それぞれ違うゲームをやっている
privateよりコピペ
それぞれ違うゲームをやっている
必要なのは、その「失格」という感覚の解体であるから、それをもたらしている審級とそれを支える価値観にリーチし、必要に応じてそれを解体していくこと。 適応できない環境の中にいるときにこれを一人でやっても失敗する確率が高い(個人の感想) 言語化したらとんでもねえ非現実的な価値観で草
人生には、似た境遇同士が集う仲間内で些細な優劣や仲間から脱落するかもしれない不安に心痛めるフェイズと、孤立に苦しみながら自分の道を見つけるフェイズがあります。
自分の価値観で物事を判断する必要に駆られたとき、その他大勢の判断に委ねていられなくなったとき、それぞれの人生が独立したものであったことに気づく。孤独の効用
最近これをとても感じる、物心ついたといえるかも
すっごい当たり前なのだけれど私のためになにかができるのは私だけなのだよな
誰かに託すことはできない
その感覚こそが孤独なのだと思うし、しかし私が私のために何かをする理由となりうる
隣の独房に行きたくても行けない囚人みたいなたとえをカフカがしていたな ”死にたいという願望があるとき、この人生は耐え難く、しかし他の人生は手が届かないように見える。嫌でたまらない古い独房から、どうせ嫌になる新しい独房にどうか移してもらうよう、懇願している。” 工具箱のたとえも同じ
道具の融通はできない
自分の人生がままならないことが苦痛な人間にとっては、他人の人生はどうせ嫌になる新しい独房でしかない
自分の設定した勝利条件に向かって手持ちの道具でなんとかするという意識がなければ潰れる