDGs と貧困の文化
これまで遊牧民は学校教育を拒否していると言われていたが、実際はシステムに合わせて調整している
主流派が失敗の原因を責任転嫁していた
犠牲者非難
不平等の犠牲者の弱点を見出すことによって不平等を正当化する
フェアトレード
対義語はフリートレード
ラオスのコーヒー農家はフェアトレード団体に加盟しながらも仲買人に売っている
フェアトレードの支払い時期が遅い
仲買人は即金で買う
仲買人が先払いしてくれる(インフォーマル金融)
緑のコーヒー
構造的暴力
ヨハン・ガルトゥング『構造的暴力と平和』
暴力は構造の中に組み込まれており、不平等な力関係として、それゆえに生活の機会に不平等として現れる
気候変動による災害は構造的暴力のひとつとして検証されねばならない
ポール・ファーマー『権力の病理』
構造的暴力と文化的差異を混同すべきではない
「文化」では苦しみは説明できないし、最悪の場合は言い訳を提供することになる
第6回 人新世時代のものと人間の存在論
構造主義以降の考え方に立つ
人間とものとの境界
「人間とは何か」という問いから出発しない
ヒトと他の動物が区別される理由
知性、言語、道具の使用、大脳の発達、直立二足歩行など
ヒトとチンパンジーの塩基配列は99.8%が共通、人間よりも高い瞬間記憶力を持つチンパンジーもいる
境界を探すのではなく、なぜ境界を探すのかという問い
ダナ・ハラウェイ『猿と女とサイボーグ』
第7回 エイジングの人類学
江口寿史、大友克洋『老人Z』
鷲田清一『老いの空白』
近代化理論
新しい知識や技術が出てくることで老人の経験や知識の価値が相対的に下がる
社会によって老人の立ち位置は異なるので、一元的に価値を決めることはできない
老年人類学
サクセスフルエイジング
失敗があるのか?誰が成功を決めるのか?
エイジズム
グレイ・パンサーズ
イヌイットの人生観
不健康になることは不可避であるが、それに立ち向かう不屈の精神が尊いとされる
加齢の生物学的定義は「死亡のリスク増と関連づけられるような漸進的変化の連なり」
老化を客観的に測定する単一の指標は現在も見つかっていない
加齢の経験は生物学的要素と社会的要素が入り混じる
日本の更年期とアメリカのメノポーズで訴える苦痛が異なる
クトゥルー新世
ダナ・ハラウェイ
Make kins, not babies
出生率を上げることにこだわるのでなく、血縁によらない新しい関係を考える
老いを解決すべき問題として捉えるのではなく、そのように捉える自分たちの意識の変革を目指す
第8回 医療とケアの民族誌
多元的医療
生物医学
伝統医療
補完代替医療
民俗治療師
医療人類学
病い + 疾病 = 病気
疾病と病いを二項対立で捉えない
ケアという概念
第9回 世俗と宗教
エキソシズム
『悪魔祓い、聖なる儀式』2016年
悪魔憑きとなった人から悪魔祓いをするドキュメンタリー
携帯電話で話しながら悪魔を祓うシーンがある
物質宗教論
セブのサントニーニョ聖像
第10回 現実と虚構のはざまのメディア/知識
違いに目を向け過ぎ、そこを殊更に取り上げてしまう結果、実際とのずれが生じる
文化人類学によって別の視点を導入し、ステレオタイプを抑制、複数化する
情報源、調査手法の透明性を担保する必要がある
オカルトコスモロジー
落語はあるあるだけでなく、ファンタジーが入っている
リアルなだけだと却って現実とずれる
らしく ぶらず
第11回 世界生成の機械としての文化
近代科学の存在論はそのネットワークの内部では真理だが、外部からは確認できない
イヌイトの存在論もその場の内側に入れば真理を明らかにしているかも知れない
アザラシはヒトに命を差し出し、魂(Tagniq)を新たにする
