「場」や「流れ」はいったい誰が作っているのか?
#ベスト・オブ・ザ・イヤー・アドベントカレンダー
#2020AC2020
「場」や「流れ」はいったい誰が作っているのか?
2020AC2020 に参加してみて、初めて書けた文書みたいなのもあるなと思うから、場や流れって要素は自分にとっては重要なのだなって思う、そういう意味でトップバッターが主催者ってのは重要ですよね、本人が書かなくても本人が書いてもらう人を決めるとか https://twitter.com/mactkg/status/1340857589668593664
どうだろーなー。ただオレだったら、主催者が初日真っ先にぶっ潰れるようなアドベントカレンダーじゃなかったら、参加したくないかなー、と思って :) https://twitter.com/taizooo/status/1341010309180342276
提起された事柄について、ちょっとはぐらかして答えたところがあるのでちゃんと考えてみる
まず「場」にはその「場」固有の「流れ」がある、というのを認めるところから始める
どういう「場」なのか定義されてる?
「その年」というゆるい縛り 一般的な話、個人の話、扱われている内容も、その粒度も質も全然異なる 総体として「その年」が描かれる みんなで書く
主催者とか参加者とか関係なく「場」が構成されるような定義がなされている?
全然、なされていない
なされていないように、なされている
?
定義? 規定? ルール? 仕組み? システム?
主催者サイドからの視点
2020AC2020 は6年?くらい続いていて、その参加者は入れ替わり立ち替わりしてて、今年も7名が NEW! だったりする(25名中の7名、28%)
2020AC2020 https://adventar.org/calendars/5361
ようこそ、新しい人たち 2020 Advent Calendar 2020#5facc15bb30c01000040a0ed
それでも、なんとなく「ベスト・オブ・ザ・イヤーなアレ」という体裁、雰囲気を維持し続けているとは思う
2015AC2015 https://adventar.org/calendars/844
主催者の責務として第1日目に post を投げるというのを課しているけど、こういう「場」である。とか、こういう「流れ」である。とか、そういうことを考えてなにかを書く余裕はハッキリいってない。いつでもいっぱいいっぱい
アドベントカレンダー主催者の三つの責務 アドベントカレンダーの形、参加すること、主催すること#5dfc2c3fb30c010000d7c8ea
1. とにかく25枠を埋めること
2. 1日目は自分が join すること
3. そして25日間、完走させること
下のリンクにある自分自身が post した「ベスト・オブ・ザ・イヤーなアレ」の記事をざーっと見ても、あの人やこの人のような統一感がまったくない。毎回バラバラ! 自分でも呆れた!
https://copyanddestroy.hatenablog.com/archive/category/advent%20calendar
2015年なんて、記事ですらない。ただの引用集というかリンク集
あー、2020年もただの引用集だった…
少なくともオレの記事じゃなさそう。じゃあ何が? 誰が?「場」や「流れ」を作っているのか?
皆勤賞なので「場」に対して少なからず影響を与えているかもしれないけど、その大きさは果たしてどうだろう? 大したことないのではないか?
そもそもみんな他の人の post をそんなに一生懸命読んでる?
オレは、主催者なのですごく読んでいるけど
そういう意味では、オレ自身が一番「場」「流れ」の影響を受けているのでは?
参加者サイドからの視点
mactkgサンの場合(再掲)
2020AC2020 に参加してみて、初めて書けた文書みたいなのもあるなと思うから、場や流れって要素は自分にとっては重要なのだなって思う https://twitter.com/mactkg/status/1340857589668593664
yomoyomoサンの場合
2019 Advent Calendar 2019 にお誘いいただくと、今度は緊張で硬直してしまい、果たして自分に何が書けるだろうと自問しているうちにカレンダーがすべて埋まっていたという体たらく https://yamdas.hatenablog.com/entry/20201221/best-of-2020
oshowtheripperサンの場合
普段あまり交わらないであろう書き手が連なる感じがいいな、って。 自分の担当日は来週だけどほぼほぼ書き終えてる。前後も特に気にせず、自分の書きたいことを誰にも気兼ねなく書く、ということで。 https://twitter.com/oshowtheripper/status/1203991266809090049
が、毎日アップされていく他の参加者の記事を読んでいるうちに、何故か自分の記事の下書きが日々修正されていくのである(何が「前後も特に気にせず」だw)。 各々の記事は日常での自分の興味とオーバーラップしない話題を扱っているのに不思議なもんだ。いや、実はそんなに不思議ではない。思考の主体たる個々の人間は外界からの刺激に適応することしかできない些末な存在なのだ。いや、語弊があるな。我々は思考の主体ですらないのだ(我々は腸内細菌というエイリアンの乗り物であって…という話はまたどこかで)。 結果的に先週Tweetした時点とは全く異なる形になった私的ベストオブを以下に記します。 https://note.com/oshowtheripper/n/n4d578d15d171
shokaiサンの場合
12月でなくても、いつでも書けば良いと思う 事前に予約した日まで公開できないのが嫌 書いた瞬間に粗が見つかって、次の作業に取り掛かりたい その時、自分の書いたテキストが参照しやすい位置に無いと困る /shokai/アドベントカレンダー
アドベントカレンダー、記事に注目を集めるのが目的なら忙しい12月はアドベントカレンダー同士で競合するし、 それよりも1月の正月休みと仕事初めの境目あたりに投下する方が注目集めやすいと思う https://twitter.com/shokai/status/1209366007061438465
yuta25サンの場合
アドベントカレンダー25人しか書けない問題、というものがある(ない)。じつは何人書いても良いはず /yuta25/じつは何人でも書いて良いはず
jigsawサンの場合
何年か前くらいから、25人しか書けないので自分が入ったら他のもっと書きたい人が書けなくなっちゃうかな...っておもっちゃって及び腰になってしまった アドベントカレンダーの形、参加すること、主催すること#5dfc2c3fb30c010000d7c89c
アドベントカレンダーというよりはバトルロイヤル河川敷なので... /jigsaw/アドベントカレンダーという型
コンテンツを詰めた麻袋を武器に河川敷で殴り合ってるイメージ(もちろん無言で) https://twitter.com/ma_ko_to_ya/status/175045684695805952
taizoooサンの場合
shokai サン、正論なんだけど、たとえ話にすると、100mで世界記録出したいならいつでも追い風が2mギリギリ吹くように設計されたトラックで一人ぼっちで走ればイイじゃん的な話で、オレが思うアドベントカレンダーは横一線でいっぺんに走ってとにかく勝ちたいって話だと思う(たとえが悪すぎる) https://twitter.com/taizooo/status/1209370157274910722
誰に勝ちたいのか? 横一線で走ってる隣の誰かは、勝つべき敵なのか、それともともに戦う仲間なのか そもそも勝ちたいのか? 勝ちとは? /taizooo/ただ一緒に走っている