小田部胤久『美学入門』
1日目
省略したところや、重要なところ、余談だが重要なものを話す
飛ばすところは飛ばす
とにかく先生がかっこいい
時折ユーモアも交えていて放送講義とは印象が違った
相談できたり来年ゼミができるという話もある
人文学は学問的に自身をどのように規定してきたかが重要
時代によって中身が変わる
これからも変わり続ける
変化に開かれている
「こうでなければならない」というのがないところが面白い
1 美学の誕生
1 バウムガルテンによる美学の創始
可知的なものによって認識されるのは論理学
概念、判断、推論
可感的なものは感性の学ないし美学
17世紀の合理主義は確実なものだけから出発する
18世紀に合理性の概念を拡張
感性にも合理性がある
詩や弁論での推論の働きに注目
「以前こうだったから次もこう」帰納的に納得する
それは何故か
知性的認識は正しさを追求する
感性的認識は美を追求する
2 カントの『判断力批判』
1790年
美学が哲学的に市民権を得た
1800年まで美学にとって重要な10年
シラー 1795年
認識の問題から独立した美的な問題がある
感性に+αがある→それは何か?
3 芸術哲学としての美学
シェリングとヘーゲル
バウムガルテンともカントとも違う
芸術の哲学になっていく
ヘーゲル「自然美は、精神に帰属する美の反映として現象するにすぎない」
自然に原理があるのではなく、その逆
オスカー・ワイルド「芸術が人生を模倣するというよりは、人生が芸術を模倣する」
techne(芸術)とphysis(自然)
英語ではartとnature
芸術は人間が作ったもの、自然は与えられたもの
どちらが素晴らしいかについては時代によって転換する
F・ベーコンはどちらも同じと主張
4 19世紀後半における新たな潮流
フェヒナーの下からの美学
心理学者
データを取る
概念から出発しない、実験心理学
フィードラー
「手は(中略)目が行うことを取り上げてさらに展開」
美と芸術を分ける
美しい、と思ってから絵や詩が作られるにはギャップがある
2 美学の展開
1 ハイデガーによる「美学」批判
存在と時間
「主観」「客観」「対象」などの手垢のついた言葉を使わずに世界を捉える
世界との関わりを記述しなおす
作品が重要
芸術家の体験などに還元しない
真相
本当にものがある
真理が現れ出ることが美
「現出すること=輝き出ること」「光=輝き」「美」
感性的な言葉の使い方
感性を拡張したかったのではないか、というのが小田部の説
新現象学につながる
2 ベーメによる感性論としての美学
美学の歴史はバウムガルテン以降、問題設定を狭めてきた
感性の働きに着目する
受容美学
作品そのものが内包するもの
空所を補いながら受容
クレッシェンドはどれくらいか明確に数値で決められていたりしない
人物描写なども、適度に端折っている
歴史的にどのように受容されてきたか「込み」で鑑賞する
デザイン=「生活世界の審美化」
応用美術ではない
余談: 構想するもの
建築、工業デザインなど、作ることと考えることが分離
「行為することによって知覚を見過ごす」
鞄は物が入って荷物を運べればよく、どう見えるかは気にしないという態度がある
しかし美的デザインにおいて問題になるのはそういった属性ではなく、どう見えるか
3 シュスターマンによる身体論としての美学
プラグマティズム
ソーマエステティクス
否定的に語られていたaestheticsを肯定的に捉えなおす
3 美について
1 プラトン
欠如の充足
苦を前提とする
真の快
苦を前提としない
余談: プラトンの著作は対話で、「プラトンがこう言ってる」というのは正確には登場人物の言葉だったりする
言ってるわけではないけど書いてるからそういう主張なんだろう、という考え
イデア説
モデル中心主義
個物(実際のもの)と概念であれば概念の方がリアルとみなす
本当にあるもの
時間的空間的制約を受けず、なくならない
馬という概念があって初めて私たちは馬を認識できる