ヒトはアザラシの肉を分かち合い、アザラシの魂を再生を手伝う
ヒトとアザラシは相互に助け合う関係であるとする考え
存在論とは信じられるべき世界の解釈や発見されるのを待っている唯一普遍な世界の真理ではなく、生成するべき未来の世界の存在の論理
何もしなくても真理として存在している訳ではない
かといって全てが主体的に維持管理されている訳でもなく、意図を超えたものとして現れる
多様な存在論をそれぞれの世界を生成して維持する正当な指針として認め合うことが文化相対主義
単なる解釈として尊重される訳ではない
第12回 自然と身体の人類学
四つの自然観
客体化された自然
自分から引き離して対象化する
近代科学に顕著ではあるが、それ以前にも人間は大なり小なりやってきた
アナロジスム
中世ヨーロッパ、アジア、アフリカなど
異なるもの、対立するものを含めて全体をまとめあげる
政治権力と結びつきやすい
アニミズム
小さなものをバラバラなままで保持する
あらゆる動植物の奥には人がいて、それらと取引しなければならない
ダニ族における「戦争」
ガードナー『死鳥』
征服や収奪が目的ではない
事故死や病死も戦死とみなされる
死者が出ると戦争は中断
復讐を遂げた村は祝う
死者が出た村は全員で嘆き悲しみながら死者を入念に葬り、新たな復讐を誓う
殺し合い永遠に続く
死者一人のみを求める戦争
ひとりひとりの死者を大切にするがゆえの戦争
一方が他方を征服するものではない
村々が緊張関係の中で共存する
ディナミズム
自然の力の全体的な現れ
儀礼的な行為を通じて世界に潜んでいる力と交渉する
初詣
儀礼の特別な時間を通して自分の力でコントロールできない大きな力と向き合う
ファン•ヘネップ
クリスチャン•ブロンベルジェ『サッカーの対戦』
Le match de football
日常の仕事や生活とサッカーの試合、どちらが枠の外(真の世界)でどちらが枠の中(仮の世界)なのか
第13回 イメージと創造性の民族誌
B・マリノフスキ『西太平洋の遠洋航海者』
現地社会に入り込んで長期間のフィールドワークを初めて徹底して行った
ロバート・フラハティ『極北のナヌーク』
共同的創造
スクリーンを設営し撮影した映像を本人達にも見せる
ジャン・ルーシュ『イェネンディ、雨を降らせる人々』
映画による共有人類学
ヌーベルバーグにも影響を与えた
抜粋だがこれを観られるのは画期的らしい
フィリップ・ヴァニーニ、ジョナサン・タガード『オフグリッドの生』
21世紀のテクノロジーを用いて自然と再び向き合う
カナダは広大で、たまたま住みたいところがグリッドの外だったケース
グリッドから離れることで周囲の世界の認識が根本から変わる
狩猟採集生活にも似ている
全員ができる訳ではないという意味で贅沢
第14回 協働実践としての人新世時代のエスノグラフィー
プロの人類学者は現地語を話し、3年以上の現地生活が必要と考える
人類学的フィールドワーク
旅や探検とは異なる
自分の興味関心に沿った都合の良い資料を収集するものではない
調査対象の内側から物事を捉える
既にある前提に基づいて資料を収集するのではなく、フィールドワークで得られた資料から学ぶことで、自らの前提を覆していく
エスノグラフィー
フィールドワークの成果をまとめたもの
エドワード・サイード『オリエンタリズム』
調査者と被調査者の権力関係を批判
ライティング・カルチャーショック
アキル・グプタ、ジェームス・ファーガソン
この繋がった世界ではわれわれは 決して真にフィールドの外に出ることなどないだろう
ニーズ共有接近法
調査者/被調査者、支援者/被支援者などの非対称的な関係を問い直し、ニーズを共有する当事者同士の関係を提案する
第15回 地球と人類の未来
人類だけを考える人類学からの脱却