常識
のような言説を見るたびに、それ自体が「常識」というものの存在を否定してしまっているように見えて、自己言及のパラドックスを感じておもしろい。
最初から「常識なんてものは存在しない」という前提で生きていく方がお得なんじゃないかなあ、と、歳を重ねるほどに強くそう思うようになっていく。
「常識がない」というのはよく聞くが、「常識がある」というのはあまり聞かない。ネガティブ方面にしか使われない言葉とはなるべく距離をおいて生活することで心の平穏を保ちたい。
common sense っていうと全然違うニュアンスになりますよね、なんとなく。共感知。グループとして共有している感覚。もともと人類はごく少数のグループ(群)からなる集団で活動する種でした。そういった種の生存に関わる機能として共感知に優れることが優位に働いたというのはあるかもしれませんね。そうすると、現代は当時と置かれている環境、スケールが違うので機能として齟齬が生じている可能性はあります。なんてこと言ってみたり(適当) ノリ? mactkg.icon
哲学者の田中王堂は「岩野泡鳴氏の人生観及び芸術観を論ず」(『中央公論』明治四十二年九月)を発表し、「常識が一転すれば科学となり、再転すれば哲学となる」と論じた。
常識は唯だ生活をなるたけ善く持続する方便として(略)常識よりも一層細密で、且つ一層正確なる知的方針を必要として来ると、常識は何時か科学となるのである。(略)一層深刻にして普遍なる知的統一を必要として来ると、科学は何時か哲学と変ずるのである。(十一)
ここで言われている「常識」が、自分が前提としている定義ですネ taizooo.icon
レイヤーの低い方から、常識→科学→哲学
レイヤーの低い方から、道徳→評判→(常識)→社会制度→セキュリティシステム
それは福澤諭吉が「福翁百話」で言っている「常識」の定義
福澤諭吉は「学問のすゝめ」で、新しい時代にどういう「常識」を身につける必要があるのか、みたいなことを言っていて
ちょっと記憶があやしいですけど
世界が変わると常識(共感知、共有知)も変わる、という、今にしてみれば至極普通のことが書かれていますが
そのこと自体もこの時点では新しい感覚だった、みたいな
橋本治 福沢諭吉の『学問のすゝめ』
福沢諭吉 学問のすゝめ
少し深掘りしています。なんとブロックチェーンに関わる事柄からです! taizooo.icon 常識などという不安定なもので信頼関係は築くことが出来るのか 欲しいのは使い古されて古ぼけた常識ではなくて、真新しく新鮮な共通理解