模倣的技術
正しさが指標
モデルを的確に捉えている
2 アリストテレス
学びにかかわる快
欠如の充足説では説明できない
愛好する能力を働かせることで活動する
感覚が活動しているのが快
対象ではなく活動(actual)に属している
数式が快なのではなく、その数式を理解して感動しているその状態が快
快が活動を促進するフィードバックループを生む
悲劇に固有の快
現実であれば苦痛
オイディプス王
「なぜそんな愚かなことを」ではなく「この状況なら自分もそうするだろう」と思わせる力が働く
共感可能性
「詩が語るのはむしろ普遍的な事柄である」
モデルではなく実例、作品それ自体に普遍性がある
プラトンとは逆の立場
3 カント
プラトン批判
プラトンが否定した遊びや快こそが大事
通常は悟性が優勢
構想力(imagination)によってゲシュタルトを捉える
メロディをまとまりとして捉える
チューリップ全体の形を捉える
通常のチューリップを超えた時、構想力が悟性を刺激する
快は結果だが、それが原因でとどまろうとする
みることによってもっとみたくなる
チューリップはこんなもの、という思い込みをイメージの世界を通して刷新する
4 美について(2) 知覚とのかかわりにおいて
美と感性の中間
1 プラトン
正義のイデア、節制のイデアなど、たくさんのイデアがある
それらは分からないが、美についてのイデアは分かる
プラトンにしては極端、感覚的
人間とイデアを結びつけるのが美
みんな何かを「美しい」と判断した時の根拠を知りたがっている
「〜は美しい」「〜は善い」はイデアを思い出すから言える
「模倣の技術」の二種
A) 似像制作の技術→似像
原像(イデア)と対応している
B) 何か巨大なものを彫像として作ったり絵に描いたりする人々の営み→見かけの像=仮像(phantasma)
似ているように見えて全然違うもの
原像と対応していない、駄目なもの
2 シラー
プラトンが否定的に捉えた概念を肯定的に捉え返す
あらゆる民族にみられる仮象への喜び、装飾と遊戯への傾向性
実在に+α
基本は欠乏-充足だが、それを超えた時に遊びが生まれる
余談: 贅沢との違いは重商主義と重農主義の転換、労働価値説などが関わる
外から奪ってくるか、自分で作るか
originality
芸術家の中にoriginがあると考える(かつては神にあった)
imago Dei=人間のこと
神の似像、人間のあるべき姿=キリストの模倣
目的にしばられていたところから自由になった時に新しいものが生まれる
ある場所への移動という目的から離れて、歩くことそのものに注意すると新しい踊りになるかも知れない
3 カッシーラー
原型(type) - 変容(metamorphose)
関数概念
機能に即して考える
実体から考えると概念がうすくなる
質疑応答
毛利悠子『ピュシスについて』今回の講義を元にどうみるか?的な質問だったと思う
テクネーとテクノロジーは確実に異なったもの
2日目
5 美的範疇
美しいものを特徴づけるグループ
美的範疇とはどういう議論なのか、なぜ人はそれを気にするのか
1 崇高
高貴な人の文体、すぐれた文体の意味が混然一体
分からないものに驚き(殻を破る)、分かるようになる(眺めを把捉する)
自分を拡張していく
知性が神(永遠、無限)について考える時と同じようなことが山を見た時(感性)にも起こる
目で見て分かる
18世紀以降の崇高に自然美が含まれるのが重要
2 優美
「いかなる方法も教えることができない」「技術の及ぶ範囲を超えている」
弁論術はマニュアルみたいなもの
プレゼンの方法
それ通りにやってもうまくいかないものが「優美」
「人は心のなかでは常に、子どもが正しい、と認めるであろう」
文明で人間は堕落するが、今でも遊びや素朴はあり、人間は進歩できるというのがシラーの立場
ギリシャ時代の調和を捨てなければならない
専門文化による近代化
過剰によってひとつの能力は高まったが、別の能力は失われた
再び調和を作り出せないか?
3 特性的なもの
類型論
レッシング「事実は変えてもよいが性格は変えてはいけない」
性格が個人に属するという考えが入ってくる
人ぞれぞれ違うというのは、性格の話ではなく物理的な話だった
この肉、この骨
individualityがいわゆる個性という意味で使われるのは18世紀
フリードリヒ・シュレーゲル「古代人ー近代人論争」(新旧論争)
自分はどっち派か?の論争
近代は駄目になったので古代に戻したい(自分も古代人であると認識)
近代人は知識の拡大によって良くなっていると考える
その後美的範疇論は下火になる
時代の要請があってできたのに、あとから取捨選択して整理されてしまった
体系化が面白いところではないと小田部は考える
6 芸術の成立
1 バトゥー
「美しい技術(les beaux arts)」「自然を模倣」することによって「快」を求める
あるがままの模写ではなく、人が頭の中で構想した(精神によって思い描く)ありうる自然を模倣する
「機械的技術(les arts mécaniques)」「自然を使用」することで実践的有用性ないし欲求に仕える
もともとは
artes liberal 精神
artes mechanical 身体
評価軸を変えた
2 プラトン
寝椅子のイデア
イデア(自然本性) 神が作ったもの
実物の寝椅子
職人が作ったもの(dēmiourgos)
イデアを見ている
絵画の寝椅子
画家が描いたもの
いかさま師(mimētēs)
「見かけの模倣(phantasmatos mīmēsis)」
職人が作ったものを見ていて、イデアまで遡っていない
3 アリストテレス
4 プロティノス
技術が自然の模倣で駄目だというのであれば、自然もイデアの模倣では?
さらに技術もイデアに遡ることは可能である
7 芸術の変貌
1 芸術の逆説
カント
技術↔︎自然
自然は原因・結果の連鎖
意図を持たない
技術は「目的を考慮する」
意図を持っている
自然が神のartというのは人間のartから類推したあやふやなものと主張
二分法
自然と芸術に分けて、芸術を上位に置く
しかし享受者にとっては「自然として見える」のでなくてはならない
芸術をaesthetic(快)とmechanical(一定の意図に基づく)に分けて、aestheticを上位に置く
aestheticをbeatifulとagreeableに分けて、beautifulを上位に置く
しかし芸術も技術の一種なので「規則に従って捉えられ遵守されるような機械的なもの」が関与する
意図的でありながらも、意図的に見えてはならない(nature+α)
天才の技術でなければならない
排除したものを取り込んでいる
捩れ
排除しながら取り込む「運動」
2 新たなジャンルの成立
基準自体が変わる
今後も起こりうる
小説の誕生
叙事詩の一部だった
本来の叙事詩は個人の心情と普遍的国家体制が分離する前の古代ギリシアにおいてのみ可能
国を代表するような人物がいなくなってからは散文的なもの、日常的なものを題材にせざるを得ない
ルカーチ
「芸術はもはや模倣ではない」
3 ジャンルの位置付けの変化
彫刻は 何を
3次元の原像から3次元の似像を作る
絵画は 何を + いかに
3次元の原像から2次元の似像を作る
声楽は 何を + いかに + それ自体に由来する、独自の卓越した価値
感情の抑揚を楽曲にする
器楽は音の構成のみ
何も模倣していない、自己完結性
19世紀に芸術作品の自律性、自己完結性それ自体で価値があるとなった
グリーンバーグ『アヴァンギャルドとキッチュ』
アヴァンギャルドの芸術家=自分達が制作する際に用いる媒体から主たるインスピレーションを引き出す
音楽は自己自身のうちに撤退し、そこに強制ないし原型を見出さざるをえなかった
絵画もそうしましょう、という主張
何も模倣しないことはマイナスだったが、転換した
4 アートワールドの変容
「あるものを芸術と見るには、眼が見分けることのできないあるものが必要である」
「それは芸術理論の雰囲気、芸術の歴史についての知識、つまりはアートワールド(芸術世界)である」
ウォーホル『ブリロの箱』
美術館になかったら作品だと気づかない
ダントー『アートワールド』1964年
過去に遡ってもそのようなことはあった
パトロン
作品単体では芸術にはならない
さまざまな人の営みがあって芸術になる
川俣正がコロナ以降のアートで懸念していたことはこれな気がする
制度をハックして経歴も詐称してアーティストのように振る舞う
質疑応答
映画は芸術になったが、ドラマは芸術になるのか、その違いは?
「〜はアートか?」と問う時はジャンルの話か個別の作品かに気を付ける
評価か記述かにも気を付ける
デュシャンの泉を芸術と認めるか否かは評価だが、教科書に載るくらい認められているので記述としては芸術であるといえる
アートワールドは権力ではないか?
ブルデュー『芸術の規則』を参考にする
ダントーはanything goes